レシピ・34「異界に残って〆うどん②」

「…あの親子は、今日まで無事に暮らせているよ」


 ――タイマーの音が鳴ると、ヘルン女史は流しでうどんの湯切りを始める。


「息子さんは塾だけじゃなく、休日には医大に受かった大坪さんや母親と遊園地や水族館に行っているそうだ…以前より、人生を楽しんでいるみたいだ」


 千春が順次、水切りしたうどんをどんぶりへ移し、へルン女史が隣で話を続ける。


「それに、最近の調査で母親の曾祖父そうそふがマヨイガの持ち主だということもわかってね――遠野さんがあの親子に関わってくれたことは、とても大きな意味を持つことだったと今にして思う」


「…というと?」と、私は鍋の蓋を閉めてコンロを弱火にする。


「――人は食物を、仏は救いを糧とするならば、神は何を糧とするか?」


 不意に、問いかけてくるへルン女史。

 ――それは二年前に私が室長と【ゲート】前で交わした問いかけと同じ。


「私も母から聞いていたが、遠野さんなら何と答える?」


「それは…」


 二年越しの質問…だが、千春と共に戻って以降一度ものぼらなかった話題。

 ――それに、私は軽く息を吸い込み、こう答える。


「【畏怖いふ】――神を恐れ、うやまう心だと私は考えている」


「…だろうな」


 それを聞くと、へルン女史の表情が緩み「では、全員分のお汁を頼むよ」と、三人分のお盆に入れたうどん入りの丼を見せる。


「うどんのみでは寂しいからね。互いにあるからこそ旨みが出る」


「あ、すまない」


 私はその言葉に慌てて鍋からダシ汁をかけ、コシのあるうどんに白菜と豚バラ――そして千春が足した、エノキの載ったシメのうどんが完成した。


「これ、おじさんが今年の四月に流感にかかった時に、私が教えたものだよね…うん、やっぱり美味しい。作るの簡単だったでしょ?」


 自分の丼に軽く口をつけ、こちらを見る千春。


「ああ。当時は味覚が死んでいたが、今回はそこそこ上手くできたと思ってる」


 私は苦笑しつつ、自身もうどんを味見する。


 材料は豚バラと白菜のみ――それを重ねて五センチ間隔で切り、鍋の外側から内側へ敷き詰め、白だしと水を注ぎ煮るという極めてシンプルな料理。


「…でも、咳と熱で一週間以上か」と、千春。


「海外でワクチンを打ったけど、以前は死んだ報告もあったから今でこそマシだと思えるけどさ――あー、ごめん。へルン、その畏怖がなんだって?」


 話しの腰を折ったのは自分のくせに、悪びれず箸を持ちつつ女史を見る千春。


「…いや、その心こそが、この異界と外を繋げる鍵であったのではないのかと私と母は考えていてね」と、へルン女史も同様に箸を持つ。


「――要は、この異界という存在を認識できる人間がいなくなったために白猿が動いたとも解釈もできる。無論、自身に関わりのあった親子の不運の元となったサークル男に対する恨みも当然あっただろうが…」


 そう言ってうどんをすする女史に「…ん、つまりあの猿は自分や異界の存在を認識させるために侵入してきた人間や子供を利用していたってこと?」と、千春は首を傾げる。


「まあ、そうなるな」と、エノキを口にするへルン女史。


「――【異界】は近代になると架空の存在として認識みなされてきた。ネットや本には情報こそ存在するが現実にはあり得ない、作り物フィクションとしてね」


「…まあ、怪異や神様のほとんどが昔の人間が理由のわからない現象に名を当てたことが、そもそもの始まりだからな」と、私は補足する。


「――それに最近では怪異が見えること自体、脳機能のうきのう障害しょうがいによるものだという解釈かいしゃくも一般的になりつつある」と、女史は続ける。


「要は、科学が進むにつれ、この世界にあふれる説明のつかないものは全てひとまとめに存在しないものとして線引きされ――その思想こそが、この異界に分断を引き起こした原因であると私と母はにらんでいる」


