最終話 家族座

 ユーリがおのずから目を覚ましたことは、いくらかクラリスの気を軽くした。まだ理解できていないだけだとしても、少なくとも彼女は外の世界に絶望していなかったのだ。


 シンシアがシスターや司祭たちを引きつれてやってくるまで、兄妹はずっと歌っていた。ひらひらと降りそそぐ月明かりにはしゃぐユーリは、おそろいと声をあげて蒼を舞わせようとしたが、なぜだか焔は出なかった。


 司祭によれば、これからトーマは街の養護施設に、ユーリはザッハトッシュ修道院が預かることになるようだった。不安そうに顔を暗くした兄に、シンシアはユーリを抱きしめながら言った。「わたくしが、なにがあってもこの子をお護りいたします。絶対に——」


 翡翠の瞳からは涙が止まらなかった。しかしシンシアは真摯な表情を崩すことなく、自身の胸に手を当てて、少年に誓いを立てた。


(シンシアはシンシアの信じる方法で、あの子たちのことを救おうとしているのですね)


 獏王は目覚めないままだったので、クラリスは彼らと修道院へ戻ることを諦めた。シスターたちが持ってきてくれた毛布に共にくるまって、紺碧の空に星をなぞりながら、彼が自然と目を覚ますのをいつまでも待った。


 育った場所とはなにもかも違うように見えるのに、星の並びは同じなのだった。

 東の空にいっとうまぶしい星の並びは『オズクレイド座』、その下に『小指を打ちつけたクラリス座』、右隣には『寝る前、トイレに行けないくらい怖い話をしてくる悪魔座』。それだけではない、天体いっぱいに、これまでクラリスとコクヨウがなぞってきた星座が宝石箱のように敷き詰められている。


「家族座……」


 たくさんいるクラリス座のどれかと、やはりたくさんいる悪魔座のどれかをいっしょくたにして、そう名付けようと提案したことがあった。


(あれはたぶん、彼が私の歌声を好きだと言ってくれた夜……)


「おー、いまならいいぞ」


 眠っていたはずの声がして、肩に温もりが乗せられた。見れば、いつの間にか人間の姿になっていたコクヨウが頭をすり寄せていた。くっついたり離れたり忙しいひとだと、クラリスは胸のうちでくすりと笑う。


「ケッコンしたから、家族だ」

「その言葉、あのころにもほしかったです」

「断ったらあんた、すげー泣いてたな」


 少女の傷心など知りもせず、彼はケラケラと笑った。


「マジで昔のあんたの泣きっぷりは凄かった。この俺が家族になるだなんて約束しちまうくらい、ありゃもうほとんど脅しだ」

「脅されて私と結婚したんですか」

「本当のところ、あんたの涙をどうにかしてやりたくて約束した。焼きただれるんじゃねーかってほど、よく泣いてたからな……」


 毛布のなかで肩をくっつけあっていた二人は、お互いに顔を見合わせると鼻先が触れそうになる。


 食いいるように見つめてくる金の瞳に、どれだけ探しても兄も弟も見つからないことに気づいて、クラリスはむしょうに慌てた。早春の川に冷やされたはずの身体が、毛布の内側で急にほてって、暑くてたまらなくなる。


「っ、まだ、酔っているのですか。あなたさきほど、少しようすがおかしかったですよ」

「あー……よく寝たからいまはヘーキ」

「本当ですか? もう手もとにおやつは残っていないのですが、部屋に戻ったらカバンにいくつかありますから、よかったらそれを」

「食欲じゃねぇの」


 黙らせるように軽く額をぶつけられて、クラリスは肩を跳ねさせる。


「お、お腹がすいたわけでないのなら、なんですか……」

「さぁ、知らねーけど、食事じゃなきゃいいんだろ」


 ついばむようなキスがあったことに、クラリスはくちびるに残るぬくもりで気づいた。


 自分のくちびるに触れたまま動けないでいる彼女をよそに、コクヨウは満足そうに空を仰いだ。尖った耳の先がご機嫌にふるえる。


「なんかちょっとわかった気がするわ」

「私は……なんだか、わからなくなってしまいそうです」


(触れられただけで、こんなに心臓が熱い。もっとすごいのもされたことがあるのに……)


 蒼い焔に閉ざされたときも、これほど熱い思いはしなかった。

 体内に響く壊れたような鼓動も、肌に伝わる静かな鼓動も恥ずかしくてしかたがない。


 どうして顔色を変えられずにいられるのか、彼こそ、夫婦となったいまでも妹のようなつもりでいるのではないか——だんだんと膨れ面になる彼女に、コクヨウは気づかない。


「あんたってさ、もう、どこの修道院にも入るつもりはねーんだよな」

「……はい。やはり私は、みなさんとは道を違えてしまいましたから」


 陽が昇れば、黒夢病の患者たちが目を覚ますだろう。彼らの無事がたしかめられたら、クラリスは荷物をまとめてザッハトッシュ修道院を出ていくことを心に決めていた。


「ま、あんたがどこに行こうが関係ねーんだけど。好きなだけ誰でも救やいいし、ジンルイセカイヘイワにも付き合ってやるし……」


 コクヨウはそわそわと、自身の髪の尾を手のなかでもてあそびながら言った。


「で、あんたが満足したら、その次は俺の番にしろよ。夫婦なんだから、俺が付き合ってやったブン、あんたも俺に付き合えよ」

「あら、そんなのはもちろんですよ。コクヨウもなにか、叶えたい夢があるのですか?」


 思わずクラリスは身を乗り出した。

 コクヨウはのけぞろうとしたが、ぐっと堪えると、睨みつけるように彼女を見つめ返す。


「い、家。『ただいま』つったら、『おかえり』って言う。あとメシ一緒に食べて、一緒に寝る。子供もほしい。鶏飼いたい。豚も。牛も食いて……飼いたい。さっきみたいなキスと、たまにでいーから、気持ちいいほうのやつもやりたい……デス」


 喜べばいいのか、照れればいいのか、おもしろがればいいのか——色々な感情が一気に押し寄せてきて、まずクラリスは笑った。


「なっ、だめなのかよ!」

「まさか。ただ、とても楽しみだと思って」









『黒シスターと夢喰いの獣』完

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こちらは『嫁入りからのセカンドライフ』中編コンテスト応募用の作品ですので、いったんここまでで完結となります。善き縁に恵まれましたら、また続きを書いていこうと思っております。ここまでお読みくださったあなたに心からの感謝を。ありがとうございました!

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黒シスターと夢喰いの獣 はるかす @HaLkass_

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