第4話 降りしきる大雨

『……お前って、本当に脳筋。すぐ手が出るの、どうにかならないの』

『なっ……!? あっ!! あんたは……ドゥ・シャイ!!』

 フレドリックの前に現れた小さな影が巨大な闇を生み出し、その光線をばくんと飲み込んだ。

 ドゥ・シャイ、と呼ばれた大精霊は、冷ややかな瞳をウィンクに向けている。どうやら知り合いであるらしい。

 そのままウィンクとシャイは口喧嘩をし始めた。アリシアがぽかん、としていると……誰かがアリシアの前に跪く。誰か、というのは聞くまでもない。フレドリックだった。

「大丈夫……じゃあ、ないよね」

 ごめんね、と呟き、フレドリックはアリシアの涙を拭う。拭われても拭われても止まらない涙に、彼は一切面倒くさそうな表情などしなかった。

 その優しさが心にしみて、アリシアはまた涙を流す。しばらく、止まりそうになかった。

 するとフレドリックは……優しくアリシアを抱き留めた。

 今まで何度もされていたことだ。だがしかし今日は、今日は思わず、肩を震わせてしまう。自分がこうして触れてもらってもいいのか。そう考えると、自然と緊張して、体を固くしてしまった。

 それと同時、天候にも変化が生じる。先程まで小雨だったのが、盆をひっくり返したような大雨が降りしきり、冷気が辺りに蔓延り、空には雷鳴が轟いていた。

『ちょっとあんた!! アリシアから離れなさい!!』

『フレドリック、離れて……不快だから』

 大精霊たちも文句を告げる。アリシアも、抵抗して彼の腕から逃れようと思った。……だがそこは、男と女。フレドリックが本気でアリシアを逃さぬよう抱き留めたら、アリシアが逃げられるわけがない。

 やがてアリシアの体から力が抜けた。フレドリックにその身を預けるのが分かり、フレドリックは思わず微笑む。そして彼女の体を抱きしめ直した。もう力強く抱きしめる必要は無い。痛くするのは、本望ではないのだ。

 大雨がフレドリックの肩を叩く。彼はまるでアリシアの傘のようになり、彼女はあまり濡れることはなかった。

 こんなところでもアリシアは、フレドリックの良さにまた一つ、気づいていく。

「アリス……俺のことが、嫌いになった?」

「っ!? まさか、そんなこと──!!」

 頭上から聞こえるフレドリックの悲しそうな声に、慌ててアリシアは答える。……だがすぐに、その言葉は止められる。自分の声を聞いているであろう大精霊たちのことが気になったからだ。

 だがその不安も、彼が噴き出したような声が聞こえたことで吹き飛ばされてしまう。顔を上げると、至近距離でフレドリックは笑っていた。

「ふははっ……ごめんごめん、アリスが素直に慌ててくれるから」

「も……もうっ、からかわないで!」

 そして紡がれた言葉で、フレドリックはわざと悲し気な声を出していたのだと気づく。思わず頬を膨らますと、ごめん、と彼は謝った。笑いつつだったので、全く悪いと思っていなさそうだったが。

 だがすぐにフレドリックは真面目な表情になった。つられて、アリシアの心に宿った熱も冷めていく。

 ぽたり、と、彼の髪からつたった雨粒が、アリシアの頬に落ちる。それほど今彼は、アリシアの近くにいる。

 誰よりも、傍にいる。

「アリス……アリシア。俺は君を、愛している。世界中の誰よりも」

「……!!」

 その真っ直ぐな告白に、アリシアは思わず目を見開く。その瞬間、空に巨大な雷鳴が轟いだ。だが今はそのようなこと、二人には何も関係がなかった。

 フレドリックは、アリシアの頬に垂れた雨粒を、指先で拭う。そのついでと言うべきか、初めからこちらが目的だったと言うべきか、彼はそのまま彼女の頬に手を添えた。優しく撫でられながら、アリシアは己を恥じていた。

 ──ああ、彼は安定よりも、私を選んでくれるのだ。眼前に迫る死の恐怖より、私を選んでくれるのだ。こんなにも真っ直ぐに、私のことを愛してくれるのだ。

 ──それに比べて、私はどうだろう。私の持つ彼への愛は、その程度のものだったというのだろうか。……ううん、そんなことはない。だって、約十年も一緒に居たんだもの!! その月日の重みは、私と彼だけが共有出来る、とても大事なものだわ!!

「私も……私も愛してる。貴方を愛しているわ、フレドリック!!」

 彼に抱きしめられるだけだったアリシアは、ようやくフレドリックを抱きしめ返す。再び大きな雷光が空を駆けた。しかしフレドリックは彼女から抱きしめられることが嬉しく、顔を綻ばせるだけで、空模様に反応はしない。

 二人はしばらく抱き合っていた。その愛は、誰にも割くことが出来ない。現に、大災害とも言えそうな悪天候が二人をなぶっていたが、二人がその抱擁を解くことはなかった。

 ……だが二人は、分かっている。この悪天候は、やがて世界の全てを覆うだろう。そうなれば、各地で被害が出るだろう。そしてその原因は、自分たちが互いの愛を確かめ合っていること。

 アリシアは、覚悟を決めた。

「……リック」

「……うん」

 その愛称を呼ぶと、彼は固い声で答える。アリシアが言わんとすることを、察したのだろう。

 体を離し、雨が止む。曇り空の下、二人は向かい合った。

「私たちが近づくだけで、私たちがこうして触れるだけで、世界には暗雲が立ち込めてしまう……。他の人に迷惑はかけられないわ」

「アリス……」

「でも、私は……勝手な言い分だけれど、貴方が好きよ。国王の命令に逆らうことになる。ウィンクたちの怒りを買ってしまう。他の人にも迷惑を……でも貴方が好きなの。貴方の笑顔を見つめていたい。言葉を交わしたい……」

 勝手でごめんなさい。アリシアは小さく呟く。いいんだよ、と言うように、フレドリックは首を横に振った。

 アリシアは、「もう今後、会うことはやめよう」と提案するつもりだった。だがいざ口を開くと、その口からは別の言葉が飛び出してしまう。フレドリックに対する、愛の言葉だ。

 言えるはずがなかった。自分から別れを切り出すなど、そんなこと……したくなかった。

 覚悟を決めたつもりだった。少なくとも、口を開く前はそうだった。

 だが、言葉にしたら、きっとそうなってしまう……それが、怖くてたまらなかった。

(ああ、私は──弱い)

 己の弱さを、これでもかと痛感する日だった。今日は、つくづく厄日なのだな、と感じる。今日ほど自らを不幸だと感じる日はないだろう。

 もう、口も開けなくなってしまった。別れの提案は出来ないまま。

 曇り空から、救いの光は降りてこない。

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