第18話 虹のふもと



 サキグロは、何日経っても帰って来なかった。

日に日に気温が下がって行く。

ハゴロモは朝が来ると窓辺へ行き、サキグロの姿を一日中捜し求めた。


「必ずもどって来る!」

だってサキグロは、どんな時だって無茶なことを平気な顔でやって来たんだから。

あの冒険の時だって、高原の日々でだって・・・

ハゴロモは何度も自分に言い聞かせた。



 里山の木々が葉を落とし始めた。

落ち葉がカサカサと音を立てて風に舞った。

ハゴロモは、日に日に深まる里の秋を何日も何日も見つめ続けた。


  サキグロは、今どこにいるのか?

『あたしのために、何も諦めて欲しくない!』

サキグロに言った言葉に嘘はなかった。

でも、どうにもならないことにサキグロを向かわせてしまったのではないだろうか?


 本当は、すっと一緒にいて欲しかった。

ここでずっと、最期の時まで・・・


 サキグロ・・・

いったいどこにいるの?

お願い、帰って来て・・・



「えっ! 雪!?」


 ある朝、窓の外を見ると、なにもかもがうっすらと白銀に輝いていた。

谷戸一面に降りた初霜だった。


「もう霜が・・・」

ハゴロモは、逃げるように窓辺を離れた。


 霜が降りたならすぐ雪が降る。

雪が降る中、トンボが生きられるはずがない・・・


 その日、降り始めた弱い雨は、夜になっても音もなく降り続いた。

まるで、ハゴロモの代わりに空が泣いているかのようだった。



 翌朝、朝日を浴びて立ち上る霧に、谷戸はすっぽりとつつまれていた。

窓の外は、あやめ池さえ見えない。

ハゴロモは力なく、何も見えないまっ白な窓を眺めていた。

やがて霧が晴れて来たのか窓辺に朝日が差し込んで来た。


「あっ!」


 ふと顔を上げたハゴロモは、あわてて窓に飛びついた。

霧を透かして、谷戸の真上に大きな虹がかかっているのが見えた。



 ハゴロモは転げるように外へ飛び出した。

「お願い! サキグロに、サキグロに会わせてーっ!」

ハゴロモは虹に向かって大きな声で叫んだ。


 虹のそばにはサキグロがいるんだ!

何も見えない霧の中、空へ空へと昇って行った。

がむしゃらに、なりふり構わず、無我夢中で。


 霧を抜けた。

霧の中に、七色に輝く虹のふもとが刺さっていた。


「あっ、虹のふもとが!」

と、ハゴロモが見ている前で虹のふもとがするりと伸びた。

「えっ!?」

ハゴロモは自分の目を疑った。

でもまた、するりと虹のふもとが下へ向かって・・・


「谷戸を覆う霧が、風に吹かれて消えているんだわ・・・」

霧が消えていくにつれ、虹のふもとが下へ下へと延びて行く。

ハゴロモは、息を殺して虹のふもとを見つめ続けた。



 やがて、霧に覆われていた地面がうっすらと見えて来た。

虹のふもとが、地面に向かって伸びて行く。


「あやめ池!」

虹のふもとは池に向かって伸びていた。

ハゴロモはまっしぐらにあやめ池に飛んだ。



「虹のふもとの青い花・・・」

必死になって花を探した。

でも、こんな季節に花などない。

灰色の池と、ぬかるんだ土が広がるばかりだ。


「あやめ!」

あやめの花が咲いていたあたりを飛び回る。

「ここにあやめが咲いていたのに・・・、あっ!」

突然ハゴロモは思い出した。

そこはハゴロモが、サキグロと一緒に卵を産んだ、大切な大切な場所だった。




「まあ!」

その時、延びて来た虹のふもとがハゴロモとあやめ池をすっぽりと包み込んだ。


 夢を見ているようだった。

何もなかった水辺に緑の葉っぱがグングン伸びて、見る見るうちに沢山のあやめの花が咲き乱れた。

きらめく水が田んぼに流れ込むと、風にそよぐ緑の稲が一面によみがえった。

枯れ草色の里山は、瞬く間に輝く新緑に変わっていた。

まぶしい日差しが谷戸にあふれ、青い空にはまっ白な雲が浮かんでいる。

「あぁ、あたしたちが一番輝いていた季節・・・」

ハゴロモは、そう言って胸を押さえた。



 見上げると、空の上から金色に輝くトンボがゆっくりと舞い降りて来た。


 あっ、あれは!

