第6話

 并州騎馬隊にとって馬は友であり命であった。だから并州騎馬隊に所属する者は調練の直後に愛馬の手入れをする。次に武具で、最後に自分達のことだ。

 高順は愛馬である黒竜の手入れをしながら先ほど負けた模擬戦について考える。

 騎馬隊の用兵では呂布より高順の方が上だろう。だが、呂布は個人の武勇で部隊の敗勢を一変させる。落馬したら戦死という決め事とは言え、高順と張遼を同時に相手をし、それを一蹴するなど并州に武人多しとは言え呂布しかできないことだ。

 親友との個人の武勇の差。そこにあるのは泰山のごとき高さだ。

「ままならぬものだ」

 高順が小さく呟くと、高順の愛馬である黒竜が慰めるように高順に顔を寄せる。高順は苦笑しながら黒竜を撫でた。

「おう。珍しいものを見たな」

「呂布殿か」

 そこにやってきたのは酒瓶を持った呂布であった。

「滅多に笑わない兄弟も黒竜には笑みを見せるか」

「并州の人間には珍しくもあるまい。呂布殿も赤兎馬とよく語り合っているようだが?」

「赤兎馬は俺そのものよ。だからこそ兄弟以外には言えない悩みも語る」

 高順は黒竜の手入れを終えて幕舎へと歩き出す。それに呂布もついてくる。

 并州騎馬隊はこうした実戦訓練を頻繁に行う。いつ起こるかわからない鮮卑の侵攻に速やかに対処するために訓練は欠かさない。時折、并州騎馬隊と并州歩兵隊の合同訓練も行われる。こうして常に実戦の意識を欠かさせないことに并州軍の精強さが現われていた。

 高順は愛馬の手入れを終えると幕舎へと向かう。呂布も酒瓶に口をつけながら高順についてきた。兵達は愛馬と武具の手入れが終わった者から夕餉の準備のために火を燃やし始めている。

「うちの魏越と成廉が鹿を何頭か狩ってきた」

 思い出したように呂布が口を開いた。魏越と成廉の出身は匈奴だった。だから狩猟も上手い。魏越と成廉のことだから狩る頭数で賭けでもやったのだろう。

 そう考えながらも高順は口を開く。

「并州騎馬隊全員に行き渡らせることが可能ですか?」

「あの二人だからな。いくつかの群れから選別して大きな獲物を捕ってきたさ」

「それでしたらまずは兵達に」

「わかってる。すでにそう言ってあるさ。」

 そこまでいうと呂布はニヤリと笑って高順を見てくる。

「大丈夫だ兄弟。俺達が食べても余るくらいの量になる」

「一体あの二人は何頭狩って来たのですかな?」

 高順の呆れた問いに呂布は大きく笑い飛ばしただけだった。

 そして高順と呂布は同じ幕舎に入る。戦の時は別々だが、基本的に訓練の時は呂布、高順、張遼は同じ幕舎を使用する。そこにそれぞれの部隊の副長や兵士達がやってくることもあるために宴会場になることも頻繁だ。

 しばらくすると張遼が三人分の夕餉を持って幕舎へと入ってくる。それを見て呂布は笑った。

「どうした張遼。俺たちに対しての貢物か?」

「ある意味ではその通りですな。魏続殿から幕舎へ戻るならついでに持って行ってくれと押し付けられました」

 魏続は呂布率いる赤騎兵の副長である。魏続の親類が呂布の正室となっており、口の悪い赤騎兵は「女の股座で副長の座を買った」等と悪態をついていることもある。だが、赤騎兵としての武勇は持っており、部隊指揮も呂布より上手かった。だからこそ呂布も魏続を赤騎兵の副長としているのだろう。親類の情も多分にあるのは間違いないと考えているのを高順は誰にも語ったことはない。それは魏続の誇りを傷つけることになるからだ。

 張遼が持ってきた夕餉を三人で食べる。呂布と張遼は酒も飲んでいた。訓練の時には禁酒が徹底されているが、訓練は今日の赤騎兵対黒騎兵・青騎兵連合戦で終わりだ。だからこそ兵達にも酒が振舞われている。

 并州騎馬隊は戦にも強いが酒にも強い。

 そう言ったのは并州歩兵隊を預かる秦宜禄の言葉だった。それを証明するように幕舎の周りでも酒が入って陽気に騒いでいる兵士達の声が聞こえる。

 高順はそんな騒ぎを聞くことが好きだった。今を生きていると感じることができるからだ。高順は酒が呑めないぶん余計にそう感じるのかもしれない。

「どうだ兄弟。今日こそ一杯くらい付き合わないか?」

「無理を言うな呂布殿。また倒れたら丁原殿から大目玉を食らうのは呂布殿だぞ」

「うむ、確かにそれは面倒だな」

 呂布の高順が呑めないことに対する揶揄いもいつものことだった。過去には一度だけ呑んだ時は一口目で昏倒し、無理矢理呑ませたと言うことで呂布が丁原から説教を受けたのだ。そんないつも通りのやり取りを張遼も苦笑しながら見ている。

