第6話 自称:婚約者

『アリシア!! 今日も凛々しかったわ、素敵!! ……あの言葉が真実となれば、もっと嬉しいのになぁ~』

「……そう? ありがとう。ウィンク」

 フレドリックと満足するまで会話(正確に言うと罵り合い)をした後、人気のない廊下でアリシアはウィンクと話をしていた。

 アリシアは誉め言葉にのみ反応を示す。後半の言葉に対する反論は、飲み込んだ。


 ──大精霊も、俺たちのことが大好きだからさ。少し怒ったくらいじゃ、こっちに手を出してこないと思うよ。ほら、俺たちが抱き合っていた時も、周囲の環境を荒らすだけで俺たちに危害は加えなかったじゃないか。……そっちも、上手いこと躱していこう。


 フレドリックからのアドバイスを思い出す。彼の言う通り、ウィンクの前で表立って彼のことが好き、などと言ったり、そういった態度を出さなければ、彼女は終始ご機嫌だった。前までは彼の話題を出されるとしどろもどろになってしまったが、今ではそれとなくはぐらかしたり、触れなかったりして、躱すことにも慣れた。

 やはりフレドリックは自分より多くのことを知っていて、優秀なのだ。そう思うと何度でも惚れ直してしまうし、自分も彼の隣が似合うような女性になれるよう、精進しなければならないと感じる。

 最近はウィンクとの連携にも慣れ、大きな魔法を扱えるようにもなり、試験でも良い順位まで上り詰めた(もちろんというか、一位はフレドリックだった)。生徒たちからは羨望の眼差しを感じることもある。

 少しは、フレドリックに近づけているのだろうか? アリシアは自分の胸に一人、問うた。

 フレドリックを想うアリシア。その上の空の態度に、苛立ちを隠す様子もない者が一人。……ウィンクは、ぷくーっ、と頬を思いっきり膨らませた。

『ちょっと、アリシア!! あたしへの答えが適当なんじゃない!? もっとあたしに構ってよー!!』

「え、そ、そう? ごめんなさい、そんなつもりはなかったのよ」

 アリシアは意識を現実に戻し、不貞腐れている大精霊に慌てて弁解をする。そして服のポケットに手を入れた。こんなこともあろうかと、対策は講じ済みなのである。

「ほら、貴方のためにクッキーを焼いたのよ。良かったら食べて」

『アリシアのクッキー!! 食べる食べる~!!』

 ほのかに香る、芳醇なバター。それを目の前にちらつかされたら、ウィンクが抗えるはずもなかった。数秒前の苛立ちなど忘れ、大きなクッキーを両手で抱えて食べ始める。

 その笑顔はとても愛らしく、アリシアは思わず微笑んだ。付いているわよ、とクッキーの欠片を指先で拭ってやると同時、頬を突く。ウィンクはくすぐったそうに声を上げ、指から逃れるようにひらひらと宙を舞った。頬に触れることが出来たのはわずか一瞬だったが、それだけでやみつきになってしまいそうなほど、ウィンクの頬の弾力は凄まじい。

 こうしていると、年の離れた妹の相手をしているようだ。こんなにも可愛らしいのに、その力は獰猛な獣以上だという。頭が混乱しそうだ。

 もちろん、警戒を忘れるわけではない。でも今は、ウィンクの可愛さを堪能していた。

「お、旨そうなクッキー。一つ貰うぜ」

 そこで、アリシアの持つ袋の中に手が伸びる。その手はアリシア作のクッキーを五枚ほど同時に掴むと、その大きな口に運んだ。一つ、と言ったのに五枚持って行っているのだ。これは如何に。

 アリシアは思わず、うわ、と言いたくなってしまった。だがそれはすんでのところで抑え、こほん、と咳払いをする。

「……バーングニアス様。勝手に取らないでいただけますか。許可を取ってください」

「ん? 一つ貰うって言ったじゃねぇか」

「それは許可を取るとは言いません……答えを聞く前に取っているのですから。あと、一つじゃなくて五枚も取っていますし……」

 アリシアはため息を吐きたい気持ちでいっぱいだった。彼女は沢山の文句を告げたが、その一つも彼は聞き入れないのだろうと、分かっていたからである。

 案の定、彼は「細かいことは良いじゃねぇか。それより!!」と告げ、アリシアにぐっと顔を近づけた。なかなかの濃い顔が一気に眼前に迫り、アリシアは思わず口の端を痙攣させながら一歩引いてしまう。

「俺のことぁボルクで良いって、いつも言ってるだろ?」

「……何度も申していますが、交際もしていない男女が愛称で呼び合うなど、常識で考えてあり得ないことです。お断りします」

「相変わらず固いな~、は」

 そう言うと男は、アリシアの腰を抱き寄せる。口から零れかけた悲鳴は、なんとか押し留めた。

 嫌だった。こうして体に触れられることも、本来フレドリックのみしか使わない愛称で呼ばれることも。

 だがそんなことに構わず、男は告げる。

「いいじゃねぇか。どうせ俺たち、将来は結婚するんだろ」

 そう堂々と告げるこの男の名は、ボルケニク・バーングニアスである。

 彼がそう言うのは、そして高嶺の花だと言われているアリシアにやけに馴れ馴れしいのには、理由があった。

 彼はアリシアより一つ年上の青年である。アリシアより一年早い成人の儀、その際にボルケニクは、火の精霊の加護が受けているのだと判明した。

 それだけではありふれたことなのだが、彼と火の精霊はどうやら相性が良いらしく、とても高レベルな魔法を扱うことが出来た。お陰で彼は、火属性を扱う人間の中では有名人、最も出世に近いと言える。

 そして一年遅れて現れたのは、光の大精霊の加護を受ける乙女。国に重宝される乙女は、結婚相手にすら注目される。その候補として挙がったのが、火の精霊の加護を受ける、ボルケニクだったのだ。光と火は、親和性が高い。しかも大きな力を持つ者同士だ。お似合いの二人だと言えるだろう。

 もちろんあくまでこれは下馬評に過ぎないのだが、ボルケニクはこれを真に受けていた。いつの日かアリシアをめとるのは自分なのだと信じて疑わず、その結果、アリシアにこうして軽い態度で接することが出来るのだ。

 アリシアには、大迷惑過ぎる話である。

「……こちらも何度も申し上げていますが、根も葉もない噂を吹聴して回るのはやめてくださいと……!!」

「そうか、照れているんだな? アリスは可愛いな!!」

 ……とことん話が通じない。元より、自分に都合の良いことしか聞こえない体質なのだろう。アリシアは頭を抱えたくなった。否、もう抱えていたかもしれない。だがやはりボルケニクは、アリシアが嫌がっていることになど、微塵も気づくことはないのだ。

 遂にその胸の中に捕らえられそうになり、ちょっとした目くらましでいつも通り逃げようか……アリシアがそう考えた、その時。


「──校内で抱き合うなど、恥ずかしいとは思わないんですか?」


 見知った声が、響き渡った。

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