第14話 阜章流【叉跨】



「──【叉跨さまたげ】」



 阜章流・第三の技を体現する。


 暗殺者の視界から、順三は煙のように消える。


『何っ?!』


 思わず母語が出た、というべきか。暗殺者の口からは、耳慣れない異世界語が飛んだ。


 そのあいだに、先ほどまで順三が居た位置に瀑布ばくふが叩きつけられる。その音を耳にしながら──順三は己の剣がはしる鋭い音を聞く。


 しぶきの上がるなかで、暗殺者の反応は早い。


 即座に正面へ飛び跳ね、自分の操った瀑布のなかを通り抜けた。


 水浸しになって飛び込み前転すると振り返り、自分が居た場所を見やる。


 そこには順三が立ち尽くしており、もし移動していなければ彼女の首があったであろう位置に、刃を横薙ぎにしていた。


『……どうやって抜け出たのさ、あの攻撃後の隙だらけ状態で』


 思わずなのか、今度は独り言の愚痴としてか。暗殺者は異世界語でぼやいた。


 順三は応じる。


『死角に潜り込んだんだよ。水使いは視野を広く取れ、って定石を忘れてたんじゃないのか?』


『っ! きみっ、異世界語ティルラングを遣えたのか?!』


「慣れない言葉だけど、一通り学んではいる。その滑舌からするとあんた、貴迦人なんだな」


 最後は日ノ本言葉に戻し、切っ先を突き付けた。


 敵を知り己を知るは兵法の基本である。順三は魔法を扱う才に恵まれなかったが、魔法の名家という環境には恵まれていた。家伝の風魔法はもちろん、他流の技や異世界語についても伝書である程度知識は得ていた。


 ゆえに知っていた。


 水魔法は杖先で示した先へと攻撃の軌道が決まるため、術者が対象を見失えば動きが鈍ると。


 だから歩法により、死角に入った。……とはいえ、そう口で説明だけされても受け入れることはできないだろう。


 ならば見せるだけだ。


 阜章流による、とどめまでを。


「ヤムド流は日ノ本こっちの流派じゃないだろう。向こうの歴史経験を語るなら、もっと深いところを見せてほしい」


「嘗めんなっての。まだまだ、きみが見てるのは浅瀬だってところわかんないかね」


「浅瀬でも溺れ死ぬことがある。それくらいの、警戒はしてる」


「……なんっだかどうにも調子が外される相手だね。ま、いいさ」


 互いの間はまた開いて、十間十.八メートルほど。


 先の瀑布をまた跳ね上げて壁にすることは可能だが、詠唱をするほどの暇はない距離。となれば必然、また落ちている水を無詠唱で扱いたくなるだろう。水魔法の利点はその「使えば使うほどに扱える総量と手数が増える」点にあるのだから。


 順三はそう誘うべく、間合いを取っている。


 だが、もしかすると『この距離を取らされている』のかもしれない。


 暗殺者の腕はかなりのものだ。


 ともすると、場の流れを掌握しているのは向こうという可能性もある。


 そう感じさせるほどの相手。


 順三は気を抜かず、次の手を狙う。下段に構えなおす。


「ふっ──」と息と共に身を沈め、前方に駆けだした。


「シッ──」と鋭く呼気を放ち、暗殺者は杖先を向けてくる。


 円の軌跡を描いた杖により、飛び散った水が双つ・・の鎌首をもたげて蜷局とぐろを巻いた。二重螺旋の水の鎖が、暗殺者の正面を軸として渦を成す。


 冷たい声音で彼女は言った。


「死角もくそもない範囲攻撃だ。死にな」


 ──五つの属性魔法のうち、【火】が破壊に秀で【風】が変化に富み【雷】が迅さを極め【土】が堅牢に優るとすれば、【水】は継戦に向く──そう伝書に記される理由が、これだ。


