第10話 幽玄の覇者、その名は白虎

 私の目の前で眩い光が弾けた。


 手で光を遮るも、ほんのりと透いてみえる血液の灼々しゃくしゃくさが、瞼の裏に爆ぜた。


 瞳をすがめ、指と指の間から覗く。


 辛うじて見えるその先には、ベットに横たわる兵士が閃光していた。


 肌に触れる、空気が焼けた。


 ドガーーーーン。


 一瞬、それはコンマ1秒ほど刹那。

 

 すぐそばで爆発した。


 兵士が爆発した。


 空間を切り裂くほどの雷鳴の如き振動は、壁をいともたやすく破壊した。

 

 私は紙切れのように吹き飛ばされる。


 脳が揺れる。耳鳴りがうるさい。


 揺れる視界。減速する世界。


 焼ける空気。

 

 眩暈。


 激痛。


「…んぁあ。」


 何とも言えない音が喉の奥で鳴る。


 息ができない。息をすると喉が焼ける。


 

 私の体は、爆風で、屋外まで吹き飛ばされていた――


 

 弓矢のような雨が、肌に当たり痛い。


 雨粒を堪え、濡れて重たい顔を上げ、瞼に張り付く雨に疎ましさを覚えながらも辺りを確認する。


「なんだ、これ。」


 私は呆然とするしかなかった。


 私の体を、数十もの兵士が取り囲んでいたことに。


 爆発が起きる前、もうすでに兵士は取り囲んでいたのだ!


 爆音を鳴らす心臓。


 生唾を飲み込み、喉が鳴る。


 一体なにが起こっているのか、理解する暇がない。恐怖心、それのみが私の意識を埋め尽くした。


 逃げられない。


 動こうとするが、動けない。


 あぁ恐ろしい。恐怖が私を支配する。


 にじり寄る兵士たち。片手には剣が。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!」


 私は絶望した―――――――




 

 つんざく雷鳴、轟く稲妻、明滅する紫電、それが見えた、気がした。


 地面が唸った。しかし、それは兵士が起こしたものではない。


 電光石化。地を這う稲妻の如き俊敏さで、兵士を縫うように駆け行く者が見える。


 飛沫を置き去りにする。それは時間が止まったように。


 ほんの数秒である。


 

 ――――――――――――稲妻が、疾走した!



 その者は目の前に立つ。


「遅くなったな、申し訳ない。」


 雷鳴の正体は、グラフィであった。


「ここから離れるぞ。」


 彼女は軽々と私を担いだ。


 地を駆け、空を切る。目にも止まらぬ速度で地面を蹴る。その蹴りはいともたやすく兵士を乗り越えた。稲妻の如き自由さかつ素早いその彼女に、抱えられた状態から見る冴えた横顔に、恍惚こうこつとしてしまった。


 彼女は私を抱えながら、屋根に上る。


 あぁ、寒気が酷い。雨に濡れたせいか、手足が千切れそうなほど寒い。それは恐怖による気持ちの明滅の所為か、それともただただ気温が下がっているだけなのか。


「アイツらはお前を逃すつもりはないようだ。あぁ、しつこすぎるだろうが!お前、何しでかしたんだよ!」


「そ、そんなこと言われても分かりませんよ!」


 周囲を見渡していた彼女は、私をちらりと一瞥した。


「あぁ、顔に傷がついているじゃないか。ほら、顔を貸せ。」


「いや、大丈夫ですから…。」


 私の制止を振り切り、マグマのように熱い手のひらが、ぴとり、冷たい肌を溶かすように撫でた。


「な、なにしているんですか!」


「………。」


 薄暗い闇を纏って、艶やかに濡れた彼女の表情に、一抹の狼狽の影が差した。


「何故だ、どうして…。君は一体。」


 私を真正面に見据える彼女の表情に、憂いが漂う。


「何ですか、何かありましたか?」


「いや、この問題は後にしよう。」


 しかし、彼女は私の問いを一蹴し、周りを見てくれと指さす。


 周りには私たちのいる家屋を取り囲み、身動きが取れない状況であった。様子見をしているようで、攻める気配は感じさせない。しかし、だからと言ってここで野ざらしにされるのは体力的に消耗が激しい。


