カシューナッツの光る石

そうざ

Glowing Stone in the Shape of a Cashew Nut

 僕と姉の年齢を足してやっと十歳を超える、そんな頃の話。

 当時はまだ家の近くに空き地があった。先祖代々、土地を所有している地元民は珍しくなかった。

 空き地は、運動場とも公園とも違う、また別の魅力的な場所だった。と言っても、列記とした不動産であり、財産であり、地所であり、地権者は税金を納めながら単に遊ばせておく筈もない。

 空き地は専ら砂利敷きの青空駐車場として活用されていた。

 昼間の時間帯は多くの車が出払っていたから、そこは充分に空き地だった。まだ素朴な外遊びが当り前だった時代の事、僕等は何をするでもなく二人切りで入り浸っていた。

 中でも一番憶えているのは石拾い。無数の砂利の中からお気に入りを見付けるという何とも長閑な遊びだった。

 色が濃いもの、薄いもの、角張ったもの、丸っこいもの、平べったいもの、何かの形に似たもの、傷がないもの――そんな石を集めて回るだけで満喫出来る姉弟だった。


              ◇


 それは、或る風の強い日だった。妙に生暖かかった気がする。もしかしたら台風が近付いていたのかも知れない。

 僕の目にそれまで見た事のない石が映った。二、三センチくらいで、表面はざらざらだったが、何だか仄かに透けているように見えた。

 姉も同じような石を見付けていた。よくよく見て回ると、結構な数が散らばっていた。

 天に翳すと、やっぱり半透明だった。薄っすら色が付いているものもあり、ピンクっぽかったり、水色っぽかったりした。

 僕等は〔光る石〕と名付けた。実際は発光している訳ではなかったが、宝石を思わせる見た目だった。

 日暮れが近付く頃には両手一杯になり、僕等は風が強くなる中、嬉々として家に持ち帰った。


〔光る石〕は洗うと更に透明度が増した。

 勉強部屋にばら撒き、同じ色同士で纏めたり、似た大きさ同士で分けたりしているだけで、神秘的な気分に成れた。

「これって特に変な形してる」

「こういう豆ってなかったっけ?」

 その時は名前が出なかったが、きっとカシューナッツの事を言いたかったのだと思う。

 僕等は電灯を点けるのも忘れ、〔光る石〕で遊び続けた。外はもうかなり薄暗く、木々が大きく左右に揺れていた。

 

 何がきっかけだったのか、この石は何だかおかしい――そんな考えが頭を過った。姉も示し合わせたかのように同じ事を感じていた。

 まさか空き地に高価な宝石がばら撒かれているとは思わなかったが、だったらこの〔光る石〕の正体は何だろう、こんな石が自然界に存在して良いのだろうか――得も言われぬ不安がどんどん大きく育ち始めた。


 いつの間にか暗い部屋。

 窓を叩き始める雨。

 悲鳴に似た風。

 この世が終わりそうな要素が揃っていた。こんな石を持っていたら何か良くない事が起きそうだった。実際は光っていない〔光る石〕が薄っすら闇に浮いているような気がした。

 僕等は親の目を盗んでまで嵐の中を出て行った。言い様のない不穏な予感は、〔光る石〕を一つ残らずに空き地に捨てて来る事でしか解消出来ない、と信じて疑わなかった。


              ◇


 硝子を加工した人工砂利が市販されていると知ったのは、〔光る石〕の事などすっかり忘れていた頃だった。普通の砂利に人工の砂利を混ぜて空き地にばら撒いていた、それだけの事だったのだ。

 あの日の僕等はどうしてあんな心持ちになったのだろう。単に無知だったからと切り捨てても良いが、嵐の生暖かい夕暮れが見せた妄想だったのかも知れない。

 それからはもう空き地に足を向ける事すらなくなってしまった。


 話はこれで終わり――ではない。

 僕等がまだ一所懸命〔光る石〕の事を忘れようと努力していた時期に遡る。特にカシューナッツみたいな石はやけに頭に焼き付いて離れず、僕等は落ち付かない日々を過ごしていた。

 お友達が来たわよ、と母が知らせた。二人して玄関へ向かうと、知らない女の子が立っていた。

 年の頃は僕等と変わらなかったが、子供心にもような不思議な印象を受けた事を憶えている。

 持ってった物を返して欲しい――女の子は唐突に言った。

 何の事なのか、全く分からない。僕等が顔を見合わせていると女の子はぽつりと――石――と呟いた。

 直ぐに〔光る石〕が頭を掠めた。

「石は戻したよ」

「ちゃんと返したよ」

 女の子は有無を言わさない雰囲気があったが、玄関の引き戸から中へは入って来ず、敷居ぎりぎりの所で僕等を睨み続けていた。

 女の子は納得しない――この家にある、もうここにはない、この家にある、ないったらない、この家にある――と平行線が続いた。見兼ねた母がやって来て、改めて探してみるよう、僕等に言い付けた。


「何なの、あの子っ、生意気な顔してっ」

「もうお母さんに追い返して貰おうよぉ」

 僕は段々怖くなっていた。石とは言っても僕等は泥棒をした。盗んだ物を直ぐに返したとしても罪は消えない。きっと地主の人は怒っている。警察に連絡するかも知れない――。

 その一方で、どうして石を持ち帰った事を知っているのだろう、そもそも子供が使いにやって来るのは変だ、とも思った。やっぱり説明が付かなかった。

「あっ……」

 勉強机の下を覗いていた姉が声を上げた。振り返ったその顔は固まっていた。掌には〔光る石〕が一つ、カシューナッツみたいな奴が輝いていた。あの時、薄暗い部屋で慌てて掻き集めたものだから、取り零したに違いなかった。


 玄関へ取って返した僕等は、恐る恐る石を差し出した。女の子が鬼の形相で飛び掛かって来る――そう覚悟した。

 ところが、その表情はどう見ても笑顔だった。

 女の子は漸く敷居を跨ぎ、持っててくれてありがとう、と言った。そして、石を掴むと風のように出て行ってしまった。

 あの子は一体――僕等はそれを知りたいと思いながら確かめようとはしなかった。どういう訳か心の何処かで、どうせ判らないだろうと確信していたのだ。


              ◇


 僕と姉の年齢を足すともう六十歳を超える。

 つい先日、揃って実家に帰省した折りの事、例の空き地にフェンスが巡らされていて、市の教育委員会の名で立ち入り禁止にされている事を知った。

「地主さんが代わってね、アパートが建つ筈だったんだけど、いざ地面を掘り起こしたら土器の破片がごろごろ出て来ちゃって」

 母の得意気な説明に拠れば、知らせを受けた教育委員会が発掘調査をした結果、かつて古代人の住居が存在した事が明らかになったらしい。

 思い出の空き地は辛くも開発の手を免れた――と思ったのも束の間、最終的に歴史的価値は低いという判断が下り、現在はお洒落なアパートが敷地一杯に鎮座していると言う。


 もし僕等が勾玉カシューナッツを空き地に戻していたら、の手に戻る事なく、小さな民俗資料館の展示品か、産業廃棄物に紛れて処理されていたかも知れない。

 ――持っててくれてありがとう――

 子供の頃、あれだけ怖く感じていた全てが今、無性に懐かしい。

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