第一話 邑﨑キコカ(その八)

「あたしの詰める学校で好き勝手やってくれちゃって。解体される覚悟はオーケィ?断末魔の準備は出来た?」

「ふばけぶな!」

 くぐもった声と共に飛びかかって来たのは、再び触手だのハサミだのだった。しかしそれはただ飛びかかっただけ。全て空中でバラバラになって散らばっていった。

 何故か。

 邑﨑キコカの右手に、大ぶりななたが握られていたからだ。

 しかしそれを鉈と言って良いのか?何しろ刃渡りで五、六〇センチは在りそうだった。むしろ刀と言った方が相応しい。いつの間に手にしていたのだろう。

 いや、きっと最初から持っていたに違いない。だからこそ飛び込んで来た時にアレの手首を切り落とせたのだ。

 委員長だったモノのパーカーはいま一度大きく膨らんで引き裂け、全身のあらゆる箇所から様々なソレが飛び出していた。人間の面影はもう腰から下しか残っていなかった。

 エグい光景だ。

 もういっその事全部変わって欲しい。

 なまじ中途半端にヒトの部分が残っているせいでグロさが際立つ。いやな現実だなと思った。悪夢だったら目を覚ますことで全てを無かったことに出来るのに。

 いや、ホントに目の前で起きているコレは現実なのか?

 まるで出来の悪いB級ホラーを見ているような気分になるけれど、この猛烈な腐った臭いと、切り落とされる度に聞こえて来る叫び声は夢なんかじゃない。

 鞭の如き触手の繰り出される瞬間を目で追うことが出来ず、カマキリのカマよろしく跳び出してくるハサミは速過ぎてまるで判別出来なかった。

 だがどれ一つとして彼女には当たらなかった。むしろ攻め立てる度に鉈が振われ、触手だのハサミだのが失せていった。思わず見惚れるほどの見事な手並みだった。

 床の上に様々な先端が散らばっていった。

 千切れたトカゲの尻尾のように切り落とされたそれらがびちびちと跳ね悶えている。そしてその数はみるみる内に増してゆくのだ。正直気分の良い光景じゃあない。

 そして彼女とアレとの対決は、もはや植木の剪定のような様相を呈していた。

 彼女が笑っていた。

 鼻歌でも歌い出しそうな風情で犬歯まで剥き出しにし、飛び出してくる様々なモノを身軽に避けては鉈を振る。踏み込んで一歩引き、二歩進んで右に左にと小さく跳ね、あるいはくるりと小さく回って体を躱し、実に小気味よくステップを踏んでいた。

 緩急をつけ、タップを刻み、戸惑うさまなど微塵も無い。

 時折、鉈の刃が蛍光灯の明かりを反射してぎらりと光る。

 飛び散る体液すらひらひらと華麗に躱して、彼女のスカートが風になびく。

 踊るように、舞うように、文字通りリズミカルなダンスと共にソレの解体に勤しんでいた。

 足踏みに合わせて蔦のような跳ね具合の黒髪が踊ってい、まるでそれは彼女とは別の生き物のようにも見えた。その一挙一動ごとにアレの身体は寸断されて、ことごとく床に散らばる羽目になるのだ。

 あまりに一方的。

 余りに隔絶している。

 これはもはや戦いなどではなくて、本当にただの作業だ。

 やがて彼女が一足の間に入る頃、委員長だったモノはついに及び腰になりそのまま後ろに跳んで教室から逃げ出した。

 いや、逃げ出そうとした、と言った方が正しかろう。何しろ跳んだ瞬間に、腰の辺りから彼女に両断されてしまったからだ。

 音を立てて二つの塊が床に転がり、どちらもが切り落とされた触手同様、じたばたと暴れていた。彼女は蠢く上半身に歩み寄ると、何の躊躇もなくその中央部に鉈を振り下ろして、凄惨な一時ひとときはようやく幕を下ろした。


