第三十二話 始まりの終わり方

 巨大な竜と化したダークドラゴンは、啓太を手に乗せたまま走っている。

 大きな足跡を残す一歩は、人とは比べ物にならない距離を大地に残す。

 向かい風を受けながら啓太は茜色の空を見上げる。

 空の色は赤みを帯びていく。


「えーと、どういう事?」


 ようやく啓太が口を開く。


(とにかく、勇者には夜が来る前に神殿に着いてもらわないといけないんだ)


 両手を合わせた上に啓太を乗せているダークドラゴンは慎重に、その上で全力で走っていた。


「神殿って?」

(この世界の最初で最後の所!)


 啓太の頭にいくつもの疑問が浮かぶ。質問を声に出そうとした時、進行方向の光景が目に入った。


「……何あれ?」


 ダークドラゴンの進む先に森があった。

 行く先の直線部分だけ、木も草もない。まるで道のように。


(森の草木に協力してもらってるんだ)


 声を失った啓太をよそに、ダークドラゴンは走り続ける。

 道の森を抜けると、濡れた地面が広がっていた。


(川は今だけ止まってもらってる)


 頭にダークドラゴンの声が反響する。

 ただ、向かい風を受け続ける。

 啓太が見上げた先、夕日が沈みかける空、赤く染まる空、夜が迫る空。


(黄昏が夜を食い止めてくれてる)


 赤い光が流れるようにあふれ出す。

 啓太は今まで見たこともないような夕焼けを前に、黙ったままただ黄金色の六角形の端をつかんでいる。


(見えた! 御使いの人だ!)


 ダークドラゴンの頭部が見ている先、軋むような赤い空に一つの点が見えた。

 その点は次第に人の形をとる。黒く長い髪をひるがえし、空を駆ける女性。

 ダークドラゴンは走るのを止める。落下してくる女性は荒々しく地面に着地する。


「勇者は!?」

(ここ!)


 ダークドラゴンは両手を地面に下ろした。

 戸惑いながら啓太は盾を持って降りてくる。

 女性は啓太の前に立ち、腕組みをしながら口を開いた。


「言いたいことがあるのは分かる! 聞きたいことがあるのも分かる!」

「は、はあ……」

「今はちょっと時間が厳しいので! 説明は後まわしにして指示に従ってほしい! 返事!」

「えっ、はい」

「よし! その盾を地面に置いてその上に乗る!」

「は、はい」


 盾を地面に置いてその上に乗る啓太。

 女性はずかずかと歩いて啓太のそばに来る。


「はい! 私にしがみつく!」

「ええ……?」

「死にたくなかったらしがみつく!」

「は、はあ」


 女性は、おっかなびっくり近づく啓太の手をつかむと、自分の背後に周らせてお腹の前で両手を組ませた。


「はい準備オッケー! ダークドラゴン!」

(わかった!)


 ダークドラゴンは盾を自分の顔の前に持ち上げた。


(僕の息吹で吹っ飛ばす! 舌を嚙まないようにね!)

「えっ、うん」


 ダークドラゴンの口から黒い奔流があふれ出す。


(それじゃ元気でね!)


 啓太の世界が黒い衝撃と共に大地を離れ、空に向けて重力を振り切る。


「初速は稼いだ……風よ!」


 女性の声と共に啓太達はさらに加速した。

 しがみついている啓太は、女性の背中から顔を上げて薄目をあける。

 世界から赤い色は失われつつある。黒に近い紺色が行く手の空に迫る。


 夜が来る。


 地上に目を向けた啓太が見たのは、崩れる大地とそこに空いた穴。

 紺色をどこまでも濃くしたような黒い穴。

 眼下のあちこちで、ゆっくりと静かに穴が開き、地上を飲み込んでいく。


「……何あれ」

「世界の解体ね」


 啓太の声に女性は短く答えた。

 言葉の意味を考える間にも、地上は黒い穴が広がり、空は黒く覆われる。


「見えた! あと少し!」


 女性の声に啓太が前方を見ると、光の柱が見えた。

 大地から天空のその先まで伸びている塔が、淡い光を放っている。


「微調整は……無理か。出来るだけ近くに」

「あの……あれは?」

「神殿よ」


 啓太の声に、女性は前を向いたまま答えた。

 見る見るうちに近づいてくる光の柱。

 啓太達の進行方向は折れ曲がるように下へ向かう。


「よし、着地する! 気合入れて!」

「えっ、あの、減速とかは?」

「今急いでるんで!」

「そんな!」


 大地にむけて加速しながら落下あるいは墜落する啓太達。

 迫りくる地面に耐えられず啓太は目を閉じ――


「よし、着いた」


 女性の声に啓太が目を開くと、そこは普通に地上だった。

 二人は普通に立っている。

 啓太は女性から離れて、自分と地面と周辺を何度も見返した。


「??……??……?」


 大混乱。


「ああ。着地の時に重力と慣性の内容を書き換えたの」

「えっ」


 声に女性の方を見ると、座り込んだ彼女の体が、少しずつ光の粒となって消えつつあった。


「えっ?」

「一応禁止事項だったし、まあこうなるわね……お、来た来た」

「大丈夫ッスかー!」


 固まっている啓太の前に、どこか少年を思わせるような小柄な男性が走って来た。

 女性は軽く手を上げる。


「大丈夫。じゃ、あとは頼んだ」

「任されたッス!」


 男性は一礼した後、啓太に向き直り、手をつかんで走り出した。


「行くッスよー!」

「ええっ、でも……」


 引っ張られながら啓太が後ろを見る。女性は手を振りながら光に紛れるように消えていった。


「あの……」

「分かるッス! でも今はとにかく急いで!」


 男性は啓太の手をつかんだまま走り続ける。

 淡く光る塔にむけて走り続ける。

 頭上にあるのはどこまでも黒い空。今にも雫が垂れてきそうな黒い空。

 走る二人の行く手が崩れだす。大きく黒い穴が口を開く。


「おっと、させないッスよ!」


 男性が手を振ると、大地が伸びて黒い穴を覆っていく。


「あの、これ、何が」


 啓太の声に振り返ることなく男性が答える。


「世界の解体ッスね。ざっくり言うと、材料に戻ってるところッス」

「材料……? なんで?」


 男性は振り返り、少し笑いながら。


「そりゃあ、新しい世界の創造のためッス」


 二人は走る。

 空と大地が黒く塗りつぶされて、境界が失われつつある世界を走る。


「よし、着いたッス! 間に合った!」


 二人は薄く光る塔の入り口にいる。

 装飾の無い、武骨な扉がそこにある。

 男性は取っ手をつかみ、一息に開けた。


「さ、入って入って」

「え、あ、うん」


 背中を押された啓太は塔に足を踏み入れる。


「それじゃ、詳しい話は中にいる辛気臭い男に聞いてくださいッス」


 啓太が振り返ると、扉が閉まろうとしていた。

 外にいる少年のような雰囲気の男性は、笑顔のまま取っ手をつかむ手に力をこめる。


「お疲れ様っした!」


 そして扉は閉じられた。

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