 そう言って、うどんをすするへルン女史。


「千春と調査し、異界に繋がる磁場の歪みは外でかなりの数が確認できた――が、ほぼ全てが一方通行。中に入ったきり出ることが難しいこともわかった」


「…ま、ウチらは【ゲート】を呼び出せばすぐに出られるけどね」


 千春はそう答え、音を立ててうどんをすする。


「外にいる限り歪み自体は見えない。ゆえに一般人が入り込んだ場合、外に出ること自体が難しくもなるのだが――特筆すべきこととして、この異界にいる怪異の大部分は、それらの現象をようにも見えた」


 へルン女史はそう語り、豚バラを口にする。


「――そうそう。不思議だったんだけどさ」と、そこに声を上げる千春。


「さっき話した男の証言にも出てきたんだけど、彼や私たちが出会った子供たちを例外として異界に来た人たちのほとんどがここにいることを肯定的に見る傾向にあったんだけど…どうも外から見ると、ここは理想郷に思えるのかな?」


 それに「ま、そうだろな」と言って、へルン女史は煮えた白菜に手をつける。


「…始めは不気味に思えたとしても、一旦ルールを知れば衣食住をそろえることは容易だし、注意するべき怪異でさえも結果的には人が異界に適応した姿の結果ととらえることもできる」


「要は当人たちが帰る気を無くしたから、ああなった…と?」


 私の質問に「――ああ。ましてや異界は人の望みを再現する場所だ」と女史。


「今世に絶望する人間が多ければ多いほど、安住できる場所と誤認してしまってもおかしくはない…もちろん。外の世界があるからこそ異界に思想や物を持ち込むことが可能にはなるが、その真の繋がりに気づいた人間こそ、まさに一握り…」


 うどんを眺めしみじみと…しかし首を振りつつ、女史は語る。


「だが、その認識を持つ人間が昔からいたおかげで外との往来ができ、道切りとして道祖神や伝承が残されたことも確か。それゆえ、本質を伝える人間が伝承と共に減ったという事実が残念でならないが…」


「――となると【ゲート】近くで井上が熊になったり、黄金になったのも異界の存在を強調するための白猿側の策略だった?」と、千春。


 それに女史は「おそらく…だが、そうなのだろうな」とおごそかに付け加える。


「異界に畏怖を持たせつつ、その存在を認識する人間を増やす――それを目的としていたのならば、向こうの目的は今現在のところ達成されているのだろうし、遠野さんや千春の証言を始めとして作られたこの安全マニュアルも意味を持つ」


 そこまで話すとへルン女史は背後にあった段ボールから一冊の本を取り出す。


「母の教授時代。異界の存在を否定していた連中のうえにこの本が大量に落ちてきことが認識を深め、調査に本腰を入れる決定打になった…まあ。これが無くとも、独自で母はこの場所について調査を行なっていただろうが」


 ついで女史は立ち上がると、近場の本棚へと進む。


「これのおかげで異界の存在を立証りっしょうする切り札ともなったし、組織作りも一気に進んだ――千春や遠野さんの名前もこの本に入っていたおかげで私と母が二年前に迅速じんそくに動くことができたことも確かだ」


 そこまで話すと、女史は近くの本棚に手にした一冊を押し込む。


「まあ。つい今しがた、この本を千春と私が時間指定した時空の歪みに大量投棄したことで時間軸的にも成立したはずだが――んん?怪異関連の書籍が多いようにも見えるが…これは遠野さんのリクエストかい?」


 そう言って、こちらを見る女史に「――必要ないなら下げるが」と、私は目線を逸らしつつ、丼の中身を飲み干す。


「子供の頃から祖父の家で読んでいた本だ。関連書籍にもなるだろうと思って、時折、読み返したくて置いていただけだったが、もし余計だったら――」


「いや、そのままにしよう」と、女史はそのまま席に戻る。


「遠野さんの言う通り、怪異に会った時にこの本を読んであらかじめ名や特性を知っていれば役に立つからね」


 それに私は「…いや、それも余計なことかも知れない」と、思わず口を滑らせ、「どうしてだ?」と、へルン女史は残った鍋の中身を丼に注ぐ。


「…さっきの話で確証したが怪異が元は人であることを知ったからな」と、私もおかわりを丼に注ぐ。


「――しかも、今回のように名で呼べば個人として対話することも可能。だからこそ、怪異を名で呼ぶことで相手の人間性が損なわれてしまうのではないかと、今になって危惧している」