 張遼からすれば二人の武勇は正しく雲上人だ。自分も并州騎馬隊の一つを預けられるに足る武勇は持っていると思っているが、まだまだ二人には及ばないと思っている。

「さて、今日は誰が喧嘩するかな」

「前回は魏越と宋憲でしたかな」

 血気盛んな并州騎馬隊に酒が入れば喧嘩が起こるのがいつものことだ。張遼だってやるし高順が引き摺り出されることもある。呂布がでた時は赤騎兵の兵達の大半が参加しての大喧嘩になった。一応、刃物は禁止しての体術のみの喧嘩だが、それでも怪我を負うことなど珍しくもない。

 しばらくすると幕舎の外が騒がしくなってくる。予想通りに誰かが喧嘩を始めて、それを并州騎馬隊の兵士達が囲んで観戦し始めたのだろう。

「大将。今日も始まりましたぜ」

「おう、成廉。今日は誰だ?」

 幕舎に楽しそうに飛び込んで来た成廉に呂布が問い返す。

「今日はうちの侯成と黒騎兵の高雅ですぜ」

「高雅だと?」

 意外な人物に高順が思わず呟く。高順と高雅は従兄弟である。高順に似て寡黙であるが、戦場に出れば黒騎兵の中でも有数の働きを示すのは黒騎兵だけでなく、赤騎兵にも知られている。だが、血気盛んな并州騎馬隊にあって高雅は穏やかな性格であり、いつもの喧嘩もどこか一歩離れたところで眺めており、実際に参加したことはない人物だった。

 高順の言葉に気づいたのか成廉が面白そうに笑いながら口を開く。

「魏続と侯成と宋憲の三人が高雅の強さを直に見てみたいと思ったらしくてね、高雅の前でわざと高順の旦那を愚弄したみたいですぜ」

 その言葉に高順は呆れる。寡黙で穏やかな高雅だが、唯一の逆鱗が従兄である高順を愚弄されることである。その欠点を三人に突かれて喧嘩の場に引きずり出されたのであろう。

 呂布は楽しそうに立ち上がり、高順と張遼は呆れたように立ち上がって幕舎から出て行く。幕舎から少し行ったところに赤騎兵、黒騎兵、青騎兵の兵士達が囃し立てながら巨大な円を組んでいる。呂布と高順と張遼が近づいていくと、三人に気が付いた兵士達が道を開いて中心に近づけるようになった。

 円の中央では侯成と高雅がお互いに腕や首を鳴らしながら向かい合っている。

「お、大将と高順の旦那、それに張遼はどっちに賭けます」

 そこに近づいてきたのは賭けの籠を持った魏越だった。既に大半の兵士達から受け取っているのが籠の中には多くの銭が入っていた。

 呂布は笑いながら多くの銭を侯成の籠へ入れ、高順は無言で高雅の籠へ銭を投げ入れる。張遼は少し迷ったようだったが、侯成の籠へと銭を入れた。

 三人が入れたことで賭けが終了したのか、魏越は審判役の曹性に合図をだす。曹性もいつもの不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。

「決まりごとはいつも通り。武器の使用禁止。相手はできる限り殺さない程度に。決着は気絶するか、俺が決まったと思ったときだ。いいか?」

 曹性の言葉に侯成は威勢よく答え、高雅も無言で頷く。

「始め」

 曹性の言葉に声を挙げながら侯成は高雅に殴りかかる。高雅は殴りかかってきた侯成の右手を捌きながら蹴りを侯成の腹に叩き込む。侯成はその蹴りをもらいながらも高雅の足を掴み、そして再び声を挙げながら高雅を投げ飛ばす。周囲にいた并州騎馬隊の兵士達は囃し立てながら高雅を受け止めると再び円の中心に押し戻す。高雅もその押された力を利用して侯成に体当たりして侯成を押し倒す。三発の拳を高雅が侯成の顔面に叩き込むが、侯成が殴られた衝撃で切れた口の中の血を高雅の目に向けて飛ばし、高雅がそれに怯んだ隙に侯成は高雅を蹴り飛ばした。

「伝令」

 周囲の并州騎馬隊の兵士達が盛り上がって来たところで丁原からの伝令がやってくる。呂布、高順、張遼は伝令のところに向かうと、伝令も三人を確認して拱手をして口を開く。

「并州騎馬隊は晋陽に戻れとのことです」

 その言葉に呂布は肩をすくめながら高順に口を開く。

「新しい仕事のようだな、兄弟」

「鮮卑がまた侵入して来たのでしょうか?」

 張遼の言葉に呂布は首を振る。

「さてな。まぁ、俺達がやることは変わらんさ」

「それは?」

 高順の言葉に呂布は不敵に笑う。

「親父殿の敵の首を落とす。それだけさ」

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