蛇の目傘

 次に会ったとき、お姉さんはいつものビニール傘とは違う、大人っぽい和傘を差していた。


「久しぶり。ふふ。そうよ。前に話したとっておきの傘。どう? きれいでしょ?」


 宝物をそっと見せてくれるようにお姉さんが言った。

 素直にきれいと答えた。


「今のは傘のこと? それとも私?」


「ふふ」


 からかい、反応を見て、楽しそうにする。


「これはね……聞いたことはあるかな。和傘っていうの。蛇の目傘」

「ビニール傘はビニールで出来ているけど、和傘は和紙で作られているんだ」


「うん。紙なんだけどね、油を塗っているの。『水と油』なんて言葉もあるけど、油を塗ると濡れるのを防いでくれるんだ」


「そうよ。音も全然違うの」

「キミも聞く?」


 そういってお姉さんは傘を傾けて、こちらに視線を投げかける。

 頷いてお姉さんの傘にいれてもらった。


「結構大きいでしょ。わざわざ大きいの、探したのよ」


 お姉さんの傘の中は、今までのどの傘ともまた違う音がした。


「素敵な音でしょ。いつもの私の傘よりは、キミの傘の方が近い音かしら」

「雨を傘で弾いているっていうより、雨が傘をたたくみたいな音」


「ほら……『ぽつぽつ』って。何だか雨粒の形も分かっちゃいそう」


 ふたり並んで音をずっと聞いていた。

 知らぬ間に聞き入っていたようで、気が付くとお姉さんが自分の顔をじっと見つめていた。

 照れて視線を逸らすと、お姉さんが軽く笑った。


「気に入ってくれたようでよかった」


 それからお姉さんが言った。


「そういえば、キミは童謡の『あめふり』って知ってる?」


「そうそう『あめあめ ふれふれ』」


「その続き、歌えるかしら」


 尋ねられたので歌ってみる。

 するとすぐに詰まってしまった。


「やっぱり、そこまでよね。『かあさんが』で止まっちゃう」


「うん。私は全部歌えるわ」


「続きはね、こうなってるの」


「『あめあめ ふれふれ かあさんが

じゃのめで おむかえ うれしいな

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン』」


「なぜかみんな真ん中の『じゃのめで おむかえ うれしいな』だけ知らないのよね」

「はじめと終わりが印象的すぎるのかしら」


「あ、気づいた? そう。『じゃのめ』なんだ。この傘って『あめふり』に出てくるのと同じ傘なんだよ」


「うん。『あめふり』に出てくる傘だから、わざわざ買ったの」

「大きい傘を探したって言ったでしょ? それもね、『あめふり』の歌詞に出てくるの」


 そしてお姉さんがまた歌い出す。


「『ぼくなら いいんだ かあさんの

おおきな じゃのめに はいってく

ピッチピッチ チャップチャップ

ランランラン』」


「……ってね。だから、ふたりで入れるくらいの蛇の目を探したんだよ」

「ふふ、いいでしょ。これが私のとっておき」


 お姉さんは上機嫌に傘を回して微笑んだ。


「うん? どうしたの?」

「今日? 別に何もない日だけど?」

「うん、とっておきのときの傘だけど……」


「何もない日に、とっておきの傘……何かだめだったかしら?」


 お姉さんは本当に心当たりがないといった様子だった。

 それからはっと思い当たったように喋り出した。


「あ。もしかしてキミ、服とか占いで決めるタイプ?」


「違う?」 

 一瞬怪訝な表情を見せた。

 しかしまた何か気付いた顔をすると、優しく笑ってお姉さんは言った。


「ふーん……じゃあ、キミはあれだ」


「考えすぎ」


「とっておきの日にしようと思って、とっておきの傘を差してもいいんだよ」


「いや、これは自由というか……だって、分からないじゃない」

「今がとっておきなのかなんて分からないから。すごく後になって、ああ……あれって特別なことだったんだって思うこと、あるでしょう」


「今がとっておきなのか悩むよりも、今をとっておきにしたいと考えることの方が、私は楽だし楽しい。だから、そうしているの」


 そういう考え方もあるよ、お姉さんは押しつけがましくもなく、そう言った。

 

「ん?」


「……ふふっ。楽をしちゃうのが怖いの?」


「キミは考えすぎなだけじゃないね」


「ちょーまじめ」


「あ、いい意味だよ。真面目ってすごくいいこと。尊敬しちゃう」


「……本当だよ?」


 お姉さんは屈託のない笑顔で言うと、くすぐったい声で続けた。


「キミは私みたいなのは難しいかもしれないけど」

「だったら、キミのとっておきの日には、いーっぱい自分をあまやかしてあげないとね」


 それから声を少し潜めて言った。


「とりあえず今日のところは」


 そこで一旦切り、雨の音を見せびらかすみたいに傘を傾けた。


「私のとっておきをおすそ分け」

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