第11話:大した人と書いて大人

「出島大吾です。そこの運送屋、は言ったか。何でしたっけ、コーヒー?」


 おもむろに、買ったばかりの缶コーヒーを彼は開けた。熱いはずの中身が、音を立てて流し込まれる。おそらく半分ほども。

 お風呂にでも浸かったかに、しみじみ目を閉じる。ふうっ、と大きく。ゆったり強く、琥珀色の吐息。


「好きですよ」


 はにかんで笑む出島さんに、あたしまで嬉しくなった。


「あの、出島さんのほうがかなり歳上だと思うので。私なんかにそんな敬語とか」

「いえいえ、俺なんかのほうがただのおっさんで」


 気にするなとばかり、とろんとした眼が細まる。頑なに拒まれたでもないのに、何となくそれ以上を言えない。


「好きと言っても、これ・・ばかりですけどね。あと、家でインスタント」


 次の言葉を見失ったあたしに、出島さんは缶を振って見せた。


「お店とか行かないんですか? あちこち、どこにでもあると思いますけど」

「あー、ニャンバックスとかキャトーズとかですか。仲間内で好きな人は居るんですけどね、俺は行ったことなくて」


 コーヒー好きで、トラックで色々な場所へ行くのだろうに。行きたくない理由でもあるのかもしれない。それなら余計なことを言った。

 と思ったら「へへっ」と、彼は恥ずかしそうに耳の辺りを掻く。


「正確には目の前まで行ったんですよ。売り場の境の、柵のとこまで。でもブレンドとかアメリカンじゃなくて、サイズがS、M、Lでもなくて。よく分からなくて逃げたんです」


 なんだ、それならあたしの応対するお客さんでもよくある話。メニューの説明をしても難しいようなら、濃いめとか苦めとかを聞き出してこっちで選ぶ。


「実はあたし、働いてるとこが――」


 話している目の前が、勤めているカフェだ。カップのサイズも流行りの呼び方だけでなく、まさにS、M、Lともメニューにある。

 あたしの居る時。できればお客さんの少ない時間に来てくれれば、ゆっくり説明を。


 なんてことを言おうとしたのに、サッと大きな手が視界を塞ぐ。


「ダメだよ端居さん」

「えっ?」

「俺がおかしな奴だったらどうするの、いや違うけど。端居さんが自分でちゃんと把握してからだよ、そういう個人的な話はね」


 柔らかくのんびりした話し方のまま。でもはっきり、きっぱりと諭された。出島さん自身が説得される側みたいに頷きながら。


「そ、そうですね」

「うん。それでその、もしかして、自意識過剰でキモいって思われそうなんだけど、まさか俺が来るのを待ってた?」


 手厚い予防線の先に、彼は正解を言った。ごまかすつもりもないが、声に出されるとドキッとする。


「実は、まあ。ちょっと相談というか、大人の人の意見が聞きたくて」

「俺に?」


 筋合いがないと断られたら諦める。そう決めて発した声は、思いの外に小さくなった。

 だからか出島さんも怪訝に首を傾げ、なぜか腕時計とあたしとを交互に見る。


「あれ。その缶、何か買ってたの?」

「ええ、アップルティーです」

「そんなのあったんだ、どれ?」


 開けないまま握った缶を、見せてと両手が差し出される。言われるまま載せると、その缶と自動販売機とを彼は見比べた。


「ほんとだ、気づかなかった。これ、おいしいの?」

「おすすめですよ」

「へえ、今度飲んでみるよ」


 缶を返してくれるのに、律儀にも「ありがとう」なんて言われた。ただ見せただけのあたしが、何と答えていいやら。


「大した人と書いて大人なんだけどね、俺はそうじゃなくて」

「はい?」

「聞くだけ聞いて、何も言えないかも。それでも良かったら、話してもらえる?」


 何を言ってるの?

 戸惑ったが、相談に乗ってくれるらしいと気づいた。何を言っているかとは、あたしのほうだ。


「私こそ、変なこと聞くかもしれません。でもそんな風に普通に話してくれたら、私も話しやすいです」


 敬語だと、お役所の相談窓口にでも来たみたいだ。出島さんはかなり真面目に取り合ってくれる予感がして、なおさら。


「あっ、ほんとだ。ダメだなぁ俺」

「ダメじゃないです。そのほうがいいです」


 頭をガシガシ掻きむしりながらも、「そう?」と出島さんは頷く。あたしもカラカラの唾を飲み込み、まだ引っ込み思案をしようとする声を引っ張り出した。


「その、やってもないのに悪いことしたって言われて。周りの人に言いふらされるって、どう思いますか」

「端居さんが?」

「あっ、い、いえ、友達です! 友達が困ってるって」


 補足も唾を飛ばす勢いで、最初からボロボロ。これはもう、あたし自身のこととバレバレに違いない。


「そうかぁ。うーん、思った通りなんだけど」

「はあ……」

「端居さんは優しい人だね。友達思いで」


 バレてない?

 とぼけているんだろうと思ったが、出島さんはもう腕組みで考え込んでいる。小さく唸りながら、あたしを窺うような視線はなかった。


「優しくなんてないです。椅子もないのにすみません、ここ座りますか?」


 優しい人は、きちんとした椅子を用意する。ため息を堪えて恥ずかしげもなく、重ねたプラケースを勧めた。


「いいのがあるね。でも端居さんは?」

「大丈夫です。すぐ作れます」


 自動販売機の裏から、別のプラケースを持ってくる。出島さんが座ったのと、人ひとり分も離して並べて。


「こうしたら絶対、ってのは言えないんだけど。代わりに俺のはなししていいかな」

「はい、お願いします」


 出島さんの目を見て、たぶんかなり真剣な顔で言った。「あはは」と照れ笑いでそっぽを向かれたが、彼のお話は始まる。


「トラックでね、大阪まで行くんだよ。火曜と金曜、次の日に戻ってくる。月曜と木曜は運ぶ荷を積みに――ってその辺はどうでもいいか」

「大阪まで二回も。大変そう」

「そうでもないよ。運転、好きだから」


 あたしは運転免許を持っていない。親も車を持っていない。バスやタクシーの運転手さんくらいしか、運転する姿を見ることがない。

 だから全くの想像だけど、何時間も椅子に縛り付けられるのは苦行にしか思えなかった。


「で、遠いから高速使うんだよ」

「コーソクって、高速道路ですよね」

「うん、そう」


 やってもいない悪いこと、それを言いふらされること。そのどちらとも、高速道路の関係が見えない。

 意味ありげに「へへっ」と出島さんが笑うのも。

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