第11話 ダンテ

 視界に入るもの全てが白銀の世界と化した。凍てつき静止した静寂の中で、黒髪の青年だけが、さも気だるげに佇んでいた。


 彼の冴えた白い息が、解けるように空気に霧散する。そして、さもうざったそうに、白い靄を手で薙ぎ払った。ごく微小な氷の粒が空中に揺蕩い、その隙間からは覗くは、寒さに鼻を赤らめる青年の凄艶さ。


 その姿は儚くも屹立するそれは、まるで白虎さながら。


「寒いっすねぇ。」


 肩に乗った陽光の照る雪を、さっと払う。


 艶やかな黒髪にしんしんと粉雪が降り注ぎ煌めく、そう彼の名前は。


 ――――――ダンテ


 大気にたっぷりの湿気の匂いが染みついたそぞろの空、しきりに舞い落ちる牡丹雪の中で、彼のみが圧倒的な存在感を醸し出していた。


「来るのが遅せぇんだよダンテ!」


 屋根の上で怒号を上げる彼女の横顔には、薄っすらと笑みが零れていた。


 この異常な寒さは、彼が引き起こしたものなのか。


「いやぁ、ちょっとやることがあってっすねぇ…。」


 洗脳された兵士たちを目の前に、さも飄々とした態度で苦笑いを浮かべた。


「いいから前を見ろ!」


 地面を駆ける兵士の姿、そして彼の鼻先まで接近し、刃を一閃する。


「効かないっすよ。」


 空間を切り裂く程の速さで、肌を切り裂かれたと思ったその時、まるで時間が停止したかのように肌先でぴたりと刃が止まった。


「…?」


 訝しむ兵士の目線には、氷結し氷柱つららまで垂れた兵士の腕があった。


「僕の部下を洗脳するなんて君、いい度胸してますねぇ。」

 

 飄々とした声音は低く、明らかな苛立ちが滲み出ていた。


 彼の行動に呼応するように、続々と動きだす兵士たち。


 そして、彼はしゃがみ地面に手のひらを密着させる。


 そしてこう呟くのだ。


「私の支配した時間は、何人たりとも侵すことはできない。」


―――ブライクニル


 彼の手のひらから、まるで地を這う紫電の如く霜が広がり、触れるものすべてを凍てつかせる。それは草、ましてや空気中の水分の一抹さえも押しなべて凍てつかせる。そのあとに残る霜の結晶に陽光が映えて、きらきらと煌めいた。


 白々と霜が走る。


 ぴとり、ぴとりと兵士の足元に触れる霜。


 そして、兵士たちの足が一瞬にして凍った。


「さっき僕が足止め食らったヤツと同じっすねぇ。いい加減しつこいんすよ。」


 霜柱しもばしらをしゃくしゃくと踏みしめ、彼に刃を振るった兵士の前まで来る。


 腰を屈め、兵士の顔の覗き込む殺気に満ちた表情で。


「殺すぞ。」


 遠いはずなのに、私の所までくるほど、彼から一陣の殺意が吹き抜けた。


「おい、気を付けろよ。体内に爆弾を隠し持っている可能性がある。」


「へぇ…。だから診療所から爆発音が聞こえたんすねぇ。なおさら操っているやつには容赦できないっすよ。」


 普段のへらへらとした表情だがではあるが、目は笑っていないのだ。それは、彼の隠しきれていない殺気の色を表していた。


「予定が狂うなぁ。」


 ようやく、目の前の兵士が話しだした。


「貴方はまだ兵士と交戦している予定だったんですがねぇ。だから、本当に予定が狂うんですよ。黒野さんの下に設置しておいた第二の爆弾が作動しない。貴方の仕業ですか?」


「いいやぁ、知らないすねぇ。」


 そう、とぼけた顔をする。


 爆弾?