 …そう。以前、異界で【ヒダル神】と私たちが名を呼んだ時。そこにいたのは本来あるべき子供の姿ではなく、巨大な眼を持つ子供の姿に似た怪異であった。


「二年前、怪異と対話をしたことがあったが、そのとき相手は怪異を名で呼ぶことを嫌っていた。これは呼び込むこともそうだろうが、本来あったはずの彼らの個性――すなわち本来のアイデンティティを失うことに繋がるのではないかと、今にして思えてな」


 ――そう、かつては高名な僧侶であった【補陀落渡海ふだらくとかい】。

 彼らは私に名を呼ばれることで個性を失い【エビス】と融合した。


 【アマビエ】も【肉人】も、元は人…だが、後の世に怪異と認識されたことで予言を行い、食すことで人に力を与える存在になったという可能性もある。


「すべては私たちが彼らを怪異と認識しなければ。もっと違った形で…」


「だとするのならば」と、女史は私の言葉を続ける。


「――我々は、誤った認識を改めるためにも正しい知識を身につけ、今後に繋げていく必要があるとは思わないか?」


 顔を上げる私に「…それにさ、ぶっちゃけ怪異って進化するし?」と、千春は先ほどまで私が使っていたスマートフォンをこちらに見せる。


 そこには、画面を泳ぐ一体の骨のイルカ。

 ――【エビス】であったイルカが悠々ゆうゆうとディスプレイの中を泳いでいた。


「…怪異と幽霊の違いとは何か?」


 いつしか、へルン女史がこちらを見て問いかける。


「――怪異は一所にのみ現れ、幽霊はどこまでも恨む相手を追いかける」


 私の認識こたえに「ああ。つまり怪異とは本来、だったと言うことだ」と、丼に残った汁を飲み干す。


「だが、異界は歴史とともにあらゆるものを飲み込む。人も、文化も、物も――情報と繋がった機器も…そして自らを適した形へと、時代に即した怪異としての形を作り上げていく」


「つまり、人の預かり知らないところで怪異自体も環境に応じて変化していく…それって自然界の進化と同じじゃん」と千春もスマホを置いて汁を飲む。


「そう考えれば、異界も巨大な生物と捉えられるし、人と繋がって共存していく共同体と見ることもできるね?」


 それに「…ああ、それも進化の過程なのだろう」とへルン女史は答える。


「外も異界もどちらもバランスを欠くことができない。互いに、密接に関わってきた存在だ――」


 そこまで話し、女史は食べ終えた丼に箸を置く。


「…だからこそ。人の都合で危険と判断し、互いを分断するなど愚かな行為だ」


「――そうそう。下手に外と分けられてきた結果が【空間製作委員会】の連中が見てきた窮屈きゅうくつな【マヨイガ】だったようだし」と千春も箸を置く。


「ぶっちゃけ、生物学的に停滞は【死】…私らの世界もこっちの異界も、どちらも止まればよどんじゃうし、循環させてこそ生きてるってことなんだからさ」


 そう言って、こちらを見る千春。


「――だからさ、おじさん。どんな困難にあっても仕方ないって諦めず、これからも色んなことを吸収して前に進もう。生物学的にも人生的にも生きている限り、動きを止めちゃうのはもったいないことなんだからさ」


「…そうだな。食事も吸収の一つだしな」と私も空にした丼に箸を置く。


 ――そう、二年前から存在を知っていた流感。

 結局、その流行を私たちは止めることはできなかった。


 私も自ら感染し、自分の無力さを痛感せざるを得なかった。


 けれど、死ぬことはなかった。

 そこから先も私の人生は続いた。


 それは、へルン女史が手段を講じてくれたおかげでもあったし、千春が休んでいる私に食を勧めてくれたことも大きかっただろう。


「鍋みたいにさ、世界には人も物もごっちゃに詰まっていて。先人たちはそれらの情報を分け隔てなく飲み込んで吸収して、今の文明があるんだよ」


 ついで、千春は空の丼の前で両手を合わせ、私とへルンもそれにならう。


「マニュアルに則した結果、今日まで異界に飲まれた隊員もゼロ。これからも、それが続きますよう…」


「「「ごちそうさまでした」」」


 こうして、私たちは食事を終えて新たなる一歩へと。

 次なる時代への道を、各々踏みだしていった――


                                【了】

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異界に行っても飯は喰う! 化野生姜 @kano-syouga

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