第39話 財力VS組織力

 TKGスーパー耐久レースinオートポリス。


 俺の復帰第1戦で、夢花のデビューレースだ。




 今日は予選日。


 俺はピットのコンクリート壁から、メインストレートを駆け抜けるポルシェGT3Rを眺めていた。


 運転しているのは夢花だ。


 ……速い。

 乗れているな。


 感心しながら眺めていると、隣に気配を感じた。




かなおい先輩、お久しぶりです」


「日産企業ワークスドライバー様が、アマチュアのオッサンを先輩呼びするなよ」


 彫が深いイケメンのこいつははやかけ

 日本最高峰のレース、GT500に乗るプロ中のプロだ。


 そして俺の恋人だった、速水ゆきの旦那でもある。




「いつになっても、金生先輩は僕の先輩ですよ。10年前、先輩に助けてもらえなかったらここにはいなかったでしょう」


「あの時無事に済んだのは何よりだが、スーパー耐久ここにはいて欲しくなかったぜ。ワークスドライバーがワークスチームで参加するようなレースじゃないだろう? アマチュア主体のレースだぞ? 自動車メーカーが大人げない」


「はははっ、勘弁してください。アップデートしたGT-RニスモGT3の実戦データを、本社が欲しがってるんで」


「手加減してくれたら、10億出すぞ?」


「10億は魅力的ですが、これでも自動車メーカーの看板を背負っているんでね。負けると美雪にも怒られますから。……全力で狩らせてもらいます」


 肉食獣じみた笑みを浮かべると、速水は軽い足取りで自チームへと帰っていった。




 代わりにのりタン先生がやってくる。

 ピンク色のチームシャツが、よく似合っていた。




「今の人、日産ワークスの速水選手ですよね~? お知り合いなんですか~? 10年前にどうこうとか、ちょっと聞こえちゃったんですけど~」


「あいつはアマの頃、同じチームの後輩だった時期があるんです。10年前、ちょっとした事件がありましてね……」




 あれはひどいレースだった。

 豪雨と濃霧で視界が悪く、まともに走れるような天候じゃなかった。


 前を走っていた速水が滑ってコントロールを失い、ガードレールに激突したんだ。

 マシンから火が出た。


 俺は自分のレースを放り出して車を停め、消火器片手に救助へと向かってしまった。

 コース係員マーシャルが駆けつけるより、自分の方が早く助けられる位置にいたからだ。


 車両火災ならすぐにレース中断になり、順位は落とさないだろうという計算もあった。

 ところが中断のタイミングが遅れたため、俺達のチームは最下位まで順位を落としてしまったんだ。


 年間シリーズ王者チャンピオンに、手が届きそうなシーズンだった。

 俺達の夢は、雨のサーキットに消えた。


 その後俺は自暴自棄になり、自堕落な生活を送った。

 当時勤めていた会社もクビになった。

 しばらくして、美雪からも別れ話を切り出された。


 そうして俺は、皆の前から消えた。




「ヌコレーシングのみんなは、レースを放り出して救助に向かった俺を責めませんでした。だけどみんなの夢まで台無しにしてしまったことが気まずくて、俺はレースの世界を去った」


「金生さん……」


「もう1度同じ状況になったら、今度はもっと冷静な判断をしたいですね」


 快音を響かせながらストレートを駆け抜ける、夢花のポルシェ。

 その姿を見つめながら、俺は自分に言い聞かせていた。






■□■□■□■□■□■□■□■□■






 予選タイムアタックでは、夢花がコース最速記録レコードを叩き出した。

 女子高生新人ルーキードライバーの快挙に、サーキットは湧いた。


 しかし、チームの予選順位は2位。

 ドライバー2人の合計タイムで、順位が決まるからな。


 俺のタイムもアマチュアの中ではトップクラスだったが、速水達プロコンビには敵わない。




 レース決勝日はひどい雨だった。

 10年前を思い出させる。


 ニュースによると、サーキットに来る途中の道で土砂崩れが起こったらしい。

 おかげで観客の数も少なめだ。


 まずは俺の運転で、決勝レースがスタートした。


 日産ワークスのGT-RニスモGT3は速すぎる。

 俺ではとても、ついていけない。


 圧倒的才能と、技術を持ったプロ達。

 巨大自動車メーカーの組織力。

 財力だけの俺では、太刀打ちできないのか?


 ドーナツ型のテールランプが徐々に小さくなり、水煙の向こうに消えてゆく。


 2位を守る走りに切り替えようか、考えていたその時だ。




 水煙の向こうで、オレンジ色の閃光が瞬いた。




 速水のマシンが燃えた、あの時と同じだ。


 今回は周回遅れの車が事故って、炎上したんだ。




 もう10年前と、同じ過ちは犯さない。


 救助はコースマーシャルに任せて、俺は自分のレースを……。




 気が付けば俺はマシンを降り、炎上している車に消火器を浴びせていた。




 なんだこの状況は?


 これじゃ10年前と同じじゃないか?




 今回もやっぱり、レース中断までに時間差があった。

 おかげで順位は最下位だ。

 遅いクラスの車にまで、前に行かれてしまっている。




「みんな……、すまない。またやってしまった……」


 自分の車に戻った俺は、無線でヌコレーシングのみんなに謝罪した。

 10年前は責めないでくれたが、今回はさすがに2度目だしな。


 罵声が飛んでくることは、覚悟していた。




『何を言ってるんですか!? あそこで助けに行かなければ、わたしの好きな金生さんじゃありません!』


 いつもと違い、間延びしていない口調で叫んだのはのりタン先生だった。




『旦那様。自動車メーカーの看板を背負うワークスドライバーなら、勝利のために非情に徹しなければならぬ時もあるでしょう。しかし旦那様は、出資者スポンサーと選手を兼ねるジェントルマンドライバー。救助に向かわれたのは、実に紳士ジェントルマンらしい振る舞いだったと私は思います』


 無線機越しでも、アレクセイの声は頼もしいな。




『にゃあ。じゅんいち兄ちゃん、ゴメンだにゃあ。10年前はタマヨも近くにいたのに、ちゃんと言うのを忘れていたにゃあ。あの時の潤一兄ちゃんは、カッコよかったんだにゃあ。もし勝っていたとしても、速水選手に何かあったらみんな喜べなかったと思うにゃあ』


 珠代ちゃん……。

 優しい子だな。




 レースが再開する。

 俺は最下位から、追い上げないといけない。




『あ~、ご主人様。あんまり気張らなくてもいいわよ? ご主人様のお仕事は、お金を出すことでしょう? ドライバーなんて肉体労働は、使用人のあたしに任せて』


「夢花。お前は俺を、金づるぐらいにしか思っていないな?」


『いいえ。あたしにとって、ご主人様はヒーローよ。アパートでお裾分けをもってきてくれていた、あの頃から。今はお金で全てをなぎ倒すヒーローね』


「なんだそれは?」


 ヘルメットの中で、思わず噴き出してしまった。

 そんなヒーローがいてたまるか。






 よーし。

 お金以外でも、ヒーローになってみせようじゃないか。


 足掻いてやる。





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