 彼女と一緒に下を見る。しかし、何もない。


「まさか!」


 彼女は拳を振りかざし、いともたやすく屋根に穴を開けた。


 私たちは、薄暗闇を洞をじっと覗く。


 数十にも並ぶ火薬の箱があり、そのすべてが悉く凍っていた。


「いやぁ、ばれてしまいましたか。」


 兵士は苦虫を食い潰したような顔をする。


「どっちみち起爆できませんでしたし。…まぁ、それもこれも黒野薊さん。君の所為ですよ。」


「君とあの子、何の関係があるんっすか。」


「これは私と君の因縁。貴方が知る必要はございません。」


 

 彼の笑みが吹き消えた。

 

 雰囲気が、文字通り凍てついた。


 

 彼の表情が無くなった時、私はあの一言が彼の琴線に触れたのだと感じた。


「俺の部下に手を出したお前が他人事を言ってんじゃねぇよ。」


 彼のいつもの掴みどころのない言葉遣いから一転、一人称すら変わる程の剣幕を立てる。彼のいつもの姿から想像もできない様子であった。


「……。」


 兵士は黙りこくって話す素振りを見せない。


「おいそうやって黙って逃げるつもりか。答えろ、なぜクロノアザミを狙うのか。そして、転移させたのはお前たちなのか。」


 薄皮が張り付いた、いかにも寒そうなその唇が開かれた。


「いいや、分からない。分からないからおかしいんだよ。だがそう、黒野薊くん君だけが見えて見えて仕方がない。君だろう、この世界をめちゃくちゃにしたのは。」


「…私?」


 あの兵士の言葉の意味が分からない。ただ、その言葉は意味もなく海の底に沈むようにして佇んでいる。何の意味を持つのかは分からないが、いやに居心地の悪い言葉であった。


「君が災悪をまき散らす。あぁ、いずれそうなる。だから君を殺す必要があるんだ。」


「ちょっと待った。その災悪ってなんだ?」


 彼がそう尋ねる。


「分からないから災悪なんですよ。」


「君の言っていることが理解できないんだけど。」


 彼の近くに、すぐ後ろの家屋の隙間に、物影が見えた気がした。


 心にさざ波を打つように恐々とした予感を、ふと脳裏に浮かび、屋根から身を乗り出して無意識に叫んだ。


「ダンテさん後ろ!」


 ダンテの背、家屋の中から兵士が飛び出した。刃が彼の肌を掠める。


―――しまっ

 

 すんでの所で兵士の攻撃を避けた彼は、バランスを崩し仰け反る。その隙に、ぐっと距離を詰める兵士。


 彼と兵士の視線が交差する。


 短刀が彼の心臓をめがけて振りかざされたその時。


「だから気を付けろっていっただろうがぁ!」


 彼女、グラフィは屋根の上に立っていた。


 投げる、いや投擲すると言った方が正しいか。右腕が地面に沈む程の勢いで上半身を捻り、手の内にあるものを鞭の如く兵士めがけてぶん投げた。


 そして、彼女の右腕から放たれる波紋のような衝撃波。それは、降っている雪をはねのけ、一瞬雪がない円状の空間を作るほどの強烈な衝撃。


 パンと乾いた爆音が、静寂にこだまする。


 それはソニックブーム。


 弾丸と言っても過言ではない程の速度で、放たれた制服のボタン。


「…?」


 振りかざした兵士の右腕に着弾し、ミシミシと音を立てて骨をへし折った。


 しかし兵士は勢いを落とさずに、何という執念か、彼の喉元へ噛みつこうとする。


 その攻撃もすんでのところで停止する。


 もう彼は兵士の後ろに回り込んでいた。


「はぁ。」


 彼は白い息を吐いた。


―凍結結晶


 空気が凍り付いた。


 空気中の水分が押しなべて凍てつき、キラキラと結晶が弾ける。


 突如、停止していた氷の雨粒が、蜘蛛の糸を張るようにして氷の層を作る。その姿はまるで、蜘蛛の巣にかかる朝露のようである。その極めて細い糸が、兵士たちを絡めとるようにして氷の牢獄を作った


 蜘蛛の巣に張り付いた羽虫のように動けない。


「いやはや、不甲斐ない一面を見せてしまいましたね。これでもう1mmも動けないっすよ。」

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