第40話 「札束で殴る」。それが俺のアイデンティティ

 レースが再開されてから、俺は必死で走った。




 豪雨で視界が悪く、ずぶ濡れの路面は氷みたいに滑った。


 滑りながらも、車はグイグイと前に進んでくれる。

 さすがは蹴り出しトラクション自慢のポルシェ911GT3R。

 いいマシンだな。


 無心で走っていると、順位は14位まで回復していた。


 凄いことのように聞こえるが、今まで俺が抜き返してきたマシンは下位クラスのマシン。

 車の性能が低く、追い抜けて当然な相手だ。


 ここから俺の前にいる13台こそ、車の性能が互角な本当のライバル達。


 BMW M4 GT3

 シボレー・コルベットZ06 GT3.R

 マクラーレン720S GT3

 メルセデスベンツAMG GT3

 ベントレー・コンチネンタルGT3

 レクサスRCF GT3

 アウディR8 LMS GT3

 ランボルギーニ・ウラカンGT3

 ホンダNSX GT3

 アストンマーチン・ヴァンテージGT3

 マツダRX-7 GT3

 フェラーリ296GT3


 そしてはやが乗る、日産GT-RニスモGT3。


 みんなお高いレーシングカーだ。

 13台合計で、9億円ぐらいだな。




「……うっ!」


 後方バックモニターに、日産GT-RニスモGT3のヘッドライトが映った。

 あのヘルメット……。

 運転しているのは速水だな。


 ちくしょう。

 もう周回遅れにされちまう。


 周回遅れがトップの邪魔をするとペナルティを取られるが、素直に抜かせたくはない。

 

 だがそんな俺の意地をあざ笑うかのように、速水は軽々と俺を抜いていった。


 これで1周遅れか……。




『潤一兄ちゃん、もうピットに戻ってくるんだにゃあ。ゆめちゃんが「早く走らせろ」って、爆発寸前だにゃあ』


 珠代ちゃんから無線が入った。


 まったく……。

 ウチのメイドはこらえ性がない。


 だが、そろそろ交代しないとな。

 もう、体力的にキツいし。


 1人のドライバーが長く走り過ぎると、失格になってしまうし。




 俺はピットに戻り、夢花と運転を交代した。


「ご主人様! あとは任せて!」


「飛ばし過ぎて事故るなよ」


「大丈夫! ご主人様がくれた成功の象徴が、あたしを守ってくれるから」


 夢花はレーシングスーツの胸元をトントンと叩いてから、マシンに乗り込む。


 「ドリームフラワー」のネックレスを、中に着けているのか。




 水飛沫を上げながら、ポルシェ911GT3Rは勢いよく発進していった。




「ん? 夢花の奴、スリックで出て行ったのか?」


 夢花が履いていたのは、溝無しの晴れ用スリックタイヤ。

 乾いた路面だと恐ろしく食い付くが、濡れた路面だと排水用の溝がないせいで滑りまくる。


 確かに雨はもう止んでいる。

 しかし、路面はまだかなり濡れていた。

 スリックでは、まともに走れたもんじゃない。


 速水のGT-Rや他の車も、雨用レインタイヤを履いているのに。




 俺はヘルメットを脱ぎ、ひと息ついた。


「ふう……。サーキットのヒーローには、なり損ねたか……」


「どうやら速水には、敵わなかったようね」


 背後から話しかけてきたのは、ゆきだった。




「でも、素晴らしい追い上げだったわ。私が心配していたほど、腑抜けていたわけじゃなさそうね」


「お前……。俺を奮起させるために、挑発してレースに引き戻したのか?」


「まあそんなところね。夢を諦めて、無気力になっちゃったんじゃないかって」


「心配してもらわなくても、毎日充実した生活を送れている。素晴らしい家族に恵まれてな」


「ごめんなさいね。あなたの家族を悪く言ったこと、取り消すわ」


「いいさ。本心じゃなかったって、気付いていたよ」


「本当に凄い子達よね。さっき、りつ先生とちょっとだけお話したの。あの人レース畑の人間じゃないのに、競技規則や車両規則、ライバルチームの情報まで頭に入っているのね。おまけにウチのチームの戦略を、言葉巧みに聞き出そうとしてきたわ」


「のりタン先生の頭脳なら、それぐらいやるさ」


「夢花ちゃんも、あの運転でしょう? あなたをダメにするどころか、あなたを支えてくれる得難い味方……。え? 夢花ちゃんのペース、速くない?」




 美雪も気付いたか。


 雲の切れ間から、陽光が差し込み始めたサーキット。


 夢花が駆るポルシェ911GT3Rは、水飛沫を上げながらコースを疾走していた。


 だがその水飛沫は、俺が走っていた時よりずっと少ない。




「路面が乾いてきたんだよ。こうなると晴れ用スリックタイヤを履いている夢花の方が、周りの雨用レインタイヤ勢より圧倒的に速い」


「あれだけ路面が濡れていたのに、スリックで出たの? ツルツルに滑って、運転大変だったでしょうに……」


「ウチのメイドは、人間離れしているんでね。……ほら、お前の旦那もピットに帰ってきたぞ。もうスリックに履き替えないと、雨用レインじゃタイヤがオーバーヒートしちまう」




 速水のGT-Rだけじゃない。

 他のチームも、軒並みピットインして晴れ用タイヤに履き替えた。


 その間も夢花は走り続け、順位が7つ上がる。


 速水のGT-Rはトップのまま。

 同一周回までは戻せたが、夢花のポルシェとはまだ1周近い差がある。




「まさかあなたのチーム……ここから優勝を狙っているの? 本気?」


「本気だ。俺はドライバーとして速水に完敗したが、チームオーナーとして、出資者スポンサーとしての戦いには負けるわけにはいかない」


 いくら相手が自動車メーカーワークスチーム様だからって、650億円も出資して負けたら悔しい。


 それに俺が仕込んだタマは、これだけじゃない。




「いくら夢花ちゃんが速いからって、1周近い差を逆転するなんて……。あら? 気のせいかしら? 観客の数が……」


「気のせいじゃないぜ。土砂崩れで塞がれていた道路が、復旧したみたいだな。やっと応援団の御到着だ」


 会話をしている間にも観客は増え続け、グランドスタンドを埋めていく。


 そのほとんどは、ピンク色のシャツやキャップを身に着けていた。


 我らがヌコレーシングの応援グッズだ。


 スポンサーである、カナユメチャンネルのロゴもしっかり入っている。

 うむ、配信動画の宣伝にもなるな。




「GT500チームみたいな規模の応援団ね。でも、応援が増えたぐらいで勝てたら苦労しないわ。速水はプロよ。敵チームの応援団に気圧されて、ミスをしたりは……」


「あいつメンタル強いからな。多少の応援団じゃ、プレッシャーを感じないだろう。だから、多少じゃ済まない規模の応援団を呼び集めることにした」


「……へ?」


 クールな美人である美雪がポカーンとしていると、面白いな。

 写真撮って、速水ダンナに見せてやりたいぜ。






「サーキットのヒーローにはなり損ねたが、お金で全てをなぎ倒すヘンテコヒーローの座は譲れないな」




 サーキットの駐車場に続々と、大型のシャトルバスが入ってくるのが見えた。





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