懐かしいサキグロの姿がそこにあった。


「サキグロ、サキグロー!」

ハゴロモは叫んだ。


 サキグロはハゴロモの前まで降りて来ると、ニッコリと微笑んだ。

「待たせたね」

「サキグロ!」

「先に済ませてしまおうか」

サキグロは、ひときわ大きな花を咲かせているあやめの根元を指差した。

「あっ!」

水の中に光るものが見えた。

ハゴロモは水の中の光るものに手を伸ばした。



「これって・・・」

ハゴロモの手に、金色に輝く小箱があった。

「ふたを開けて願いごとを言うんだ」

サキグロが言った。

ハゴロモは金色に輝く小箱をじっと見つめた。

「これは・・・」

サキグロがうなずいた。



 ハゴロモは恐る恐るそのふたを開けた。

箱の中は真っ暗で何も見えない。

いや、底知れぬ闇がどこまでも広がっているように見えた。


「大丈夫だ」

サキグロが微笑んでいた。

「願いごとを言うのね?」

「ああ」

ハゴロモは、暗い箱の中を覗いていたが、大きく息を吸い込むと願いごとを叫んだ。


「子どもたちがどんな一生を送るのか、あたしとサキグロがずっとずっと見ていられるようにして欲しい!」

ハゴロモは一息に言った。


 と、小箱のふたがパタンと閉まった!

「えっ! なに?」

白い煙がふわっと立ち上り、手の平の小箱がピシリと割れた。

「えぇっ、なんで!? どうしよう!」


 小箱はさらさらと崩れ始めた。

ハゴロモの手から、金色の粉がこぼれていく。


「あぁっ、そんなっ! サキグロー!」

宙に舞った粉はふわふわと漂い、ハゴロモの体を金色に染め、きらきらと輝かせた。




「もう大丈夫だ」

サキグロが微笑んでいた。

「えっ!?」

「願いが叶ったんだよ」

「あれって・・・」

「ああ。さっきのが幸せの小箱さ」

「サキグロ!」


 やっぱりサキグロはサキグロだった。

どんな時だって、無茶なことを平気な顔でやってしまうのだ。



「それじゃ、見てみようか?」

「え?」

サキグロはハゴロモを伴い、あやめ池に近づいて行った。

夏草の間からそっと覗くと、あやめの花影で一匹のトンボが飛び立つ時をじっと待っているのが見えた。

その羽は、向こうの景色が見えるほど薄く透明で美しかった。

ハゴロモが息を殺して見ていると、突然ふわりと舞い上がった。

トンボはすべるようにあやめの谷戸を飛び始めた。



「あれは?」

ドキドキしながらハゴロモが聞いた。

「ボクらの子どもさ」

当たり前のようにサキグロが言う。

「まあ!」

ハゴロモはサキグロを見つめた。

きっとそう言ってくれると思っていた。


「今は、来年の初夏なんだ」

「ホントなの?」

「もちろん」

「あぁ、サキグロ・・・」

ハゴロモには、何もかもが夢のようだった。



「ふむ。なかなか筋がいいね」

「ホント」

ひらりひらりと向きを変え、子どものトンボは鮮やかに谷戸を舞う。

二匹が見ている目の前で、スパッと向きを変えると空高く昇って行った。


「また見に来ようね」

「ええ」

二匹は顔を見合わせて微笑み合った。


「もっともっと、見せたいものが沢山あるんだ!」

「どこまででもついて行くわ」


 舞い上がった二匹は、寄り添ってあやめの谷戸をひと回りすると、七色に輝く虹の架け橋を渡って行った。


 冒険と、広い世界の壮大な物語を求めて。

青空が、どこまでもどこまでも広がっていた。

この空は、世界の果てまで続いているんだ!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トンボと虹 愛川あかり @aikawa_akari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