 切り裂かれた水壁に掛けられた【襲水アークァ飛燕イルンド】の術は未だ消えていない。


 ひとたび命令を成し遂げて形を失っても術者の魔力つづく限り、再発動に詠唱が要らない。それが水魔法の利点、手数の多さの所以ゆえんだ。


(だからある意味、攻撃を外しても焦らない)


 大技を連発できるからだ。


 いま、暗殺者の正面を軸とした渦が、駆ける順三の上下左右前後を水の鎖で囲む。


 踏み込む場所をわずかにでも誤れば水に絡め捕られ、自由を奪われる檻。


 そのように圧力をかけられた上で、正面から向く杖が【襲水】を放った。足場を絞られているため避ける場所が限定される。


 そこに足元から跳ねる【襲水】。身を逸らす。またも【襲水】。【襲水】、【襲水】【襲水】【襲水】!


 駆ける足をわずかにでも鈍らせれば渦巻く【飛燕】の水の餌食。連続して襲い来る【襲水】を避けつづけることも至難。


 これに臆せばそれで終わりだ。


 薄皮一枚の回避と瞬間的に掲げる刀身による切断で辛くも逃れつづけ、とはいえ縮む回避可能域のなかで徐々に行動範囲が狭められる。正面からの攻撃だけ気にすればいい、格之進のような魔法士とはちがう戦い。


 駒を打ち玉を誘導し詰む、『追い込む戦い』。水魔法の土俵だ。


 そこに順三は乗っている。向こうはそう、理解している。


 つまりは策がうまく運んでいて自信を抱いている瞬間だ。


 だが、夜明け前こそがもっとも暗い。有利の確信は、疑念と観察眼を曇らせる。


 だからいま一度。


 順三は後ろの足に渾身の力を籠める。


「──【叉跨】──」


 みり、と母指球から爪先までが深く、床を抉った。順三の歩を暗殺者が見据える。見つめる。見定める。


 暗殺者は、


 すゥっと杖を、


 右に向けた。


 そして──


 ──逆に向けて飛んだ順三を見て、自分の読みが外された・・・・ことに、目を見開いていた。


『バカな!?』


 叫びを掻き消すようにギシャん、と窓が砕け散る。


 順三の歩が窓に面した壁へ突撃し、駆け上がるようにして踏み割ったのとそれを追う水の鎖の破砕が奏でる不快音。


 なおも勢いの止まらない順三は天井へ。さらに飛んで部屋の扉並ぶ壁の方へ。襲い来る螺旋の水流をさかのぼるように、廊下を立体的に移動する。


 ここで完全に視線を振り切った。もはやなにも見えていない暗殺者の方へ、壁面を蹴りぬいた加速で以て切っ先に威力を最大に乗せた斬撃を加える。


 閃く剣先。


 袈裟に切る。


「────【冴斬り】!!」


 斜めがけに肩へ食らいつく刃が、暗殺者を切り伏せた。


 受けた瞬間に防ごうと掲げかけた杖も両断しており、術の持続が途絶える。宙に浮いて渦を巻いていた水の鎖は、かたちを失って降り注いだ。


 だが予備の杖を持っている可能性もある。順三は、膝を屈して右手で血を流す傷押さえる暗殺者を、残心で以て冷静に刃突き付けにらみつづけた。


「……きみ、ハメたってことだぁね。この私を」


「【叉跨】の工夫に気付いてないようだったから。追い込まれてると見せかけて、あれを逆転の手になるよう誘導したんだ」


【叉跨】は相手の読みを跨ぐ──つまり動く方向を誤認させる技だ。


 飛び出す一歩は、相手の視界から隠された後ろの足でおこなう。けれど前の足と腕の力みは、明確に右か左どちらかへ飛ぶ予備動作をにおわせるように構えるのだ。


 その力みを見ている、騙されていると判断できれば後ろ足で逆の方向へ。あるいはそれらの部位を見ることなく別の部分の動きを注視しているなら、前の足で定まっている方向へ飛ぶ。


