第31話:終わりの気配

「うーん」


 唸って、明さんは黙々と食べ始めた。仕事中に難しいことを考える時も、この人は手を止めない。むしろ何かしているほうが考えがまとまる、と言うのかも。

 新たに届いた唐揚げや、ほっけも同時に口に入れた。咀嚼してビールで流し込む機械という感じ。


 邪魔をするつもりはないが、どうしていよう。仕方なく目についた小鉢を持ち、ほうれん草とあさりをモソモソ食べる。

 おいしい気はするけれど、いまいち味が分からない。我がままを言うあたしにはちょうどいいや、と食べ続けた。


「――色々考えたんだけど」


 小鉢の中身がなくなり、りんごジュースで口を洗い、明さんを眺めた。すると同時に彼女の目もこちらを向き、あたしの背すじがビクッと震えた。


「一足先に降りるって言い出す理由が分かんない。沈没するかもとは言ったけどね、あくまで可能性の話って穂花ちゃんはきちんと理解できるはず」


 それは分かる。コクンと頷けば、明さんも同じようにした。


「じゃあ別の理由がある。候補は思いつくけど、やっぱりどれも飛び降りるきっかけにはならない。となると私の知らない何かがあった、のかな」


 言って、わさび漬けを口に放り込んだ。しばらく持ったままだったお箸を置き、ジョッキを一気に空にする。

 流れるような動作でハイボールを注文するのも忘れない。


「言いたくない? 無理にとは言えないけど、できれば教えてほしいよ。蔵人のやらかしと穂花ちゃんの一大事とじゃ、私の立ち位置も違うから」

「立ち位置?」

「責任をとらなきゃいけない大人と、あくまで友達枠の近所のお姉さん的な?」


 近所ではないけど。高校の帰りがけに、オープン準備中の紙を張ったお店を見つけて。

 大きなガラス越しに、背の高い黒Tシャツのお兄さんが居た。たぶん内装業者さんと、何種類かの壁紙を壁に当ててみていた。

 すぐ。アルバイト募集の紙を求めて、そこらじゅうを見渡した。


「最初。話しかけるまでは、お兄さんと思ってました」

「え、急にディスられてる?」

「カッコいいって言ったつもりなんですけど」


 からかう口調に対して、拗ねて見せようとした。でも無理で、声も顔も俯き加減。


「知ってる」


 明さんも噴き出して笑うところだろうに、寄せた眉根が自嘲としか思えなかった。


「例の、出島さんに変なことされた? 何だかビクビクしてて、思いついてもできなさそうだったけど」

「え。会ったんです?」

「この間、たまたまね。ちょっと話しただけで、これといってなかったよ」


 驚いたが、真地さんも似たようなことを――似てないか。まあ今まで接点が無かっただけで、顔を合わすのはおかしくない。


「何もされてません。どっちかって言うと私のほうが失礼なくらいで」

「ふぅん。たぶんあっちからしたら、失礼どころか」

「どころか?」

「ううん、何でもない。気にしなくていいと思うよ」


 気になるに決まっている。会って何を話したか、何かあったのか、重ねて聞いても答えてくれないし。


「それより穂花ちゃんのこと。あのおじさんじゃなかったら、ウチのスタッフの誰か? さっきも雰囲気悪いって言ってたけど」

「いえ。それこそ具体的に、これってことは」


 コソコソと聞こえてくる噂の端切れ。中でも真地さんの顔が思い浮かぶが、首を横に振った。

 関係なくはないけれど、それが原因かと問われれば違う。


「じゃあ、あとはお客さん? それともプライベートで何かあった?」


 もう一度。いや二度、同じように首を振った。そのつもりだった。

 なのに明さんは、キッと目尻を吊り上げる。


「どの客? 何されたの?」


 * * *


 晩御飯をご馳走してもらって、一週間が過ぎた木曜日。もう十月も終わりが間近で、つまり今年も二ヶ月を残すのみという事実に唖然とする。


 あのサインペンに纏わることを喋らされた。ごまかしきれず、洗いざらい。

 分かった、とひと言。薄ら寒い怒気をスッと消し、普通に食事を楽しんでいた明さんからの連絡はまだ。

 おかげでずっと落ち着かない。仕事をしていても、ここに居ていいのかななんて。


 ただし今日は、別の理由もある。夜シフトの早番と、昼シフトと、同僚同士の不穏な会話を聞いたせいで。


昨夜ゆうべも出たらしいよ」

「例のアレ? また?」

「うん、また。気持ち悪いってか、怖いよね」


 大きな虫とか、ネズミとかだろうか。最初はそう思ったが、途中で風向きが変わった。


「最初、誰が見つけたの」

昼シフトこっちの子。夜、たまたま車で通りかかったんだって。そしたら自販機の影に、ぬうぅって」


 なるほど、幽霊らしい。何も知らなければ、結論はそうなった。

 でも違う、出島さんだ。

 あれから彼は、毎晩のようにカフェ裏で待っている。大阪に行っている金曜と火曜以外は。


 どんな顔をしていいか分からなくて、あたしが出ていかないから。さすがに朝まで待つことはなく、一時間くらいだけど。


「でもさ。夜シフトになる前は、ハシイさんが自販機のとこで休憩してたよ」

「えっ、じゃあ――」


 聞こえていないつもりか、聞かせているのか。どちらにせよ好奇の視線が向く前に、感情を消す。

 妙なことになる前に、覚悟を決めなくては。

 と理解しているものの、無理ムリむりと全力で叫ぶあたしも居る。


 まあ、このカフェが無くなれば会う機会も無くなるのか。

 日付けが変わろうかという頃合いには、そんな風にも考え始めた。ならばこのまま会わずにいれば、出島さんも呆れてくれるだろう。


 それがいいのかも。

 結論づけると、本当に最良という気がしてきた。チクチクどころでない、切り裂くような胸の痛みは無視する。

 ちょうど零時を過ぎたところ。表のガラス扉を開いたお客さんを、あたしは迎えなくちゃいけない。


「いらっしゃいませ」

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