「怪我は無い、よね?」

 体液で濡れた鉈を軽く振って滴を払い、腰の後ろに吊った鞘に納めると、彼女は何事も無かったかのように歩み寄って来た。

 あれほどくるくると激しく立ち回っていたというのに、息は乱れておらず汗の一筋もかいていない。制服もまるきりまっさらで染み一つ見当たらなかった。降りかかる無数の体液の雨、あれほどに目まぐるしくうねる触手の狭間をくぐり抜けていたというのに。

 まるで下ろしての制服を着て、入学式のあった当日に初めて教室に入って来たかのような、極めて場違いな違和感があった。どれだけタフなのかと思うと同時に、普段と何も変わらないその容姿とその物腰に舌を巻いた。

 ひょっとして萎縮している自分の方がおかしいのか、そんな不安に駆られるほどだ。

 今のボクは冷や汗や脂汗でシャツはべたべたで息も絶え絶え。彼女に助けられて、ただ床にへたり込んでいただけだというのに。何とも情けない有様だった。

「あ、ありがとう邑﨑さん。助けてくれて」

「礼には及ばないわ。むしろあたしの方が謝らないといけないのだけれどもね」

 どういうことかと訊く前に手を貸してくれて、座り込んでいた床から立ち上がった。

「一匹を始末して安心していたのだけれども、まさかもう一匹がその最中にすり替わって居たなんてね。オマケに餌の体内に潜り込んで臭いまで誤魔化していただなんて。まるで寄生蜂みたいなやり口。

 お陰で気付くのが遅れてしまった。迂闊で済まない失態だわ。出さなくてもいい被害を出してしまった」

「え、始末?被害が出るっていったい・・・・」

「きみは知らなくていいことよ」

「いやいや、もうボクは巻き込まれた当事者なんじゃないの?だったら知る権利があるでしょう。だって委員長に化けたバケモノに襲われてそれで・・・・」

「でもまぁ、きみは助かったのだからいいじゃない」

「そういう問題じゃ・・・・え、『きみは』?じゃあ他にも・・・・ま、さか此処に散らばっている腐肉ってひょっとして」

 よもやという思いが無かった訳ではない。ただそれを信じたくはなかったというだけの話だ。

「深く考えない方がいいと思うけれど」

「邑﨑さん、色々とボクの知らないことを知っているんだよね。委員長が端からあんなバケモノだった訳じゃないでしょう。いますり替わったって言ったよね。じゃあ元の委員長は今どこ。まさかとは思うけれど、七尾が居なくなったことも関係がある?知っているのなら教えてよ」

「そうね。話してあげても良いけれど、その前にすることがあるわね」

 そう言うが早いかポケットから小さなペンケースのような容器を取り出すと、細いガラス製の鉛筆のようなものを取り出した。それが注射器だと気付く前に彼女はボクの腕を取り針先を突き刺して、そのまま一気にクスリを注入してしまったのだ。

「そ、それってなに?」

 狼狽して腕を引っ込めたが時既に遅し。彼女は注射器を再びケースの中に仕舞い込むところだった。

「ちょっとした予防薬よ。きみが禍々しい現実に惑わされず、平穏無事に学校生活を送れるようにする為のね」

「予防薬?」

「そうよ。事実を知ったからといってどうすることも出来ないのだし。どうにかしようと頑張ってもらったらこっちが困っちゃうし。悶々と自責を繰り返した所で何かが好転する訳でもないしね。そしてお互いの平和の為でもあるわ」

「どういうこと」

「質問に答えて欲しいと言ったわね。たぶん、あなたの探している人たちはこの部屋の何処かに散らばっているわ。つぶさに探せばそれらしきものは探し当てられるでしょうけれど、お薦めは出来ないわね。きっと見つかるのは一部分だけで、間違いなく気分は最悪になるでしょう。

 確認出来たところで誰かが幸せになるなんて、もっと有り得ない話だし」

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