第一話 邑﨑キコカ(その九)

 彼女はこの場所を結界だと言った。大した出来ではないが、臭いを封じ込め誰も此処に興味を持たないようにする効果があるのだという。だからこの学校に出入りする全ての人間に、この惨状が気付かれることは先ず無いのだとも。

「まぁ虫除けと防臭剤がワンセットになったものと、そう考えて貰えれば一番適当かしら」

 そう言って彼女は軽く肩を竦めてみせた。

「簡単に言えば、この学校はアレやアレに似た某かの餌場だったということよ。そしてあたしは当局によって派遣された駆除担当員。アレの解体とそれに汚された教室の掃除も含めてね。まぁ、えげつない夜のために用意された女子高校生ってところかしら」

「駆除、掃除?そんな簡単な話じゃないでしょ。事件でしょ、警察を呼ばないとダメな出来事でしょ」

「無駄に世間を騒がしても意味が無いわ」

「意味無い訳ないでしょ。人が死んでるんだよ。そう言ったのは邑﨑さんじゃないか!」

「見落としがあったのは反省事項だけれども、むしろその責を負わねばならないのは上位組織。だから頭を抱えるのはあたしじゃ無いんだけれどもね」

「責任云々の話なんかしてないよ。黙っていて済まされる訳ないでしょ」

「コレに関してはもうどうしようもないの。訴えてももみ消されて終わり。その当人を含めてあらゆる全てがね。亡くなってしまった人たちは残念だけども、何をどう騒ごうと死んだ人間は生き返りなどしない。それが世界のルールよ」

「死んだ?」

「ええ」

「ホントに?」

「そうよ」

「じゃあ委員長は、そして七尾は、もう居ない。もう帰って来ないということ?」

「残念だけれどもね」

「嘘だ!」

「嘘じゃ無いわ」

 間髪を入れぬ素っ気なさだった。もう少し戸惑うとかあってもいいんじゃないかと場違いな腹立たしさがあった。あっさり言い切って良いこととそうでないことが在るだろうと、どうしようもない憤りがあった。

「証拠は何も無いだろう。なんでそんな事を言い切れる、きみは此処のコレを全部確かめたのか。全部これをひっくり返して調べたのか。確認もせずにそんな事を言うなんて軽率なんじゃないのか」

「確かに此処はまだ手付かずね。でもこういう物は見つけているのよ」

 彼女が「デコピン」と呼ぶと一匹の猫がやって来た。口に鞄を咥えている。電源ボタンのような額の白斑が特徴的だった。この猫は見覚えがある、しかし何処で見知ったのかは思い出せなかった。出会うのはこれで何度目だろう、一度や二度ではなかったはず。そのはずなのに・・・・

 何だか頭が、芯の方から少しずつぼんやりとし始めていた。

 邑﨑さんは猫から鞄を受け取ると、中から幾つかのB5サイズほどのビニール袋を取り出した。どれも何かが入っていた。それは文庫本であったり名札であったり手帳であったりだ。

「心当たりは無いかしら」

 そう言って手渡された。一つは生徒手帳で茶褐色の染みで酷く汚れていたが委員長の名前が見て取れた。名札の方は非田とあり一年生の色分けがされていた。震える手でビニール袋の中から文庫本を取り出した。タイトルは同じく赤黒い染みで読めなくなっていたが著者名はアーサー・C・クラークだった。

 表紙を開くと、ぱりっと貼り付いたページがめくれる小さな音共に紙片が落ちた。栞だった。メモ替わりにしたのか字が見える。「君堂貸し出し用」と書かれていた。

よく見慣れた、ヤツの字だった。

「委員長、桜ヶ丘桜子さんのご家族も非田くんの所と同様全員行方知れずよ。名札と文庫本は同じ場所で見つかったわ。本も彼の物に間違いは無い?」

 ボクはしばし言葉を失っていた。頭の中が真っ白だった。本を持つ手が震えていた。

 何度も何度も見返して、手で撫でてひっくり返して確かめ直した。メモのあった栞も何度も指でこすって確かめた。

 見間違いであって欲しい勘違いであって欲しいそんな訳ないと信じたかった。しかし何も変わらない。名札はどう見ても「非田」と書かれたままで、栞のメモも読み間違いでもなければ見間違いでも無かった。

 突然学校に出て来なくなった。家を訪ねても家人は誰も居なかった。ボクが送ったメッセはことごとく無視され、電話にも出やしない。ドレもコレも些細でつっけんどんで、単純に行き違いであったり相手の迂闊さで片付けられる出来事だ。

