二十五夜目 火事

 息子を妊娠していたころなので、二十年ほど前の話になる。

 実家に帰っており、自室で経験したことなので、臨月のころではなく、安定期に入るかどうかくらいだったのではないだろうか。


 夜、寝ていると、なにか視界が明るい気がして重たい瞼を上げる。

 真っ暗な部屋のはずなのに、なぜかほのかに明るい。明るい原因は窓から差し込む光なのだが、これがどうにも赤々としており、普通の明るさではない。

 さらに外から誰かの叫び声まで聞こえてくる。


 ハッとして起き上がり、窓に駆け寄って息を飲んだ。

 二股になった道を挟んだ向かいの家から赤々と激しい火の手が上がっている。黒々とした煙が暗い空へ立ち上っている。


「お母さん、火事!」


 急いで寝ている母を起こすと、母も驚いて私の部屋にやってくる。


「本当だ! あんたは見ないほうがいい」

「なんで?」

「痣の子が生まれてくるからだよ」


 そう言われつつも、私はなんのことだかわからない。

 それよりも向かいの家のことが気になって仕方がない。

 なぜなら、火事になっている家は幼馴染の家であるからだ。


 弟と同じ年代の子と、その妹と弟がいる。小さい頃はそれこそ呼びかけし合って、近所を駆けずり回った記憶がある。

 家にも遊びに行った。

 大人になってからは、子供たちはそれぞれ独立してしまったらしいが、ご両親とすれ違うことがあれば挨拶程度はする仲だ。


 二階のベランダに白い服を着た女性の姿が見えた。奥さんだ。


「助けて」


 ベランダから身を乗り出して彼女は叫んだ。

 家の玄関から人が出てきた。

 旦那さんだった。

 消防車はまだ来ない。

 家の中から破裂音のようなものが響き渡り、窓が割れる。

 奥さんの悲鳴が耳をつんざく。


 割れた窓から火が噴き出す。黒い煙がごうごうと燃え盛る火の間を縫うようにモクモクと這い上ってくる。

 消防車はまだなのか――そう思って待っていると、遠くからサイレンの音が聞こえて来た。

 と、同時に誰かが家の前にかけてくる。その人物の登場に、私は胸をなでおろした。

 幼馴染のお父さんだった。彼は現職の消防士である。

 落ち着くようにというように呼びかけをするが、パニックになった奥さんには届かない。


 消防車が三台やって来る。その車を幼馴染のお父さんが誘導した。

 すぐに消火作業が始まった。はしご車が来る。

 が、それよりも前に耐え切れず、奥さんが二階から飛び降りた。地面に落下し、腰を打ち付ける。

 旦那さんが「まだ家に犬がいる」と叫んでいる。


 消火までどれくらいの時間がかかったのか。

 結局、その日が消えて落ち着くまで私はずっと事の成り行きを、息を詰めて見続けた。

 救急車に乗せられていく夫婦の姿。

 聞けば、旦那さんにケガはなかったものの、二階から飛び降りた奥さんは腰骨を骨折する大けがを負ったとのこと。

 飼っていた犬たちは三匹いたけれど、亡くなってしまったとのことだった。


 これが初めて見た火事の現場であったのだが、母がなぜ、私だけに見るなと言ったのか。

 どうやら妊婦が火事の現場を見るのは縁起が悪いらしく、昔からタブーとされていたようだ。


 火事を見ると赤痣の子が生まれる――という言い伝えがあって、実際、息子を生むまでは気が気でなかったのもたしかだ。

 ただ幸いにも、息子は痣を持って生まれることはなかった。

 代わりに腕に、産毛の塊が生えていた。


 直径一センチ。


 明らかに他の産毛の生え方とは違う。

 丸い円状に密集して生えている。


 それは大きく成長した今でも残っていて、それはどんなに脱毛しようと思っても、綺麗には剃れない。


 息子の腕にまるで小さな黒い痣のように生えた産毛たち。

 それを見るたびに、この日の火事と妊婦の禁忌の話を思い出すのである。

 

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