ターン4―山水蒙 上爻―影響大/可能性小

「なに!?石油が交渉に含まれていない?」

私は執務室で内閣情報総局の人間からその話を聞いた瞬間、反射で声を出した。


「ええ、確かです。これはメレシア帝国の各機関の行動からの裏付けがあります」


「なんと……」衝撃的な話だ。彼らは石油開発を全て民間にやらせるつもりなのか?


確かに、あまり積極的な関心は確かに感じられなかった。これが産油国なのだろうか?


ひとまず相手の重視するものを知りたい。


「では彼の国は何を交渉の裏付けとしている?」私はそう聞く。だが、相手は少し目を逸らしてから困ったような顔でこちらを見る。


「それが……交渉の裏付けについてですが、商工省の"強い要請"に基づく情報収集を行っておりますが、特に成果は……」

相手の意図が分からないことだけが分かったのか……


目の前の彼は言葉を濁している様だ。まさか官僚機構と政治における力関係により情報の政治化が起こっている?


陣営のための外務省と内務省の協力というのは、正確に言えば不適切だ。なぜなら分かりやすくするために、重要な位置にある別の機関を省いているからだ。代表的なのは内閣情報総局――大八洲帝国の中央情報機関であり、帝国の人的諜報や秘密工作の中心的機関だ。


「君の上司に伝えてくれ、"弘田大使は情報総局の自由な活動を望む"とな」


彼は私の発言の意図を理解して、「承知しました、では失礼します」と部屋を後にする。


手を取り合う超大国の官僚機構は政治の要請があるにもかかわらずに、その協力は瓦解しつつあるとでも言うのか……?


いや、既に政治の側が瓦解しつつあるのか?


不可解とはいえ僅かな誤算で……?


それとも、今回の問題は"その程度のこと"なのか?


瓦解しているとしたら、その中心は本国だ。例え重要な役職に就いていたとしても、その中心から離れすぎているならば指をくわえて見ていることしか出来ない。


ひしひしとやり場のない怒りが湧いてくる。無意識に手を強く握りしめる。


そして、今にも近くの棚にあるものを引き倒しそうな衝動を抑える。


「まだ大丈夫だ、まだな……」誰もいない部屋で呟く。

瓦解しつつあるが、まだ瓦解したわけじゃない。メレシア人も大した動きを見せていない。


まだ勝機はある。


まず現場の崩壊を防がなくてはな……


これからの会議を情報共有を主軸にした会議にしなくては。我々の行動の前提はすでに一部変わってしまった。一時的に情報総局を主軸とする必要がある。相手の意図が明らかになるまでは、少なくともこの大使館において外務省と商工省どちらとも一時的にその中心から退かなければならない。


餅は餅屋に。今は迅速に、そして正確な情報が必要なのだ。我々はそれに最大限協力するほかない。



──会議が始まってから数時間、我々はメレシア帝国のこの国における外交方針について知りうる情報を共有した。


だが、分かったことは、何も分からないことだけだ。情報が集まれば集まるほど、むしろ判断が阻害される。


生の情報は分析し、処理しなければならない。だが今の情報を基にしたいくつかの有意な仮説は、全てにおいて極めて不合理なものか、そもそも不可能なものだ。


何かが抜けている、だがそれが全く分からない。


今判明しているメレシア側の動向は何か矛盾するような、明らかに非合理的な行動に見えてくる。経済・政治的共同体に加盟するということは、その影響は当然ながら社会全体に及ぶ。


だが、我々のように統合化された具体性を持つ計画を志向していないように見える。それだと官僚機構や国家首脳相手の校章には向かない。


今回は議会の主要党派が追認の意向を示していた以上、そちらに注力すべきというのは疑いようが無い。


あの切れ者のマルセナ大使は意味もなくそんなことをするとは思えない……


既に向こうは行動を終わらせている……?いやまさか、どうやって?


結局、分析して最も適した仮説を不整合な部分を承知の上で修正した。完璧に適合する仮説が無いということは別におかしなことでは無い。


やはり、何か嫌な予感がする。何かを見落としているのか、我々の思いもしないような行動か……


だが、今は我々の幸運によりなんとか優位性を確保出来ている。何も分からないなら今はそれの維持に務めるべきだ。



――私は大使館の中庭にいる。日が完全に落ち、ちょうど美しい満月が見える時だ。


今は決断をするための前提となる準備だけでも一苦労だ。こんな時こそ月でも見て気分転換をしようと思う。


確かに、月というものはよく見れば穴だらけでぐちゃぐちゃな岩石の塊である。だが、地球の表面から自分の目で見る月はそうでは無い。ここからは、黄色く太陽からの光を反射する月と、色に違いを生むその表面の月の海程度だ。


人間の顔で例えるなら、毛穴の一つ一つが見えるほど近くから見つめるより、遠くから見つめる方がよく見えるということだ。


月は古今東西様々な感情の代名詞となっている。我々はあまりに違和感なく受け入れているが、宇宙という概念を考慮しなければ、月は直感にある意味反する存在だろう。途方もなく遠い距離の考えられないほど巨大な岩石というのは地球上には類似するものがない。直感で理解しているのは存在のみであり、それがなんであるかを直感では理解していない。


だからこそ、古代から太陽と絡めてその動きや大きさは研究の対象となってきのだろう。


それにとどまらず、遂に人類は研究だけでなく、実際に足を踏み入れた。それに至ったのは半世紀以上前昔である。

さらに、宇宙開発競争により有人拠点を築くまで、さして時間はかからなかった。


だが、そんな美しき星は今や冷戦の最前線だ。第一次月面電撃戦に始まる小競り合いが、宇宙における条約への非常に大きな影響を与えたことは外交官である私は当然知っている。


当然ながら、関連する技術への投資も行われ、例えば月面の低重力下の歩行を支援する装備は、肉体労働に革命をもたらした安価で高性能な強化外骨格へと繋がった。


それ以外にも、宇宙における軍事的能力は地球に飛来する隕石の進路を逸らした。人類滅亡には程遠かったとはいえ、メレシア帝国に甚大な被害をもたらすはずの隕石はメレシア宇宙軍の戦略核により軌道が大きく逸れた。技術的問題により不幸にも、東側の超大国革命人民連邦の村のひとつが破片の直撃で消滅したのだが……彼の国がメレシアへの協力を拒んだ代償だろうか?


そんな中、我が国は今まで月面開発において後塵を拝していた、しかし現在は急速に差を縮めつつある。衝突する双方への中立な立場での物資提供などで、月面での小競り合いからは距離を置いている。


人類が太古よりしばしば理想化してきた月は、今やこんなにも殺伐としている極めて政治的な場となったのだ。


考えれば考えるほど気が滅入る。人の意図が入らない手放しの自然なんてものは、地球どころか宇宙にも存在しないのか!


月を見ていると、現実を忘れるどころか現実を直視させられる。


気も晴れなければ、相手の意図さえ分かっていない。こんな時の為の占いか……


私は手を洗い、そして執務室に戻る。今は道が必要だ。


山水蒙 上爻――目の前のことに集中すべきかな。

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