4、戸惑い


 テオの先導せんどうのもと、カナヤは屋敷の部屋のひとつに入った。


 彼の自室では無い。

 そこは応接間であり、夫婦が話し合うにしては非常によそよそしい選択であるが、


(まぁ、でしょうね)


 カナヤは納得だった。

 離縁の話をするためとなれば、他人行儀になるのも当然過ぎる話である。


 応接間には、この屋敷にしては豪華な机とそれに釣り合った椅子が4きゃくあった。

 テオは淡々とその中の1つに腰を下ろし、手のひらで対面の椅子を示してきた。

 応じてカナヤは座る。

 すかさず、テオが口を開く。


「申し訳ない。侍女は、貴女の体調が優れないようだと言っていたが」


 テオから受ける初めての気遣いだった。

 感謝の念などは当然湧かない。


(せいせいしていることでしょうね)


 ようやく邪魔者を排除出来ると思えば、口も軽くなるに違いなかった。

 ともあれ、どうでもいいことだ。

 カナヤは首を左右にして見せる。


「お気になさらず。体調に問題はありませんので」

「そうか。では、早速失礼する。今日は貴殿との離縁について話をさせてもらいたい」


 相変わらずである。

 テオは淡々として、本題を切り出してきたのだった。


(……そっか)


 カナヤもまた淡々として受け入れることになる。

 やはり離縁の話となったのだと。

 もちろん、どうでもよかった。

 分かりました、と返答する。

 それだけの話であった。

 まったくもって、それだけの話だ。

 予想していたことが、ただ予想通りに起きただけだった。

 どこにも居場所のない女が、案の定追いやられるだけ。

 どこかへと追いやられ……また居場所なく生きていくだけ。


「カナヤ殿?」


 決して、何かしらの物思いにふけっていたわけではなかった。

 首をかしげているテオに対し、カナヤはすかさず応じる。


「まぁ、分かっていました」


 カナヤは内心で首をかしげた。


(あれ?)


 予定とは違う。

 分かりましたと返すだけのはずで、これは違う。

 だが、口を出たのはこれであり、さらには、


「本当、分かっていましたから。貴方が私をどう思っていたのか。醜く愛想もない役立たずを嫁にだなんて、さぞ落胆と屈辱の思いであったことでしょう。だから、分かっていました。私は分かっていましたから」


 わけの分からない長口上ながこうじょうだった。

 動揺するしかない。

 何故、自分はこんな妙なことを口走ってしまったのか?


 ともかく、言いたいのはこんなことでは無かった。

 すみませんでしたと一言を置き、分かりましたと了承を告げる。

 そうしようとした。

 だが、その前にテオが妙な反応を見せた。


「……ん?」


 そう呟き、怪訝けげんそうに首をかしげたのだ。

 そして、何を思ったのか?

 彼は突然、大きく目を丸くした。


「ち、違う! 決して違うぞ! 誤解だ! 私はそんなつもりで離縁を口にしたつもりは無い!」


 カナヤもまた目を丸くすることになった。

 さすがに驚きを禁じ得なかったのだ。

 彼はこんな人物では無いはずだった。

 いつも無感情で、こうして動揺も露わに叫び立てる姿など想像も出来なかった。


 しかし現実はこうであり、さらにその叫びの中身は耳を疑うようなものだった。

 カナヤは「え?」と戸惑いながらに問いかける。


「誤解……ですか?」


 テオはどこか悩ましげな表情で頷いた。


「そうです。いや、誤解を誘ったのは私の態度と申しますか、わけあって警戒せざるを得なかったためであり、まぁ、私の無愛想さもあってでしょうが……ともあれ誤解です。大きな誤解です」


 カナヤはおずおずと頷く。

 よくは分からなかったが、とにかく彼の本意ほんいではないらしい。

 しかし、やはりよく分からない。

 彼が一体何を言いたいのか。


「それであの、誤解とは? 何を指してのお言葉で?」


 離縁という点には誤解も何もないだろう。

 では、一体何か?

 テオは真顔に戻って口を開く。


「それはもちろん、理由です。貴殿は、私が貴女に不足を覚えたためと思っているようですが、それはまったくの誤解です」


 驚きは途端に冷めた。

 カナヤは思わず失笑してしまう。

 少しでも波風を立たせないための彼なりの処世術なのだろうが、それはバカらしく聞こえるものでしかなかった。


「面白いことをおっしゃりますね。まさか、貴方は私に満足していたと?」


 咄嗟とっさに皮肉の言葉が口を突く。

 テオはすかさず応じてきた。


「他に言いようはありませんな。貴女ほどに素晴らしい女性を私は知りません」


 白々しいとはまさにこのことである。

 カナヤはさらに皮肉を重ねようとして……思わず口をつぐんだ。


 原因はテオの表情にある。


 顔つき自体には訴えかけてくるものは無い。

 いつもの不機嫌さがにじんでいるような無表情。

 言葉に信憑しんぴょう性を与えるようなところはまったくの皆無。


 だが、眼差しだ。


 初めて間近にする彼の双眸そうぼうは、黒に似た灰色であった。

 そこに揺らぎはまったく無い。

 適当に喜ばせておけば場は丸く収まる。

 そんな軽薄な意思の気配はまるで無い。


 どこまでも真摯しんしであるように思えた。

 嘘偽りがあるようにカナヤには見えなかった。

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