 これにより相手の、順三に対する動作予測の逆をいく動きを体現する。結果消えたように相手から映るのが、阜章流【叉跨】だった。


「……とどめは刺さないのかい」


「この距離がいい。そう言ってとどめを誘うってことは近づこうとした俺を狙う反撃の手や、予備の杖が無いとは限らないから。放っておいて失血で死ぬならそれでも構わない」


「たいした、冷血漢さ。まいったね……ここまでか」


 観念した暗殺者が顔をうつむかせたとき、順三の背後でドアががちゃりと開く。


 当然ながら暗殺者の方を警戒している彼はそちらを向かない。が、だれが来たのかはわかる。足音の歩幅とドアを開けるときのかすかな躊躇いに現れている。


「順三様? 窓のギヤマンが割れる音がしておりましたが……」


「モニカさん。危ないので下がっててください」


「へぇん……きみがモニカ・オルマミュータ殿下。私の暗殺対象か。お初に、お目にかかるね」


 軽く、というよりはもう命が危ういため捨て鉢になっていることからくる気安さで、暗殺者は言う。


 それからじっとモニカを見て、思いついたように異世界語でつづけた。


『……お姫様。私はまだ死にたかぁない』


『……あなた、故郷ティルナノゥグからお出でなのですか』


 暗闇にまぎれる服装ということもあり、日ノ本の人間でないと気づいていなかったのだろう。言葉のちがいでようやく察したらしいモニカは驚いていた。


『まぁ、ね……だから、いろいろ事情にも通じてるのさ。なあお姫様、取引をしちゃくれないか』


『取引。というと?』


『もし私をこのまま生かしてくれるってぇんなら、お姫様。きみを狙う連中について教えて、力になれるんだがね』


 さらっと、自分の雇い主を売るつもりの暗殺者だった。


『妾を狙う者ども、ですか』


 だがこれを聞いた異世界の姫は、考え込んでいる。死に際の暗殺者の命乞いに、どうやら多少耳を貸す余地があると判じている様子だった。


『モニカさん。信用する理由がないです。危険ですよ』


 順三は護衛としての直感からそう進言した。


 深手の暗殺者は余計なことを、と言いたげな顔をする。けれどやや考え込んでいたモニカが顔を上げたのか、彼女はすぐに順三から視線を逸らした。


 順三の後ろからモニカの声が響く。


『では契約魔法で縛りをかけましょう』


『契約魔法を?』


 順三は思い出す。モニカの腕に光る輪、相手に縛りをかけ行動に限定条件を付与する魔法の存在。


 これのせいで彼女は、魔法の使用を封じられているという。


『使えるんですか、モニカさん。契約魔法も、魔法なのでは?』


『もちろん妾自身はいま魔法術式を組めませんが、もとより契約魔法は被術者が自分で縛りをかけて別の者がそれを解く「」を持つ、というかたちを取ります。妾は鍵をあずかるだけで、この方が魔法をお使いいただけないよう封じることが可能です』


 へえ、と順三は素直に驚いていた。属性魔法のような戦闘に用いる魔法には多少知見があるが、彼はその外にある魔法をよく知らない。学ぶことがいろいろあるな、と思った。


『このままでは彼女も命を落とします。といって、回復させるのは危険が伴うとの順三様のご進言も正しいことこの上ない。ですから間を取り、契約魔法で妾たちへの殺傷を禁じてから傷を手当いたします』


『……さらりとえげつないこと考えるもんだね、お姫様』


『これくらいできねば姫は務まりません』


 さらりと返して、モニカは順三と暗殺者を手招く。


『さあ。まいりましょう。まもなく手遅れになりますので』


 暗殺者は、従うほかないと思ったらしく肩をすくめ、ようとして激痛が走ったのか苦い顔だ。順三はというと、危ない橋を渡ろうとするモニカにどう言葉をかけたものか迷った。


 けれど少しのあいだ逡巡したのち、仕えるべき相手の申し出だとしぶしぶ納得する。あきらめて、刀をわずかに下げると、暗殺者と共にモニカの部屋に入った。


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