08 バラライカ

 宅飲みが終わり、すっかり静かになった部屋で、あたしはシャワーを浴びた後、ベッドに寝転がりながら健介に連絡した。


『明日空いてる? 神仙寺さんとこ行こう』


 返事はなかなか返ってこなかった。既読もつかない。仕事だろうか。何回目かのあくびを噛み殺した後、健介から返信がきた。


『明日仕事やから、終わったら行く。先に入ってて』


 土曜日の夜八時。あたしは一人でショットバーの扉を開けた。既に数人のお客さんがおり、神仙寺さんは忙しく手を動かしていた。


「蘭ちゃん、いらっしゃい」


 あたしは空いていた端の方のカウンター席に座った。神仙寺さんがおしぼりを渡してくれた。


「何にする?」

「ビールで」


 ビールを注ぎながら、神仙寺さんは小太りの中年男性と話をしていた。あたしは彼とも話をしてみた。彼は中島なかじまさんと名乗った。


「蘭ちゃん、ここよう来るん?」

「まだ三回目です。中島さんは?」

「俺は週二くらい」

「多いですね」


 中島さんには、生まれたばかりの子供がおり、飲みに行く回数を減らせと奥さんに叱られたということだった。確かに赤子を置いて週二は多い。あたしは言った。


「夜泣きとか大変とちゃいますん?」

「まあ、嫁が何とかしよるからな。俺も一応、手伝うで?」

「中島さん、手伝う、じゃダメなんですよ。父親なんですから、主体的にやらないと」


 初めて会う男性に対して、ここまで辛辣になってしまったのは、弟のことがあるからだった。あたしの父親も、なかなか帰ってこない人で、園子さんは参っていた。仕方がないから、あたしが育児を手伝ったのだが、その結果、弟はお姉ちゃんっ子になってしまったのである。

 中島さんはでっぷりと出たお腹をさすって言った。


「うわぁ、正論言われたわ。蘭ちゃん、なかなかしっかりしとうな」


 神仙寺さんが言った。


「この子、全然しっかりしてへんよ。健介と初対面でやるような子やで?」

「ほんまに!?」


 そのとき、健介が現れた。


「こんばんは。おう、中島さんやん」

「健介! お前この子に手ぇつけたんやて?」


 中島さんは立ち上がり、健介の背中をバシンと叩いた。健介は、中島さんのお腹をこしょこしょと触った。健介は言った。


「中島さん、また肥えたんとちゃいます?」

「俺の話はええねん。健介、どういうことや」


 あたしと中島さんの間に健介は腰かけた。神仙寺さんは、健介が何も言わない内に、もうビールを注ぎ始めた。頭をガシガシかきながら、健介は話し始めた。


「だって、誕生日の思い出欲しいってこの子が言うからですよ」


 そこからは、あたしが話した。誕生日に元彼に振られ、この店に来て、健介と出会ったと。


「お陰でええ思い出になりました」

「蘭ちゃんがええんやったら、ええか」


 中島さんはタバコに火をつけた。神仙寺さんは、あたしの空いたグラスを見て言った。


「蘭ちゃん、何か入れよか?」

「んーと、あれ見たいです。シャカシャカするやつ」

「シェイカーな。度数高いのんでもええか? まあ大丈夫やろ」

「はい」


 神仙寺さんはまず、グラスに小さな氷をたくさん入れた。それを置いて、いくつかのボトルの中身をシェイカーに注いだ。氷も入れて、いよいよシェイクだ。神仙寺さんはいつになく真剣な顔付きになった。そして、シェイカーを振った。カッコいい。軽快な音が響き渡った。


「バラライカ。ゆっくり飲みや」


 透明感のある白いカクテルだった。刺激が強いが、爽やかさもあった。レモンを使っているのだろう。神仙寺さんの言う通り、ちょびっとずつ飲むことにした。あたしと健介の仲は、神仙寺さんが大っぴらにしてしまっているから、何も気にすることが無かった。あたしは中島さんに言った。


「健介とは付き合い長いんですか?」

「三年くらいかな。こいつがひょっこり来るようになってな。最初の方は、可愛かったなぁ」

「ええ、今は可愛くないんですか?」


 健介が中島さんの腕をつついた。


「なーんも可愛いことないわ。この前紹介したった子、どうしたんや?」

「一回で終わりました」

「なんやそれ」


 あたしは気になっていたことを神仙寺さんに聞いてみた。


「このお店って、いつからあるんですか?」

「もうすぐ十五年やで。せや、蘭ちゃんも周年来てや。十一月三日」


 スマホで曜日を確認した。金曜日だった。それなら行こう。隣の健介が言った。


「おれ、仕事ですわ」

「終わってから来たらええやん。どうせ朝まで開けとうから」


 時刻は夜十時になろうとしていた。中島さんがチェック、と言って財布からカードを出した。あたしは言った。


「ちゃんと子供さんと向き合ったって下さいね」

「うん、そうするわ」


 さて、あたしたちはどうしようか。あたしは健介の瞳を見つめた。彼は困ったように薄く笑って言った。


「家行ってええかな?」

「うん、ええよ」


 元からそのつもりだ。あたしと健介も会計を済ませ、駅へ向かった。途中、コンビニに寄って、追加のお酒を買った。袋と会計は、健介が持ってくれた。あたしの住む学生向けのマンションは、区役所の近くにあった。その六階だ。


「お邪魔しまーす」


 部屋に入ってきた健介は、まずはこんな感想を言った。


「めっちゃ女の子っぽいな。ローテーブルとかお洒落やん」

「ガラスのんが欲しかってん。ええやろ、これ」


 そのローテーブルを囲み、宅飲みが始まった。

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