第12話 トンボの楽園



 澄み渡る空がどこまでも続き、山に向かって緑の草原が広がっていた。

草原を横切る小道では、コスモスが野を渡るそよ風にやわらかく揺れていた。


「すーずーしぃ~~~っ!」

ハゴロモは大喜びで飛び回った。

「さわやかだの」

「ああ、来てよかった」


 ついに彼らはトンボの楽園に到着した。

まぶしい日差しが降り注いでいるが、都会のような暑苦しさはまるでない。

初めて来た場所なのに、青空に映える山々は不思議な懐かしさを感じさせた。

広い草原は、草と土のにおいに満ちていた。



「あれ? もしかして新しく来たの?」

一匹のトンボが長く伸びた夏草の茎にとまった。

「うん、さっき着いたの!」

飛び回っていたハゴロモがパッともどって来た。

「うれしい! みんなぁー、新しいトンボが来たよぉー」

大声で呼ぶとあちこちからたくさんのトンボが集まって来た。



「どこから来たの?」

正面のトンボが尋ねる。

「遅かったじゃないか、どこで道草してたんだい?」

横合いから別のトンボが話しかける。

「素晴らしい所だろ?」

「オレたちの楽園だ!」

後ろからも、上からも、たくさんのトンボたちがいっせいに話しかけて来た。

「ちょっと、ちょっと待ってぇ~」

うれしそうにしているのはハゴロモだけで、サキグロとクロスジは隙あらば逃げ出そうと様子をうかがっていた。



「冒険してたのよ。川を下り、海を越え、船に乗ったり、列車に乗ったり。すごかったんだから!」

「え、なに、なに、教えてぇ!」

既に、得意げに話し始めたハゴロモの独壇場になっていた。


「いやいや、そこから海を越えるのが大変だったのよ」

「で、どうしたの?」

「下は海だし、島は遠いし、振り返ったら陸地も遠くて、もう必死だったわ」

「だよねだよね、怖いよねぇ~」




 ハゴロモの話が佳境に差し掛かった時だった。

「何をやってるんだ!」

突然上から声がした。

「わっ、王様だ!」

「ごめん。またね」

「えっ、なに? どうしたのぉ~!?」

トンボたちは、あわてて舞い上がると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。



 サキグロたちの前に残ったのは、整然と隊列を組んだ一群のトンボたちだった。

「クロモン!」

隊列の真ん中にいたのはクロモンだった。

それまで黙り込んでいたサキグロとクロスジが飛び出していくと、クロモンはひらりと身を翻して、少し離れた竿の先に飛び移った。



「キミたちを歓迎する。だが、不必要に集まることは禁止している。覚えておいてもらおう」

威圧的な口調でクロモンが告げた。

「何を言ってるんだ?」

サキグロは、戸惑いながらクロモンを見た。


「むやみに集会を開くことは禁じている」

「集会?」

「今のは集会とは言えんのではないかのう」

「わかっている。だが、どこかで線を引かなきゃならないんだ」

「線を引くって・・・」

サキグロとクロスジは呆然とクロモンを見つめた。



「ただのおしゃべりならかまわない。だが、よからぬ相談をするやつがいてな」

「だから、全部禁止なのか?」

「そうだ」

サキグロとクロスジは顔を見合わせた。


 何かが違う。

今、目の前にいるトンボは、サキグロたちが知っているあやめ池のクロモンとは明らかに異なっていた。




「どうしたんだよ?」

サキグロが聞いた。

クロモンに近づこうとしたが、クロモンが飛び上がる気配を見せたので、サキグロはその場に踏み留まった。

「キミ等こそ、世界の果てへは行きつけたのかい?」

「いや、ダメだった。世界は広い!」

サキグロはおどけた調子で答えたが、クロモンはニコリともしなかった。



「そっちこそどうだったんだ?」

サキグロが聞いた。

「ボクはあれから、あちらこちらの田んぼや池を回って沢山のトンボたちを集めた。それからここへ連れて来たんだ」

「すてきじゃない。王様になったんでしょ?」

ハゴロモがうれしそうに言った。

「なにがすてきなものか!」

だが、クロモンははき捨てるようにこう答えた。

「だって、沢山のトンボに会いたがってたじゃない」

「ああ、うんざりするほどトンボと会ったさ」

憎しみを込めてクロモンが言った。



「世の中のトンボの半分は、技術、知識、教養において平均点以下だ。みたまえ、ここから見える沢山のトンボの半分は、平均点以下の愚か者なんだ。だから、甘い言葉にすぐだまされる」

クロモンは、ぞっとするほど冷たい顔をしていた。

ハゴロモは、不安になって後ずさった。



 クロモンがなにを言っているのか、サキグロたちには全く理解出来なかった。

「本当にトンボに害をなすのは平均点より少し上くらいの連中だ。もう少し努力してそこを突き抜ければ、違う世界が見えて来るのに、彼らはその努力を厭う。自分のことしか考えず、都合の悪いことはみんなまわりのせいにする。狭い仲間内でしか行動しないくせに、二言目には『みんなが』と言う。そのくせ常に仲間を見下し、利用しようと狙っている」

クロモンの目にメラメラと怒りの炎が燃え広がるのが見えた。




「努力し続ける意志も能力もないくせに、ほかの者に負けるのは我慢ならない。狭い仲間内でさえ、嫉妬や妬みの目を向け合い、いじめやいやがらせは日常茶飯事。恥ずかしげもなく卑怯、卑劣な行動をとる。損得ばかり考えていて、いつもずるがしこい目で他人を盗み見ているやつらだ」

クロモンは憎々しげに続けた。



「こんな連中にどれだけ苦しめられて来たことか。彼らは、みんなが幸せになる方法なんて考えようともしない。だから解決策を出すことなんて出来ないし、出す気もないんだ。それでいて自分の損得には敏感で、不満を言うことだけは一人前だ。批判することしか知らず、クズ同士で徒党を組み、自分たちの不満だけを声高に主張して、全体のことなんてこれっぽっちも考えない」



「おまえ、変わったな」

サキグロがポツリと告げた。

「変わりもするさ。こんな連中と一緒にいればな」

「だから集会禁止なのか?」

「そうだ」

「少しずれてるようだがのう」

クロスジはため息をついた。



 再びクロモンの顔が怒気にゆがんだ。

「ここはボクの国だ! ボクがみんなを連れて来たんだ!」

「だからって、あなたの好きにしていいって事にはならないわ」

「ふん!」

クロモンはじろりとハゴロモを睨みつけた。


「まあいい。とにかく集会は禁止だ。次は容赦しない」

それだけ言うとクロモンは飛び上がった。

空中で、隊列を組んだトンボたちを従えると振り向きもせずに去って行った。



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