 私たちのいた診療所は、雨の中でも轟々と音を立てるも、鬼火さながらの覚束おぼつかない炎であった。雨が猛火に触れた途端に、白い吐息のように冴えた空気に霧散する。それがいかにもおどろおどろしいのだ。


 ゆったりと後を追いかけるように状況を把握してくると、電光の如く浮かび上がるものがあった。


「私の、私の仲間たち、仲間たちはどうなったのですか!」


 寒さで呂律が回らない。


「あの兵士は助からなかったが、お前の仲間は大丈夫だ。」


「なぜ大丈夫だと断定できるんですか!」


「俺が走って救助した。」


 私は兵士が閃光し爆発したのこの目でしっかりと…、いや、塞いだ瞳の隙間から光の筋が走り、白で滲んであまり見えなかった。しかし、距離10mほどの距離だ。たとえ稲妻であっても、到底間に合う距離ではない。


「少々無茶はしたがな。」


 足元に赤くぬらぬらしたものが雨水に滲んで流れ出している。


「全力で走ったが、お前以外の3人を抱きかかえるだけで精一杯だった。だから背を盾に、爆風からちゃんと守ったさ。しかしあの糞野郎が、俺がこうすることを予想してたみたいに、ナイフに遅効性の痺れ毒を塗ってやがった。」


 彼女の背中は赤い爛れが皮を突き破っていた。


 彼女は背中で爆風からクラスメイトを守ったのだ。


「お前は、兵士を除く4人の中で一番爆発から離れていたからな。お前も近かったが、さすがに助ける余裕はなかったんだ。」


「で、では仲間はどこに…。」


「そんなに心配すんな。もうすぐこの膠着も終わる。」


 片膝を付き周りを見渡す彼女の頬は、雨に濡れていた。執拗に陰った雨雲はいまだ地上を薄暗く染めるが、彼女の顔はそんなもの些細だと言うように、その陰のなかに密かな微笑を浮かべていた。


「なにか変わった事に気が付かないか?」

 

 変わったこと?


 そういえば兵士が攻めてこない。ただ見ているだけで、攻めてくる気配がない。


「もしかして、兵士たちは私たちを消耗させるためにただ見ているだけなんですか?」


「いや、それもあるが。気温に違和感を感じないか?」


 気温。それはここに来てからずっと感じていた。


 ただの雨ごときの寒さじゃない。


 そうだ、なぜこんな異常事態に気が付かなかった!



 ただの雨ごときに、冬みたいに寒すぎる。


 

 眼に見えぬ冷気が肌に突き刺さる。

 

 手足が真っ赤に染まり、すりこ木のように動かない。


 妙なことに、雨のなかで吐く息が白く染まる。


 あぁ、寒い。

 

 彼女は、この異常事態で尚も不適の笑みを浮かべる。


 突然、視界に入るものすべて―轟々と燃える炎でさえも、そして幾億にも連なり落ちる雨粒が―見える限りの世界が、停止した。


「雨が止まった。」


 落ち続けていた雨が、目の前でぴたりで止まった。


 その大きな雨粒の模様はまるで氷の結晶のようにきらきらと…。


 そうだ、これは違う。


 これは雨粒なんかじゃない。


 


「えっ。」


 目の前が白く染まる。それは決して私が眩暈を起こしたからではない。


 未だ曇り空なのは変わらぬのに。


 

 辺り一面、硝子の破片を敷き詰めたような白銀の世界へと変わった。

 

 敷き詰められた氷の粒が、雲に透ける陽光が反射して、こんなにも眩しく、白く輝きを増しているのだ。



 すべてが静寂と化した世界で、一人の青年の声が聞こえた。



「寒いっすねぇ。」

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