第23話:悪夢



 ……間違えた?



 そうだよね。彼はあたしの相談を聞いてくれただけで、今はそれも大丈夫そうで。

 お礼の品物なんか渡して、優しい出島さんに余計な気遣いをさせて。

 何やってんだ、あたし。だからこんな雨の中、引き留めるなと言ったんだ。自分を罵ることばかりがポンポン浮かぶ。


 急に黙ったあたしに、困り顔の出島さんは頭を掻いた。変に思われているに違いない、けど何を言えば?


「すみません、出島さんの迷惑も考えずに。お店のこと知ってもらったら、他にも話せることあるかなとか、調子に乗ってたみたいです。ありがとうございました、今まで」


 そうだ、いつもお礼を忘れてはいけない。この人に教えてもらった。

 半端に下がった自分の頭が、おじぎなのか俯いたのかも分からないが。


「えっ、えっ? なんで? あ、いや、そうか。ごめん、そうじゃないよ。ええと、とにかくごめん」


 大きな右手がぶんぶん振られた。仕草も声も、見開いた眼も、違う違うと強く訴える。


「でも、私ばかり相談に乗ってもらって。得してて」


 ズルいと言われても仕方がない。自分で納得したのに、彼は「違うよ」と声を上ずらせた。


 誰か――に。コーヒー豆なんて誰から貰ったの、とでも問われて答えに困ったんじゃ?

 まだ思い浮かべただけの問いに、出島さんは答える。


「迷惑とか困るとか、何もないよ」

「でも」

「ごめんね、ちゃんと説明するから」


 言って彼は、自動販売機の裏を覗いた。「持てる?」と、あたしに傘を持たせて自分は濡れながら。

 乾いたプラケースを探しているらしい。濡れていく背中へ傘をさしかけたところで、「よいしょ」と二人分のプラケースが持ち上がった。


「前にさ。ドジマって呼ばれてた話、したっけ。高校の三年間、ずっと言われてて」

「聞きましたけど、そんなに?」


 サッサッと用意された即席の椅子に、ためらいながらも結局は座る。

 人ひとりが入れる合間を取り、彼も。もうあたしの中では、いつもの距離と言っていい。

 出島さんがまた傘を持ってくれて、それはいつもと違う。


「本当にどんくさいから、間違ってはないよ。体育と美術の成績は赤点ギリギリだったし」

「そんなこと。もし間違ってないとしても、普通はそんなあだ名にしません」

「あはは、ありがとう。まあ、それだけ迷惑かけた人が多かったんじゃないかな」


 出島さんは力なく笑い、高校生の時の嫌な出来事を話し始めた。

 荷物の仕分けのアルバイトをしていて、お休みの日にカラオケに誘われて。指定の場所へ行ってみたら、暴走族みたいな人たちのたまり場だった。

 高校生にはかなりの大金の、一万円以上を奪われたと。


「それは……」


 言葉にならなかった。あたしの身近にそれほど犯罪じみた、いや犯罪そのものはあったことがない。

 どんな顔をしていたものか、出島さんが「ありがとう」と微笑む。


「俺も腹が立ったよ。怖かったのが一番だけど、うん、腹が立った。だけど卒業のちょっと前に、一緒にアルバイトを始めたクラスメイトに呼び出されたんだ」

「また何か」

「いやいや、俺もそう思ったけど違った。『悪かったな』って謝られた。『だけど悪いのはお前だからな、いつもモタモタして迷惑してたんだ』とも言われたけど」


 そのクラスメイトは、謝りたかったのか何なのか。まま問うと、彼も「さあ?」と噴き出した。


「俺自身は、みんなと同じにできてるつもりだった。だけど伝票を見てからの判断が遅い、一つ運んでから次に動くのが遅い、途中で指示の変更があったら必ず何度か間違える」


 他にも色々、と大きなため息。

 昔のことだし事実は分からないが、身に覚えがあるのだろう。小さく頷いていた。


「車の免許を取るのに、授業を予約する機械の使い方を間違ってて。何回か追加料金を払うことになった。整備士の専門学校で、高い機械の基板をオシャカにした」


 指折り数え、「言い出したらきりがないよ」なんて笑って言う。

 さっきから、どの笑声も彼らしくない。


「誰でもできることを、できるようになるのに十倍も二十倍もかかる。自分が不器用で、頭が悪いって知ってるから。ちょっとやってみたいな、くらいで誰かに迷惑をかけたくないんだよ」


 カフェに行けないと言ったこと。なるほど、事情は分かった。

 だけどそんなに思い詰めること?

 思わず声に出しかけた。眠たそうな彼の眼に、小さな水滴を見つけて黙る。

 これはきっと誰も触れられない、高校生からずっとうなされている悪夢トラウマだ。


「時間をかければ、できるようにはなる。どうしてもやらなくちゃいけない時には、とことん調べて。事前練習なんかもして、誰にも迷惑がかからないようにする」

「運転手さんは、ずっと続けてるんですもんね」


 これくらいしか言えることがなかった。あたしは出島さんを知らなすぎる。


「誘ってくれたのは嬉しいよ。だけど他のお客さんも店員さんも居る中で、迷惑になるから。端居さんがいいって言っても、俺が俺を許せない。何も難しいことのない、缶コーヒーが最高だよ」


 俺にとってはね。

 などとフォローを忘れない彼が、どうしてそんなことで思い悩まなければいけないのだろう。高校の時のクラスメイトや、アルバイト先の人達が憎くて堪らない。


 あたしの渡した缶コーヒーを、出島さんは飲み始めた。ふた口目で「あっ、俺だけごめん」と慌て、あたしのアップルティーを買ってくれる。


 その言葉を最後に、しばらく会話がなくなった。黒くツヤツヤの裏通りを黙々と眺め、時に思い出して缶を傾ける。

 そんな時間が十分ほども続いたろうか。


「あれハシイさん、何してんです?」


 もう聞き馴染んだ女の子の声が聞こえた。

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