静かなのに雄弁な作品、という印象を受けました。
抑制のきいた文章には、独特の緊張感というか、ピンと張り詰めたような空気があって、その空気がほんの少し揺れただけで繊細な機敏が伝わります。抑えに抑えた表現だからこそ、波立つ感情がよりはっきりと輪郭を見せる。そういう作品だと思います。
精巧で研ぎ澄まされた文章や、じっくりと書きこまれた情景描写は、多くを語らず激しい感情を表に出さない人物たちの影の声となって、彼らの揺れる心情を代弁してくれているように感じました。
社会で生きてゆく術を持ちながらも潔癖なほどの純粋さのために、自分の感情に対して二の足を踏んでしまう。そんな男たちの複雑な心の機敏が滲む物語です。舞台となる街の情緒ある風景や美しい衣装、そして味覚に訴える食べ物の数々まで、じっくりと味わって読んで頂きたいです。
文章を一瞥した時に、硬いな、と映る時は、単純に漢字が多い時だ。
それだけではない。
作者が細心の注意をはらって漢字と平仮名を配分し、割り振っている場合には、さらにある種の犯しがたい規律を生む。
音楽ならば調音だ。
単語の字面を選び抜き、組み合わせによって生まれる和音に神経を尖らし、おそらく調律師のようにして、この方は小説を書いておられるのではないだろうか。
小説を書いているというよりは、「刻んでいる」、そんな印象が強いのだ。
たがねで溝を彫り、金を埋め込む。
美術館に行くと気絶しそうなほど精緻な金工象嵌細工を眼にするが、あのような感じの文体だ。
どの頁にも美しい言葉がないと嫌、そう云ったのは作家の山田詠美だが、その拘りをさらに突き詰めて、一行一行にまで落とし込んでいる。
馴染みがない人には文章の硬さに意識が向いて物語と親しみにくいという欠点があるが、この手の筆致を好む人にとっては江戸切子の中に入り込むようにして耽溺し、作品世界と文体が生み出す万華鏡に没入できるという長所がある。
カジュアルな化繊の洋服に比べて、正絹の本友禅くらいの開きがある。
そしてこの文体に、BLが実によく似合うのだ。
本編の主役の一人が古着物のリメイク作家ということもあって、芸術的要素が随所にのぞくのだが、ここは作者の得意とするところだろう。
中華そばひとつとっても、懐石料理でも食べているのかと想うほどの描写ぶりだ。
むろん、中華そばが懐石に化けたわけではない。
それを注文した者たちの、容貌が、言葉が、所作が、そのふるえる心が美しいから、そう見える。
京都、金沢、大阪。
小道具や情景描写ひとつとっても、端正な主役の二人に相応しいものをと、作者は細心の注意を払って吟味し、配置している。
全編を通して、春の夜明け、夏紅葉、秋の海、石灯籠の上にしんしんと降り積もる真冬の雪が見える。
優れた工芸品からはそれが生まれた国文化が見える。
はりつめた精神の技ゆえだ。
こういう方の作品には何も云う事がない。
ただ己の美意識に従って、他の方には到底できない、緻密な細工を心ゆくまで創り続けるのが似合うのだ。