三十六夜目 笑い声
前夫と離婚について話し合いをしている最中のことだった。
話が均衡状態で、話し合いにならない状況で、互いにヒートアップしてきていた。
話し合いというよりは、言い合いになっている。
口汚いケンカ状態だ。
そんな中だった。
「ケケケケ」
という、男の低い笑い声が聞こえたかと思うと
「もっとやれ」
と続いたのだ。
私たち二人は咄嗟に口をつぐんだ。
急いで周囲を確認するも、子どもたちはすでに寝ており、居間にいるのは私と前夫だけ。
私と夫はテーブルの角を挟んで座っている状態。
第三者を入れて話をしているわけでもなければ、テレビもラジオもついていない。
それなのに明らかに自分と前夫の間から中年男性らしき低い声が沸いた――のである。
「なんなの、今の」
と言うと、前夫は「俺らを煽ってんだよ」と答えた。
「ちっさいおっさんがいるんだよ、ここには。あいつは俺たちがもめるのを楽しんでるんだよ。不仲になるのを喜んで、もっとこじれるように煽ってんだよ」
夫には私には見えない声の持ち主が視えているらしい。
そう聞いたら途端に気持ち悪さが這い上ってきた。
もはや言い争いをしている気分ではない。
その日はそのまま寝ることにした。
話し合いはその後も続いたが、このときをかぎりに誰かの笑い声を聞くことはなくなった。
ところがである。
今年の五月、私はまた笑い声を聞くことになった。
今度も前夫ともめていた際のことだった。
「ケケケケ」
そう表現するしかない笑い声がダイニングに置いたチェストの前あたりから不意に沸いたのだ。
部屋の外ではない。
中であるのは間違いようがない。
なにもない場所から声だけが沸く。
「笑い声?」
「あいつがまたもっとやれって言ってる。不仲になればなるほど喜ぶ奴だから」
果たしてそうなのか。
視えない私にはわからない。
おかしなことが起こっているのは間違いないが、声が聞こえるだけで実害はないという状況は以前から変わらない。
なのに、前夫と和解のほうへ話が進むと、今度は部屋の雰囲気が一変して、空気が凍り付く――一瞬、鋭い怒気のようなものを全身に浴びせられ、心臓がきゅうっと縮こまったようなことが起こり始めた。
運転中にも刺すような電波が届いた。黒ひげ危機一髪のように、五本のナイフを次々と左の脳の上から下に向かって順番に突き立てられるような痛み。誰かの念が自分を攻撃している――そんな感じがした。
なにかの警告なのか。
このころ、私は異常なまでに感覚が鋭くなっていた。
スピリチュアルな感覚がものすごく働くようになっていたのだ。
ゆえになんでも受信してしまって、良いものでも悪いものでも拾ってしまう状態に陥っていた。
家鳴りもとまらない。
こんな状態は前夫と縁が切れるまで続いた。
今はそういったことは一切起こっていないし、本当にそのときに起こった出来事のいろいろの正体は何も掴めていない。
だからハッキリとしたことも言えない。
ただ、ひとつ言えることがあるとすれば、こうした世界とは皮一枚ともいえる状況でつながっているということだ。
近づくのか。
それとも遠く隔たっておくのか。
それは自分次第であるけれど、こうした経験を踏まえるに、不用意に近づくのは危険かもしれない。
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