3、嫁入り

 降って湧いたような突然の縁談えんだんである。

 当然、父に告げられた瞬間に驚きはあった。

 だが、次の瞬間にカナヤの胸に浮かんだ思いはと言えば、


(どうでもいい)


 で、あった。


 不出来に過ぎると秘蔵ひぞうしていた娘を、何故今になって嫁に出すつもりになったのか?

 その辺りの事情はどうでも良かった。

 嫁ぎ先はどこなのか?

 一体どんな相手なのか?

 それらもまたどうでも良い話しだ。興味は持てなかった。

 ただ、ひとつ願うところはあった。

 今まで通りと贅沢ぜいたくは望まない。

 ただ、可能な限り他人と関わらずにすむ平穏な生活が欲しかった。

 カナヤは期待はしなかった。

 願って何かが叶ったことなど一度として無いのだ。


 だからこそ、現状は少なからず意外なものだった。


「……いってらっしゃいませ」


 挨拶を終えてカナヤは頭を上げた。

 視界に入ってくるのは、生家とはまるで異なった質素に過ぎる玄関の様子だ。

 そして、男性が1人立っている。

 青年であった。

 長身で精悍せいかんであるが、好青年といった雰囲気は無い。

 感情の薄い顔つきをして、顔色は悪く、何よりその髪色だ。若白髪の総白髪である。

 総じて、不気味だった。

 カナヤの脳裏に浮かぶのは父の言葉だ。

 ──『幽鬼ゆうき』殿。

 まさしくと言うべきか、陰気に浮世離れした様子であるが……ともあれ、彼がその人だった。

 

 カナヤの夫だ。

 名は、テオ・グレジール。

 サルニア伯爵と称される、グレジール家の若当主である。

 その彼は、陰鬱いんうつな眼差しをカナヤへと返した。


「……行ってくる」


 豊かではあるが、これまた陰鬱な声音こわねであった。

 そして彼は扉に手をかけたのだが、それ以降にカナヤを気にかけることは一瞬としてなかった。

 淡々と扉の向こうに消えていった。


 カナヤの隣には、白髪混じりの侍女が1人いた。

 グレジール家の侍女長じじょちょうだ。

 毎朝、見送りに同行してくれているのだが、その彼女はカナヤに気兼ねするような視線を向けてきていた。

 意味するところは明白だった。

 同情なり憐憫れんびんだ。

 先ほどのテオの様子が、新婚の妻へのものとしてふさわしいわけが無いのだ。

 ただ、カナヤは新婚生活に甘い期待をよせるような妻ではまったくなかった。


(ありがたいことね)


 自身も淡々と玄関を離れる。

 用意されている自室へと向かう。

 そこは階段を上がってすぐの場所にあった。

 扉を開き、部屋の中へ。。

 視界に広がったのは、玄関と似通ったところのある素朴なひと部屋だ。

 カナヤは、窓際に置かれた椅子に腰を下ろす。

 椅子の背に、ゆっくりと体を預ける。


「……はぁ」


 ひと仕事を終えての安堵の息だった。

 窓からは手入れの足りていない感のある雑然とした庭園が見下ろせる。

 その様子を眺めつつに、カナヤは現状に思いをはせる。


(本当にありがたいわね)


 感謝の思いしかなかった。

 なにせ、ここでは実家以上に1人でいられたのだ。

 一応のこと、グレジール家の奥方おくがたなのだ。

 その立場にふさわしい働きなどを求められると思っていた。

 ところが、それがさっぱり無い。

 嫁に入って10日にもなるが、夫であるテオ・グレジールはそれをまったく求めてこない。


 そもそも彼は嫁に興味が無いようだった。

 言葉を交わすどころか、顔を合わすことすらまれであった。

 先ほどのような朝の見送りや、夕方の出迎えが精々の機会である。

 それ以外に交流は無かった。

 まったく何も無かった。


 いぶかしくすら思えるのだった。

 期待して何ひとつ叶うことのなかった人生だ。

 自らにこんなが許されていいのか?

