第6話 運命(修正済み)


 事件を受けて学内はにわかに騒然となった。


 教職員は事件にショックを受けている学生や保護者、そしてマスコミの対応に

追われ、学生たちの間では真偽不明のものも含めて情報が飛び交っている。

 ニュースが伝えられる前の牧歌的な夏の昼下がりの風景は、一気に物々しい雰囲気に包まれた。


 しかし周囲のそんな変化も、私には薄皮一枚外にある異世界のように感じる。

 まるで現実感がない。

 

 愛理が死んだ。

 それも誰かに殺されて。

 予期せず、その命を奪われてしまったのだ。


 どこで私は間違えてしまったのだろう。


 過去に戻ってまで叶えたかった私の願いは、成就することなく、ついえてしまった。


 愕然がくぜんと膝を折る私の隣で、床にしゃがみこんだ佳奈美が膝を抱えて「なんで? どうして愛理が……」と頭を抱えて呟いている。愛理と一番仲が良かった佳奈美に事情を聞きたそうにチラチラと視線を送ってくる寮生も何人かいたが、あまりにも憔悴しょうすいしきっている佳奈美の様子に、誰も声をかけられないでいる。


 その痛々しい佳奈美の姿を見て、私は今自分がなすべきことに気づかされた。


 そうだ。まだ佳奈美がいる。

 愛理が亡くなってしまった今、佳奈美だけでも助けないと。


 自己憐憫に陥っている場合ではないことにようやく気付いた私は、すっかり

気落ちしてしまっている佳奈美に「一旦、私たちも自室に戻ろう。後のことは、

それから考えよう……」となるべく穏やかな声でささやいて、少し強引に

立たせると廊下に連れ出した。


 背中を支えながら、そのまま佳奈美の自室へと向かっていると、寮監の先生が息を切らして、こちらに駆けてきた。いつもは明るくハキハキとした自信に満ちた先生は

今日は真っ青な顔で、申し訳なさそうに私たちに話しかけてきた。


「……二人とも愛理さんの事件のことは、もう知っている?」


「はい。さっきテレビのニュースで……」


 佳奈美はとても答えられる状態ではなかったので、私が代わりに答えた。

 横で黙って俯いている佳奈美を心配そうに見ながら、先生は少し困ったような表情で言った。


「そう……二人とも仲が良かったから相当なショックを受けたわよね。私も愛理さんが活発で良い子だったことを知っているから、すごく悔しくて悲しい。でもあなた達はそれ以上に辛いのだと思う。……だから、気持ちが回復してからでいいのだけれど、佳奈美さん、警察の人とお話することは出来る?」


 先生もすぐには無理だと予想して、配慮してくれたのだろう。

 だが、佳奈美は急にキッと顔を上にあげて、絞り出すような声ではあるものの、はっきりと言った。


「……私、お話できます。今からでも」


***


 その晩、寮の私の自室に佳奈美が訪ねてきて、開口一番に言った。


「決めた。私、実家に帰る」


 警察の捜査によると、愛理を含む大学生7人の遺体が見つかったのはZ県鳥追山

地域にある添山の山中とだけニュースでは伝えられていた。

 しかし佳奈美が警察に事情を聞かれた際に、事件直前に亡くなった大学生のうちの一人がスマホで撮影したという写真をみせてもらえたのだが、その写真がどう見てもX集落だった……と言った。


 更に愛理以外の大学生6人は、全員男性で、携帯電話の通信履歴から、愛理に「誰かに会う際に護衛として付いてきて欲しい」と頼まれた形跡があるのだという。


「それで誰に会う予定だったのか、心当たりはないか聞かれたの。それで、愛理が

失踪する前にサイトに変なメールが来ていたって、唯香が言っていたことを思い出したから、警察の人と一緒にサイトの管理画面から確認した。『0』っていう変わったハンドルネームの人のこと。もちろん愛理が会おうとしていた人が、本当にその人なのかは確証はないけれど……」


 愛理が失踪した後、佳奈美と一緒に愛理を探している際に、二人が運営している

サイトに「0」から警告のメールが来たことを、私は佳奈美に伝えていた。だから

そのことをちゃんと佳奈美は覚えていてくれたのだ。


 愛理にとっては自分の不手際を佳奈美に知られたくなかったのかもしれないが、

私は全ての情報を三人で共有することで、誤解や行き違いを無くしたいと思っていた。だから当然、「過去に戻る前」に佳奈美を殺した男は、狐面の男ただ一人だと

いうことも話していた。


 もし愛理が「0」に会いに行こうと思っていたのだとしたら、おそらく相手が一人だと高を括っていて、ガタイの良い男子学生6人と一緒なら、危険な目に遭ったとしても勝てると踏んだのだろう。実際、ニュースの映像で流れた亡くなった6人の男子学生は皆、体格の良い者ばかりだった。


