第一話 邑﨑キコカ(その五)

「非田君は未だ休んでいるの」

 翌日学校に行くと、学級委員長の桜ヶ丘桜子が声を掛けてきた。

 普段ならまず有り得なかった。皆のまとめ役ではあるけれど、主に連絡事項や目に余る連中をたしなめる程度で、彼女が個人的に男子に話し掛ける場面など見たことが無かった。けれども、流石にクラスメイトが一週間も音沙汰無しとなると気になってはくるらしい。

 まぁ委員長ならそういうコトもあるか。

「彼と仲良かったのよね。何も聞いてない?」

「うん、何も」

「ちょっと前に、邑﨑さんがどうのとか言ってなかった?」

「あ、聞いてたんだ」

 いや聞こえもするか。昼休みの教室で、声を掛けるだの掛けないだのと言った挙げ句、素っ頓狂なやり取りをやっていたのだから。

 話の流れから、七尾が夜の学校に邑﨑さんが入って行くのを見た、と打ち明けた。勿論、ヤツが無断で学校の中に忍び込んで天体観測していた事は誤魔化してだ。

「そうだったの。実はわたしも見たのよ」

 委員長も夜の早い時刻に、やはり校門を乗り越えて入るところを見たと言った。丁度学校の周りは飼い犬の散歩コースなのだそうだ。それが本当に邑﨑キコカならば、彼女は頻繁に夜の学校へ出入りしているということになる。

 ひょっとして入学する前に見た塀を跳び越えていったあの人物、あれも彼女なのだろうか?

 しかし到底あんな人間離れした身体能力の持ち主には思えない。確かに体育の授業などでソコソコ機敏な動きを見せはするものの、彼女はいたってごく普通の女生徒だった。

 きっと七尾ならこの辺りで、エージェントというものは素性を隠す術に長けているから云々などと、一語り入れる所だろうな。

 思わず苦笑が漏れそうになった。

 自称SFマニアとは云うものの、その実ヤツは随分とオカルト寄りだ。陰謀論が大好物だし、その上天文学にまで傾倒しているから、ボクのようなにわかファンなどよりも余程に筋金入ってる。相当に濃いと言わざるを得ない。

「彼女が何か知っているんじゃないかしら」

「え、なんでいきなりそういう話になるの?」

「夜の学校で毎晩何か怪しいことを企んでいるのよ。きっとそうだわ」

「だから、何でそういう発想になるんだよ」

「非田君はきっと知ってはならぬことを知ってしまったのよ。そのせいで彼女に監禁されてしまったのかも知れない」

「証拠なんて何も無いじゃないか。委員長の思い込みだよ」

 ひょっとして、七尾と同じタイプの人種なのではないかと思った。類は友を呼ぶと言うが、それと同じ理屈が今此処で作用しているのではなかろうか。でも彼女がソッチ方面というのは聞いた事がない。

 そもそも全く似合わないしコレジャナイ感が半端ない。

 でも一応念の為に訊いてみた。万が一ってコトもある。世の中には時折、科学や論理では説明できない驚天動地の事実が潜んでいるらしいから。

「もしかして隠れSFファン?或いはオカルトの方かな」

「わたしが読むのはミステリーよ」

 ああなるほど、そちら側でしたか。

「だから、ちょっと確かめてみない?」

 委員長はにやりと笑うと、声を潜めてそんな事を耳打ちしてきた。


 ボクは今、誰も居ない夜の公園で独りぽつんと人を待っていた。

 時刻は二〇時を少し回った頃。確か入学するちょっと前、学校の周囲をうろついていたのもこのくらいの時間帯ではなかったか。

 しかし何故にこんな事に為ったのか。出向く先は夜の学校、しかもクラス委員長と一緒という謎シチュエーションだ。

 少し前のボクなら、例え未来の自分の言伝だろうと絶対に信じないという確信がある。それくらいには在り得ない組み合わせだったし、彼女が真夜中の学校に踏み入ろうと提案するそのこと自体未だに信じられないでいた。

「お待たせ」

 不意に声を掛けられて吃驚した。振り返ってみると委員長が立っている。

「・・・・」

「なに、まじまじと見ちゃって。そんなにヘンな格好してる?」

「あ、その、制服の委員長しか見たことが無かったから、なんか意外で。私服姿なんて初めて見るし」

「なら良いけれど、頓痴気な格好だったのかと一瞬焦っちゃったわ」

「いや、良く似合ってるよ」

 内心の動揺を気取られまいとして、慌てて取り繕った。

「行きましょう」と促されて、通い慣れた通学路を彼女と並んで歩いて行った。誰も居ない夜道で女生徒と二人連れという、この状況が落ち着かなかった。しかも普段は殆ど話したこともない相手だ。気にするなと言う方が無理だ。

 それに家を出るときにはコンビニに行くと言ったきりだ。あまり長居は出来ない。事はなるだけ手早く済ませたかった。

「委員長がこんなことを言い出すとは思わなかったよ」

「あら、わたしだって夜に出歩くくらいするわ。コンビニに行ったりとか、あの子を散歩に連れて出たりとか」

「いやそういう意味じゃ無くてね」

「夜の学校に忍び込んだりとか?」

「うん、そう」

「わたしだって血の通った人間よ。好奇心は人生を豊かにするスパイス、見て見ぬふりをする方が余程味気ないでしょう。それに普段とは違うささやかな違和感を、一つ一つ丹念に解きほぐしてこそ真実に近づけるのよ。ポアロやミス・マープルも、そういった趣旨の台詞を口にしているわ」

 それはひょっとしてアガサ・クリスティだろうか。よく映画やドラマなどにもなっているからその程度なら知っている。

 七尾もよく自分の頭蓋に溜め込んだウンチクを披露していた。SFといいミステリーといい、ロジカルなモノに傾倒している者は似たような傾向が在るのかも知れない。と同時に、こんな饒舌な彼女を見るのも初めてだった。

 そして学校の裏門にまでたどり着くと、まるでそれが当然とでも言うかのように、ひょいひょいと身軽に門を乗り越えて入っていく姿もまた意外だった。何の躊躇も惑いも無い。お陰でこっちが戸惑うほどだ。

 ボクの様子が余程危なっかしかったのだろう。彼女は手を差し出して乗り越えるのを手伝ってくれた。女性に手を引かれながらというのが気恥ずかしくて、「意外に身軽なんだね」と苦笑して誤魔化した。

「どうという事はないわ。それよりも君は少し運動とかした方が良さそうね」

 返す言葉が無くて、もう一度苦笑いで返事をした。彼女は勝手知ったるといった風情で夜のグラウンドを突っ切り、真っ直ぐ実習棟の方へと向って行く。まるで何が在るのか、目標が何なのか、端から全部熟知しているかのような足取りだ。

「何処まで行くの。何か心当たりが?」

「以前、彼女と思しき人影が実習棟に入るのを見たのよ」

 でもだからといって、今夜其処に居るとは限らないんじゃないのか。

 そう思いもするが、それを言ってしまえば何故今夜学校に忍び込むのか、という話にもなる。委員長に心当たりが在るのならそれに任せてみることにした。

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