第15話 秋の訪れ



 長く伸びたススキの穂を揺らして涼やかな風が吹き抜けて行く。

青い空にはまっ白ないわし雲が広がっていた。

サキグロは良い王様としてトンボたちに受け入れられたようだった。

もっともハゴロモに言わせると、王様らしいことを何もしないのが一番いいところなのだそうだが・・・



「オレは虹のふもとを探していたんだっけ・・・」

秋風のたつ草原を見ながら、サキグロは漫然とかつての日々を思い出していた。

虹のふもとを探し求めて憑かれたように飛び回った、嵐のような怒涛の日々を・・・

希望に燃えた若き日の、たぎるような熱い思いを・・・


「ふっ、冒険の季節はとっくに終わったんだ」

サキグロは、誰にともなくこう言うと静かに笑った。


 オレはここの王様じゃないか?

オレがぐらついててどうするんだ。


 王様の仕事がサキグロにしか出来ないことなのかどうかはわからなかった。

もちろん誰にでも出来るほど簡単な仕事ではない。


 でも、心のどこかでわかっていた。

これはオレにしか出来ないことなんかじゃない。

現にクロモンから託されたのだから・・・



「なぜ探すのをやめたんだい?」

サキグロが漏らした独り言に、すぐ前で寝そべっていた牛が顔を上げた。

「いつまでもそんなことばかり言ってられないだろ?」

自嘲気味にサキグロが言った。

「あぁ?」

「それが大人になるってことさ」

怪訝そうな顔をする牛に、したり顔でサキグロが言った。

「そういうもんかの?」

「そういうもんさ」

サキグロはハゴロモの顔を思い浮かべていた。


『虹のふもとは見つけられなかったけど、あたしは欲しいものを手に入れた。あたしが望んでいたのは、穏やかで幸せな日々。今がそうなの!』

ハゴロモはうれしそうにこう言った。

ならばそれでいいじゃないか。

サキグロは思った。



「お前はそれで満足なのか?」

のんびりと口を動かしながら牛が言った。

「うーん、退屈な毎日かな。でも、オレが好きなトンボは幸せだって言ってくれる。生きるってそういうことなんじゃないのか?」

「ふーん。お前が好きなトンボは、そんなお前に満足してるのか?」

「えっ・・・」

考えたこともなかった。




「どういうことだい?」

サキグロはキッと牛に顔を向けた。

「どういうこともこういうことも、当たり前の話だろ?」

牛は相変わらずモグモグと口を動かしていた。


 どういうことだ・・・?

ハゴロモは幸せだと言ってくれる。

それじゃあダメってことなのか?



「立場を変えて考えてみろ」

のんびりと牛が言った。

「立場を変えて・・・?」

「そう」

サキグロは懸命に考えた。



「あっ!」

「わかったか?」

「うーむ・・・」


 サキグロはネコに出会った日のことを思い出した。

ネコからトンボの楽園のことを聞いたあの日、ハゴロモは初めて不満らしい言葉を口にした。

それまでは全く気がつかなかった。

ハゴロモも自分と同じ気持ちで虹のふもとを探しているんだと思っていた。

でも、ハゴロモは自分を殺して、オレに付き合っていただけだった。

オレは申し訳ない気持ちでいっぱいになって、楽園行きを決めたんだった・・・



「あんたの言うこと、わかったよ」

「そりゃあ良かった」

のんびりと牛が答えた。


 そうだ。

オレが虹のふもとに未練があると、ハゴロモにだけは知られちゃいけない。

知られただけで、あいつの幸せは壊れてしまう。

オレの胸だけに留めておくんだ・・・

サキグロはギュッと地面を睨んだ。




 目を落とした地面をコオロギが忙しそうに歩き回っていた。

「なにをそんなに忙しそうにしているんだい?」

サキグロはジワリと染み出た何かがそれ以上広がらないようコオロギに話しかけた。

「だって、もうじき冬が来るだろ? いろいろやらなきゃいけないことがあるんだ」

「夏の間にいくらでもやれただろう?」

「ボクらは大人になるのが遅いんだ!」

コオロギはムッとした顔を向けると足早に去って行った。


「夏の間にか・・・」

サキグロは空を見上げた。

大きな入道雲がいくつも聳え立ち、目が痛いほどに輝いていた夏は、いったいどこへ行ってしまったんだろう・・・?



 ふと見ると、牛は相変わらずモグモグと口を動かしていた。

「なあ、冬ってなんだ?」

コオロギが言った知らない言葉が引っ掛かっていた。


「冬かぁ、いやな季節だなぁ。寒いし、雪がいっぱい降るし」

牛はうんざりしたように草の上に寝そべった。

「そんなに寒いのなら、オレたち虫はどうすればいいんだ?」

「ん? そう言えば、冬には虫を見たことないなぁ」

「えっ、見たことないってどういうことだい!?」

「どういうことって言われてもなぁ。ただ見たことがないだけだよ」

また少し、胸の奥にジワリと何かが広がった。



 すじ雲が美しいオレンジ色に染まっていた。

草原もオレンジ色に照らされて、いつもと違う景色に見えた。

「きれいね・・・」

「ああ」

サキグロは、ハゴロモと並んで夕日を見ていた。

「吸い込まれそう。なんだか懐かしいような気もする。ちょっと物悲しい気分だわ」

「そうだな」

夕焼けと胸の奥の何かが響きあっているようだった。

きっとそれは、この体のどこかに残る、形にならない遠い先祖の記憶なんだ・・・



「あれ? クロスジだ」

ハゴロモがぽつりと言った。

「ああ。誰か連れて来るのかな?」

「そうみたい」

やがてクロスジは、見知らぬトンボを連れてサキグロたちのところへやって来た。




「隅に置けないねぇ、その娘は誰だい?」

サキグロがニヤニヤしながらクロスジに言った。

「まあ、なんだな。お前たちにも知っておいてもらおうかと思ってのう」

クロスジが言うと、見知らぬトンボはにっこり笑って会釈した。

「わしにも好きな娘が出来たんじゃ。この娘はカガヤキ。いい名前じゃろう?」

クロスジは照れながらも、こう言って胸を張った。



「ああ、すごくいい名だ」

「わしがつけたんじゃ。出会ったときに輝いていたからのう」

「そうかそうか、よかったな」

サキグロとハゴロモは、にこやかにクロスジたちを迎えた。



「クロスジの彼女かぁ、これから楽しくなりそうね!」

うれしそうにハゴロモが言うと、クロスジは急に顔を曇らせた。

「それがのう、今日はお別れを言いに来たんじゃ」

「えっ!?」

ハゴロモとサキグロは、びっくりしてクロスジを見た。



「わしのう、どうしてもこいつが生まれた田んぼが見たいんじゃ。すまんのう」

申し訳なさそうにクロスジが言う。

「そうか・・・。でも、そういうことなら仕方ないな」

急にしんみりとしたムードになった。


「あ、でも、これから出発ってわけじゃないんでしょ?」

「うむ、もちろんそうじゃ。今宵は朝まで語り明かそう!」

その夜、真ん丸な月が、四匹のトンボをおだやかに照らし続けた。




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