 でもこの膨れ上がる異様な不吉さはどういうコトなのか。

 彼女の話は抗しがたい妙な説得力があって、思わず納得してしまいそうになる。

 見て、手にして、確かめて、身を打つ直感は抗しがたかった。間違いないという想いにあらがえなかった。確信と言っても良い。

 息が荒いでいた。

 唇が戦慄いて止められなかった。

 認めちゃダメだ、首肯なんかしちゃダメだと奥歯を噛んだ。

 しかしソレのなんと儚い抵抗であることか。

「そんなことが、そんな莫迦なことがあって・・・・あって良いはず、ない」

 視界が潤み歪んでいたのはきっとこの部屋の酷い臭気のせいに違いない。声が震えていたのもきっとそうだ。

「でも、事実よ」

「違う!」

 ボクは叫んでいた。

 きっと同姓同名の別人に違いない。血液型とかDNA鑑定だとか、本人を特定出来る方法はいくらだってあるだろう。それに、それにこの血が七尾や委員長のものだとしても、本人が死んでいるって確かめられた訳じゃないだろう。人をそんなに簡単に居なくなったことにされてたまるものか。軽率だ、軽率過ぎる。デタラメ言うんじゃない。

 そう喚いてまくし立てた。

 ぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。声が震えて裏返っていた。みっともなかったけれども、どうしようもなかった。

「信じる信じないはきみに任せるわ。それよりも他に訊きたいことはない?」

「アレっていったいなんなの」

「それにはっきりと答えられるヒトは居ないわ。何せン百万年以上前に人類の元がこの星にやって来る、その遙か以前から住んでるホンモノの先住民族らしいから。

 まぁ分かっているのはヒトとは比べものにならないくらい古い種族で、似て非なる異種族同士、億年単位でこの星の覇権を争っているモノどもってことくらいかしら」

「なんでそんなのが野放しになっているの」

「野放しというのは正確じゃないわね。むしろ彼らのテリトリーに入り込んでいるのはあたしらヒトの方なんだし。彼らのニッチを突いて、環境への適応と旺盛な繁殖力をもって繁栄してますって言う方が正しいのよ」

「繁殖、適応って、ボクらは犬猫じゃない。人間だよ」

「人間だって動物でしょ。群れで生きる哺乳類の一種、自分たちは特別だって勘違いしているだけの生き物よ」

「そんな言い方・・・・」

「彼らの住処に脇からお邪魔をしているのがあたし達なの。だからお互いに宥めすかし、しのぎを削り、互いを喰らい、時には協調して生きている、ただそれだけ。多少の犠牲には目を瞑らないとすり潰されてしまうのは人間の方よ」

「多少の犠牲?それは本気で言ってるの」

「憤慨する気持ちは良く判る。でもそれが長年の経験則から生まれた生き残る知恵というヤツなのよ。膨大な量の血を代償としてね。その辺りは割り切って納得してもらうしかないわね。まぁそれでも譲れない部分は在るから、あたしみたいな存在が必要なのだけれど」

「人は無力じゃない。銃や軍隊だってある・・・・みんなが協力すれば・・・・」

「同じ事を考えた連中は幾らでも居るわ。でも結果はいつも悲惨なものよ。彼らと表立って対立し、滅ぼされた国や民族は類挙に暇がないのだもの。

 つい最近でも最新の軍備なら大丈夫と図に乗って、集団丸ごと粛正されてしまった阿呆が居るわ。何処の誰とは言わないけれど」

 そう言って彼女はまた肩を竦めるのだ。

「それはそうと、もうそろそろ時間切れ。良い頃合いにクスリが回って来ているのではなくて?」

「邑﨑さん、ボクは・・・・」

「恐らく一晩が一年でも議論が尽きる事は無いでしょうね。でもお互いそこまで時間にゆとりがある訳でもない。他にもやらなければならないことが山ほどあるし。だから此処で体験したり見聞きしたことは忘れてしまいなさい。そうすれば平穏な日常に戻れる」

 も、戻る。いつもの日常に?

 いや、でも、忘れちゃダメなんじゃないのか。苦しくても忘れちゃならないコトなんじゃ無いのか?

 七尾、それに委員長。そして、そして・・・・

「いいこと、きみは七尾くんや委員長、桜ヶ丘桜子さんなどという人物とは出会わなかった、最初から居なかった人達なの。だからきみは誰も失っていないし傷ついてもいない。

 そして今夜は顔見知りの友人と出会って思わず話し込んでしまったと、そう家族に説明なさい。それで明日からもまた、普通の高校生を続ける事が出来る。それがきみにとってのベストな選択よ」

 頭の芯はぼんやりしているというのに、妙に彼女の声だけは冴え渡って聞こえた。反駁の感情は驚くほどに希薄で、意識の奥底に彼女の文言が染み落ちていった。是もなければ否も無かった。ただ彼女の言葉に従うだけがその瞬間の全てだった。

 そして女生徒に見送られながら、君堂律夫は夜の学校を後にしたのである。

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