 ……愛理が早まった真似をしたなら、それは私のせいなのかもしれない。

 胸の奥でうごめく罪悪感を抑えながら、平静を装って話を続ける。 


「実家に帰るのは、私も賛成。……ただまだ犯人が誰かも分かっていないし、

捕まってもいないから、実家までの道中がちょっと心配……」


「もっと早く唯香の言う通りにすれば良かった!」


 私が話し終わる前に、佳奈美は突然感極まったかのように叫んだ。

 ギョッとして佳奈美を見ると、顔色は真っ青で、気を抜くと涙が零れ落ちそうな悲痛な表情だった。この表情はどこかで見たことがある――そうだ。愛理が失踪する前の晩に、こんな表情をしていた。なんだか悪い予感がするのを気づかない振りをして、私は佳奈美を自室まで送っていった。


***


 翌朝、まだ早い時間に、甲高い叫び声とともに、私たち寮生は起こされた。

 あの事件が起こって、昨日の今日だ。

 不吉な予感に胸が潰れそうになりながら、叫び声のした寮の前に面した窓を開く。


 すると狐面を付けた男が、刃物を手に佳奈美に迫っていた。

 佳奈美の傍にはキャリーバッグとハンドバックが投げ捨てるように転がっており、

ハンドバックの中から零れ落ちた小物が散らばっていた。


 佳奈美は早朝のまだ早い時間に出立すれば、安全だと思ったのだろう。

 しかし狐面の男はずっと佳奈美を狙っていて、機会を伺っていた――だとすれば

早朝の人目につかない時間は、逆に好機だったということか。


「佳奈美、寮に逃げて! 早く!」


 叫び声に起こされた寮生皆が窓を開けて、各々佳奈美に声をかけているから、聞こえたかどうかは分からない。それでも声をかけずにはいられなかった。急いで外に出るため身支度を整えていると、館内アナウンスが聞こえてきた。 


「皆さん、危険ですから絶対に外には出ないでください。窓と部屋のドアに施錠を

して、絶対に外には出ないでください。現在警察に通報しています。繰り返します……」


 そう言われても、目の前で佳奈美が危険な目に遭っているのに、放っておくことなんて出来ない。私は最小限の身支度を整えると、オートロックのエントランスに駆け足で向かう。最悪、私がおとりになってでも、助けるつもりだ。


 佳奈美は寮と大学の建物のちょうど真ん中あたりにいた佳奈美が、全速力で寮に向かって走ってくる。だが登坂ということもあり、今にも男に追いつかれそうになっていた。


「佳奈美、早くこっちへ!」


 そう言いながらエントランスから出ようとして、先輩に止められた。

「気持ちは分かるけれど、唯香まで被害にあったら佳奈美はどう思うの? 冷静に

なりな!」と思い切り引き留められながらも、私は「早く、早く来て!」とドアの向こうの佳奈美に向かって叫び続けた。


 だが途中の登坂がちょうど平地になる辺りで、思い切り佳奈美は転んでしまった。


「……!」


 私は先輩の身体を渾身の力で押しのけて、エントランスから出た。

 自分の方へ駆けてくる私に気が付いた佳奈美が、立ち上がろうともしないで叫ぶ。


「唯香、来ちゃダメ!きっと、これが運命……」


 疲労と恐怖で気力が萎えてしまったのかもしれないが、もちろん私がそんな言葉を受け入れる訳がない。そのまま佳奈美の元へ駆け寄ろうとしたとき――後ろから佳奈美に追いついた男は、佳奈美が着ている服の首元を掴んで身体を引き寄せると、思い切り手にしていた刃物を後ろから突き刺した。


 佳奈美の背中から鮮血がほとばしり、思わず私は大声で叫んだ。

 それに怯んだのか男は逃走し、しばらくして到着した警察により近くの林で亡くなっているのが発見された。


 不思議なことに、男の死亡時刻は深夜の3時。

 私たちが佳奈美を襲う男を見かけた時刻の2時間近く前のことだった。


 結局、私は過去に戻っても助けられなかったのだ。

 大切な友達、愛理も佳奈美――そして狐面の男も。

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