最終話 鬼の叩いた太鼓

 あと、半時もすれば陽が沈む。そうすれば、この山は救われ、今まで命を落としたものたちも報われる。


(俺も、この山を守れば、みんなから受け入れられ、自分の場所がみつかるかもしれない)


 その一心で、黄平は太鼓を打ち続けた。

 眼窩の奥にこびりついた眠気と、ひどい飢餓感と吐き気を感じながら。


 ふと、気配を感じて、その方向をみやった。

 すると、子どもの熊やサル、鹿などの動物たちが黄平の周りを囲んでいた。


「お前ら……どうした。人間たちがじきに来るかもしれない。早くどこかに身を隠したほうがいい」


 やっとの思いで告げた黄平の警告の言葉にも、彼らは微動だにしなかった。

 その様子がどうも不気味で、不穏な空気を感じ取った。


 一頭の小鹿が、突然、黄平に向かって突進してきたかと思うと、角をその脇腹にぶつけてきた。幸い、まだ生えかけの柔らかい角だったので黄平の筋肉質の身体を突き刺すことはなかったが、鈍痛が疲労のたまった身体には堪えた。


「うっ……」


 黄平はうなり声をあげたものの、打ち続ける手は止めなかった。


「いったい、どうしたっていうんだ。この太鼓をたたく手が止まったら、山は終わっちまうんだぞ!」


 小鹿を見下ろすと、その身体が震えて、目に涙をためている。


「お父さんとお母さんを返せ!」


 喉の奥から絞り出したような、小鹿の声を聞いて、黄平ははっとした。


「……お前ら、親の仇を取るために」


「ぼくのお父さんとお母さんは鬼のお前に食べられて死んだんだ! 山が助かったらなんだっていうんだ! お父さんとお母さんのいない山なんて、なくなったっていいんだ!」


 涙声で訴えてくる小鹿の声を聞いて、黄平の心にはずんと重くのしかかるものがあった。


(たしかに、俺は太鼓をたたくためにこの山に生きる動物たちを食ってきた。

 だがそれは、動物たちから食べてくれといわれたからだ……。

 この子らに親たちから話はなかったのだろうか? それとも、話が合ったが感情のやりようがなくて俺を殺しに来たのか)


「俺のお父もお前に食われて死んだ! お前は鬼だ! 山を救うといって、俺の親父を食っちまいやがった!」


 今度は熊の子が、突進してきたかと思うと、鋭い爪で黄平の肌を裂き、その身にくらいついた。その熊の子を見下ろすと、恨みの感情をすべて眉間によせた表情で黄平をにらみつけている。


(俺が鬼か。まったくその通りだ。俺が鬼でなければこの子たちの親を食べることもなかったのだ。そうすれば余計な悲しみを生むことなどなかったのに)


 そして、黄平を囲った動物の子供たちは、次々と恨み言や罵詈雑言をあびせながら、黄平をひっかき、くらいつき、全身をぶっつけてきた。

 黄平の身から血があふれ、激痛が駆け巡ったが、黄平はされるがままに身を任せた。

 子らの気持ちを思えば、今受けている痛みなど当然のことのように思った。


「……わかった! たしかにどんな理由があろうと、お前らの親を食ったのは俺だ!  気が済むまでやればいい! なんなら俺は殺されてもかまわないが、陽が沈むまで太鼓は叩かせてもらうぞ!」


 子供たちは容赦なく黄平を傷つけた。爪をふるい、歯牙を食いこませ、角をさした。

 それでもバチを大きくふるうものだから、黄平の血が太鼓を染めていく。痛みと苦痛で意識が飛びそうになる。


「いたぞ! あそこで叩いているのが鬼だ!」


 子供たちとは別の声がする。振り向くと、全身に血を浴びた人間たちが立っていた。

 百人ほどの兵隊たちは動物たちの奇襲にあい、黄平のもとにたどり着いたのはたった四人だった。


 例の隊長もその一人だった。


(動物の子供のようにみえるが、なぜ鬼を傷つけているのか……。動物たちを操っていたのはこの鬼ではないのか)


