風花が微笑む頃に。

夏廼みかん

世界が色づく声がした。

『お前は何もできなかった。』

 ――そんなの分かってる。


『あの人はお前を信用していなかったんだ。』

 ――違う、そんなわけない!!


『お前がそもそも拾われなければ―』



 夢を見ていたらしい。ぼーっとしている思考が覚醒し切るより先に身体だけが先に飛び起きた。

 急にどっ、と疲れが押し寄せて身体のだるさを実感した途端、アキはおそらく見ていたであろう悪夢を思い出した。


「ははッ……、お前は俺が嫌いって言いたいのね…。知ってるよ、嫌いなことくらい。でもそんなに言わなくてもいいだろ?」


 夢の中の人物に話しかけたところで意味が無いと分かっていても結局声に出てしまう。


「ただね、俺だってお前が嫌いだよ」


 誰にも聞かれることのない言葉が静かな部屋の中にぽつりと溢れた。



     *     *     *



 大きな変化もない普段通りの日常。

 ただ平和に時が進み、人々は時に流されながら生きている。そんな戦争のせの字も忘れ始めたこの世界では、誰も自分たちの生活がカタギ以外の人間によって整えられていることを知らない。

 整えるということ。それはあくまでも裏社会の中でそれが暗黙の了解とされた上で行われる殺戮でもあるのだ。カタギの人間たちからすればこんな裏社会は知りもしないことなのだろう。けれど一歩、道を踏み間違えた人間はカタギだろうがそうでなかろうが関係なしに裏社会に関わるしかなくなる。そして、それはアキにも当てはまったことである。


 当てはまった、と簡単に言うものだが実際はアキ自身が道を踏み間違えたわけではなかった。踏み間違えたのは両親だった。

 元々、アキの家には長男がいた。アキとはかなり離れていた、たった一人の兄。その兄は眉目秀麗で勉学も運動も全てにおいて優れていた。何もかもが完璧で両親でさえ驚くほどの成長を遂げていた。しかし、兄は大学を卒業し学生という枠組みを外れ、一般の大人という扱いへと変わった瞬間、兄は失踪した。

 両親は何故失踪したのか、どうしてこのタイミングだったのかも全て理解できなかったが、兄としてはおそらく両親による期待の目から逃げたかったのだろう。けれど、両親は自分たちの期待が兄にどれほどの重荷で、重圧になっていたのかなんて知りもしなかった。どうやったって、理解し合えなかったのだ。

 結局、それからというもの、母親はショックで精神を病み、精神を病んだことによる影響で不妊になったりしていた。一方で父親も同じくショックを受け、仕事に不調が出て危うく役職剥奪にまで発展しかけるほどだった。そんな中、繰り返し不妊治療を行い、ようやく一人を授かることができた。そしてその子どもがアキだった。しかし、二人目に当たる子どもを授かろうと努力し続けた理由として、ショックで落ち込んだ末に考えついたことである長男のような子どもをもう一人得ることだった。さすれば、きっとまた誇れるような家系になれるだろうと考えたのだ。

 誰が聞いても悪寒のする話だろう。簡単に言えば、長男のクローンを作るようなものだ。そんな計画のもと生まれたのが―いや、生まれてしまったとでもいうべきか―アキだった。

 アキはクローンを育てたがる両親による純粋とは言えない愛情を受けてすくすくと成長した。けれど、アキは兄に似ることはなかった。

 アキは、運動がとてつもなく得意だった。眉目秀麗で優秀な兄と同じ、いやそれ以上もの才能を秘め、初めて触れる全ての競技において、ものの数時間遊んでいるうちに感覚を掴み、上達していく。けれどその一方で勉学はあまり得意ではなかった。早いうちから幼稚園に通い勉学に取り組んだが、どれもあまり実を結ばなかった。そのことを知ると両親は途端にアキに対しての興味を失ったのだ。両親が何を思ったかまでは計り知れないが、少なくとももう、自分の子どもとは思っていなかった。

 それから、アキは家庭の中で虐げられた。満点を逃せば罵られ、運動を頑張れど運動会にすら来てもらえず、ワークを何十冊も解くように命じられて必死で解いたにも関わらずたった一問の間違いで全てのワークをゴミ箱に投げ捨てられた。

 人権などここには存在しないと言わんばかりの扱いをされた挙句に、両親はついにアキを捨てた。

 アキはたった一人になった。


―兄のようになれない子は要らない。


 そんな一言が両親に言われた最後の言葉だった。それからアキは必死に生きた。一人になり、養ってくれる大人もおらず、物心ついたばかりの幼子が人に頼ることを知らないまま、夜の街だろうが、何もない住宅街だろうがお構いなしに歩き回ってはどうにか物をたべ、その日、生きられるかどうかという瀬戸際を過ごしていた。

 気付けばそんな生活を繰り返して一年が経った。この一年という月日は残酷にもこの世界の理を叩き込んだ。こんな幼子でも、この世界じゃ誰も救いの手を差し伸べてくれない。齢六才にして、アキは悟ってしまった。



 とある快晴の日。この日もアキはその日を生きるための食糧を探すために街中を歩き回っていた。けれど、その日は快晴で雲ひとつない綺麗に晴れた空だった。そのせいか、まともな食事を取れていない中で歩いたことでアキは疲労と軽い熱中症を起こしていた。日陰を見つけたアキは早歩きで日陰に入り、その場に座り込んだ。意識が朦朧とする中で聞こえた声になんとか耳を傾けて顔を上げればそこには一人の女性がいた。


「ねぇ、君、一人?」

「…見ればわかるだろ」

「それは…そうね、じゃあ違う話をしよっか。君、生きたい?」

「…ハッ、まあ、幸せに生きられるなら生きたいよ。叶うわけないけどな。たぶん、俺は今日で死ぬよ。もうずっと碌なもんすら食ってないんだ。ほっとけば死ぬ」

「怖くないの? 助けてほしいとかそういう気持ちもないの? 君、生きる意味もってないの?」

「鬱陶しいな…。ほっときゃ死ぬさ。お前の偽善で助けてもらえたところで結局は要らなくなって捨てるだろ? なら、もう助けられるよりこのまま死んだほうがマシだよ」

「珍しいね、こんなに諦めてるとは」


 その女性は小さな微笑みをこぼして言った。


―じゃあ、私のアジトにおいでよ。大丈夫、君を捨てたりなんかしない。君が大きくなるまでちゃんと育ててあげる。それで時が来たら君がどうしたいか決めればいい。死んだほうがマシなんて言えなくなるようにこの世界の幸せを教えてあげるから。


 そんな言葉にアキは初めて己の覚悟が揺らぐ感覚を覚えたのだった。










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風花が微笑む頃に。 夏廼みかん @Natsumikan_MK_324

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