 カナヤは戸惑いさえ覚え……唐突に事実に気づくことになった。


 目の前には窓がある。

 そこには自らの顔がわずかに映っている。


(……あぁ)


 カナヤは頷く。

 幸運でもなんでも無かったのだ。

 エルミッツ家の屋敷と同じことだ。

 自分はそうあるべき存在であると、それだけの話である。

 グレジール家の当主もまた、エルミッツの当主と同じ判断をしただけの話だ。


「…………」


 カナヤはしばし黙り込んだ。

 その上で、1つ「ふん」と鼻を鳴らす。


(別に、どうでもいいけど)


 現状はこの上ないものなのだ。

 問題は無く、文句も無い。

 しかし、


(……このままなんてことはあるのかしら?)


 ふと、そんな疑問が首をもたげた。


 間違いなく状況は違う。

 実家では、エルミッツ家の娘の1人に過ぎなかった。

 不出来ふできであれば、閉じ込めておけば良いだけの存在に過ぎなかった。


 しかし、この家では違う。

 

 グレジール夫人なのだ。

 カナヤは現在、グレジール家の唯一無二の立場を得てしまっている。

 閉じ込めておけばいい。いない者として扱えばいい。

 それですむとはあまり思えない。


 夫人の座に居座る邪魔者。

 そう思われて、夫人のままでいられるかどうか。

 そもそも、夫たるテオが現状に満足しているなどありえない。

 ふさわしき妻を得るためと、の排除に訴えることは十分にありえた。


(……まぁでも)


 カナヤは手のひらを広げる。

 手のひらの上に、火の粉を軽く踊らせる。

 魔術が使えるのだ。

 グレジール家を追い出されたところで暮らすにはきっと困らないにはずだった。

 

 そして、生きていくに違いなかった。

 

 たどり着いた先で、きっとまた邪険じゃけんにされて。

 1人となって。

 誰にも相手はされず。

 最後の時、死ぬその瞬間まで。


「…………」


 無論むろん、それで良かった。

 あるいは、どうでもいい話だった。


 カナヤは魔術の火を消した。

 自らの膝を抱き寄せる。そこに顔を埋める。

 何故か何も考えたくはなく、そのままじっとし続ける。


 その内に、どうやら寝入ってしまったようだった。


「……奥様。あの、奥様」


 声が聞こえ、ノックの音も聞こえた。

 カナヤは膝から顔を上げる。

 ぼんやりと、小さく首をかしげる。


(……あれ?)


 少しばかり戸惑うことになった。

 窓から差し込む光は、明らかに夕刻のものだった。

 低いところにある太陽が、おぼろげに赤く光っている。


 寝ていたようだが、それにしても長寝をしていたらしい。

 不思議だった。

 快適な現状のはずで、ここまでの長寝が出来るほどに疲れてはいないはずなのだ。

 案外、自分は疲れているのかどうか。

 それは体のものか。

 あるいは心のものか。


 ひとまず考えないことにした。

 カナヤは扉の向こうに声を返す。


「すみません。寝ていましたが、えーと、何か?」

左様さようだと思い、昼のお食事の時はそのままにさせていただきましたが……旦那様がお帰りです。どうされますか?」


 そう言われてみれば、そんな時間だった。

 カナヤはわずかに思案する。

 テオの帰宅などはどうでもよかった。 

 だが、引き続き眠り続けたいわけでもない。

 

「分かりました。すぐに行きます」


 扉を出ると、いつもの侍女長がそこにいた。

 共に玄関へと向かう。

 当然、そこにはテオがいた。

 別の侍女に外套がいとうを預けているところだったが、妻の来訪に気づいたようだ。

 向けられた無感情な視線に対し、カナヤは頭を下げて応じる。

 

「おかえりなさいませ」


 返ってくる反応は分かりきったものだった。

 あぁ、の一言である。

 これを受けて、カナヤは自室に戻る。

 これもまた分かりきった流れだ。

 

 だが、今日は何かおかしかった。


(な、なに?)


 いつもの言葉はなかった。

 代わりに、テオはカナヤをじっと見つめてきたのだ。

 そこにある意図は何なのか?

 彼は口を開いた。


「……時間はおありか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 思わず問い返す。


「じ、時間ですか?」

「時間です。ひとつ話したいことが」


 何を? という疑問は湧かなかった。

 脳裏に浮かんだのは、眠りに着く前の自らの思案だ。

 

(……もう、その時が来ましたか)


 彼が何を話したいのかなどは決まっていた。

 離縁りえんを告げようとしているに違いなかった。

 特に思うところなど無い。

 そう、まったく無かった。

 カナヤは頷きを見せる。


「はい。もちろん大丈夫です」

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