 隊長は疑問に思ったが、いつ動物たちがたどり着くかわからないと考え、

「突撃!」

 と隊員に命令を出し、いっせいに駆け出した。


 黄平は動物たちと人間たちから襲われ、鋭い、そして鈍い痛みを同時に感じながらも太鼓をたたく手を止めなかった。そして、自らの運命を受け入れる覚悟をなそうとしていた。


 我武者羅に太鼓を打ち続ける。ただただ目の前の太鼓を、文字通り死に物狂いで叩き続ける。白蛇や死んだ動物たちの気持ちを考えると、そうすることしかできなかった。


 あの日は、とてもきれいな月が出ていて、ぼんやりと眺めていたら、白蛇がやってきて、俺の話を聞いてくれた。

 自分の話を、ああしてきちんと聞いてくれる者にあったことがなかったから、俺はこの白蛇と仲良くなりたいと思った。

 それから、山の集会に連れていかれ、付き合いが苦手な俺は動物たちを見て不安になった。案の定、鬼という理由だけで追い出されそうになったところを白蛇がかばってくれたのだ。


――その白蛇を殺して、山を守るために太鼓を作り、みんなの役に立てばと思いたたき続けたが、どうやら、鬼の俺がこの山の者たちと関わること自体が間違いだったようだ。

 だけど、それでも、打つ手をやめるわけにはいかないのだ。


 兵隊たちがふるう刀や槍が黄平の肉を切る、鋭い痛みで気が遠くなりそうになるけれど打つ手を止めることはなかった。


 陽が沈んでいく。周りは茜色に染められていった。

 幸か不幸か、鬼である黄平の身体はなかなか切れない。

 強靭な身体、その筋と筋の間に刃や歯牙や爪が食い込むだけだ。


「……俺は、打ったぞ。白蛇……」


 とうとう陽は沈んで、あたりの景色は黒く沈んでいく。

 黄平は力尽きて、ぴたりと動きが止まってしまった。


――。


「鬼が……死んだ」


 隊長はひとりごちた。鬼は反抗することもなく、ただされるがままだった。

 そして、立ったままぴたりと動かなくなると、そのまま死んでしまっていた。

 白かったはずの太鼓の革が血に染まっているばかりか、あたりには鬼の血が飛散している。


「どうして、こいつはなにもしてこなかったのだ……。俺たちと戦ったのは動物ばかりじゃないか……」


 それにこの周りにいる動物たちはいったいなんだろう。どうして鬼を守る動物と鬼を殺そうとする動物がいるのか、皆目見当もつかない。

 そのくせ、ここにいる動物たちはどこか悲しげに伏し目がちにして、息絶えた鬼をただただ見守っている。

 それに、一見大きく見える鬼も、こうしげしげと眺めてみると、やせ細ってひどい飢餓状態だったのがわかった。


 山は、静けさを保っていた。

 鬼を囲んでいた動物の子供たちが、体を震わせながら一斉に鳴き始めた。

 大小さまざまな動物たちの鳴き声は、まるで雄たけびのようだった。体の底から、感情を吐き出すように鳴いている。

 隊長はその光景に、ただならぬものを感じた。


――。


 いったん、生き残ったものたちだけで村に戻り、男手を集めて、また鬼のもとへと戻った。

 殿様に報告をするために、鬼の首は切って、身体は埋葬することになった。


 村人がみるところによると、やはり太鼓は白蛇の革でできていることがわかり、神聖なものとして山の洞穴へ祀ったのだった。


 動物の子供たちは、夜になって、鬼が埋葬された場所をぐるりと取り囲んで地面を見つめていたが、思い直したように、丁寧に土を掘り返すと、黄平の大きな体を汗をかきながら運び、白蛇が祀られている洞穴へ埋めてやった。


 結局、なぜ鬼が太鼓をたたいていたのか、人間にはついぞわからなかったが、山で生き残った動物たちだけは黄平のことを語り継ぎ、そこに供物として、どんぐりなどの木の実をお供えした。


 ときどき、洞穴から太鼓の音が響くような気がした。

 それは、鬼気迫った音ではなく、まるで踊りを誘うような楽し気な調子だった。

 聞こえてくるのは決まって、きれいな満月の晩である。


おわり

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鬼の叩いた太鼓(短編) カブ @kabu0210

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