水神様の祭事

@K_Nakahara

水神様の祭事

 これは、今からおよそ二十年ほど前、故郷の田舎町でたった一度だけ行われた祭事のことだ。

 僕が育ったのは、一応“町”という括りをもらっていたのではあるが、その実態は“村”と呼ぶべきほどに狭く、閉じていた。

 第一に、人がいないのだ。

 小学校の同級生などは片手で数えられるほどしかおらず、全校生徒かき集めたところで百人に満たなかった。入学早々に、『一年生になったら』の歌詞に「友達百人なんてどうせいと?」と困惑と怒りを覚えたものだった。

 まあ、話を戻すとそれ程までに人がいない場所であるから、当然子供の遊ぶ場所なんてものもないわけだ。

 歳の離れた兄が小学校低学年の頃は、まだ公園があり、遊具もあったそうなのだが、老朽化したそれらを管理•維持することも叶わず、僕が小学校に上がる頃には既に更地へと化していた。

 となれば、遊ぶ場所としては山が選択肢に浮上する訳だが、そこも遊び場には適していなかった。無論、遊べる山というものはあったにはあったのだが、それは五キロ離れた小学校の周辺に限った話だ。僕の家の側にあった山は、どうも違う。“何か”がいるらしい。

 幼心にも、何かヤバいという違和感は覚えていた。

 とは言え、やはり子供だ。遊び場は欲しい。そんな訳で遊び場を求めて立ち入ろうものなら、近隣の家屋から爺婆がすっ飛んできては口々に言うのだ。

——子は入ってはならん。

——立ち入ってはならん。

——にえにされるぞ。

 帰れ帰れと言われるまま、追い返され、帰宅するまで睨まれる。

 とうてい、山で遊ぶことなんかできなかった。

 そうなると、残された遊び場なんてものは、神社しかなかった。

 通学路の途中、家から徒歩十分も掛からない場所にちょうど良く神社があった。だから、よく、小学校の帰りに寄り道をしては、その神社に立ち寄っては遊んでいた。

 一人で遊んでいたって訳じゃない。

 その神社には、いつも“お姉さん”がいた。

 どこの誰かもわからないお姉さんと、だ。

 初めに言ったように、閉じた村社会だから、どこの誰かわからないって事が、名前すらもわからないって事がおかしいのだけれど、当時は特におかしいとも思わなかった。

 約束をしなくても居てくれたお姉さんと、いつも、日が暮れるまで遊んでいた。

 そんな様子を見ていたらしい。

 近所の婆ちゃんが凄んできた。

——それと、関わってはならん。

——連れていかれるぞ。

 山に立ち入るのを禁じた時と同じように、厳しい口調で戒めてきた。

 不気味に思いながらも、やっぱり遊びたい気持ちは強かった。

 それに、そのお姉さんと過ごす時間はとっても楽しいものだった。

 だから、忠告なんて意に返さず、僕はそのお姉さんと、その神社で遊び続けた。

 それが日常と化した頃、何人かの爺婆が家に来た。

 冬の、日もどっぷりと暮れた夜のことだった。凍てつくような寒さを覚えている。

 彼らは玄関口に僕を呼びつけて、紙コップを手渡して言った。

——龍の目玉を集めてこい。

 何も本当に龍がいるって言う話じゃない。龍の髭……、僕の地元ではそう呼んでいた植物があったんだ。その植物の、ながーい葉を掻き分けると、瑠璃色の小さな実がなっているんだ。

 それを、僕らは龍の目玉と呼んでいた。

 夜中に突然現れて、三日後までに龍の目玉を集めるように言いつけて、それで満足したように彼らは去っていった。

 次の日学校で聞いた所、あの神社のそばに住む子供、僕と兄を含めた四人だけが、その目玉集めを命じられたようだった。

 紙コップとは言え、龍の目玉でいっぱいにするのは、中々に骨が折れた。

 放課後の全てを費やして、漸く紙コップをいっぱいにしたのは、期日の朝のことだった。

 目玉でいっぱいになった紙コップを見て爺婆は、満足そうに頷いた。そうして、僕と、兄の手を引いてあの神社へと向かった。

 手を引かれながら、またお姉さんと遊べると、僕の頭の中はそれで一杯だった。

 境内に入れば、いつだって僕を迎え入れてくれたお姉さんの存在。朧げなその存在を思い浮かべながら、僕は神社に向かっていた。

 なのに、爺婆は境内に細い階段の途中で立ち止まった。

 なんでこんなところで止まるんだろう。

 その疑問の答えは、立ち止まった場所の左手にあった。

 古い祠があった。

 それまで幾度となく足を運んでいたのに、僕は、その祠の存在を僕は全く知らなかったんだ。

 階段の中腹、という不自然な場所にあるにも関わらず。

 僕らに遅れて、何人もの爺婆が色々な道具を持ってやってきた。その中には、僕と同じように、目玉集めを命じられた子供もいた。

 婆が大きめなタライのような物を置いて、水で満たす。

——目玉を洗え。

 短くそう言った。

 有無を言わさない口調で、厳しく。

 集めてきた目玉を、そのタライの水で綺麗にしろ、と。

 冬の事だ。

 目玉を洗う手はすぐに痛くなった。

 悴み、満足に動かなくなる。それでも、婆に言われるまま、僕らは黙々と目玉を洗い続けた。

 ざぶざぶざぶ。

 子供が目玉を洗う。

 そこに、ごんごん、がんがんといった重低音が加わった。

 爺たちが、手にした工具で祠の土台を崩していた。

 祠じゃない。

 祠が置かれた土台。多分コンクリートでできていたそれを崩し始めた。

 力強く、それでいて、祠を傷つけないように慎重に。

 ざぶざぶ、ちゃぷちゃぷ。

 がんがん、ごんごん。

 異様だった。

 会話をする気にもなれず、僕らや爺たちの立てる音だけが耳についた。

——何年振りか……。

 爺婆の誰かが、囁くようにいった。

——もう、数十年はやってない。

——また子供が連れてかれるか。

——水神様が……

 ハッキリとは聞こえない、モゴモゴとした囁き話が、より一層僕らの不安を掻き立てた。

 爺たちが土台を剥がし終えた頃、僕らも目玉洗いから解放された。

 洗った目玉を、白い綺麗な布で拭いていく。

 今度は婆たちが、祠に向いていた。

 爺たちが剥がした土台に、新たにコンクリートを塗りたくっていく。

 左官屋が見たら卒倒しそうなほどに、雑な塗り方だった。

 丁寧に扱っていた祠の土台を、そこまで雑に塗っていいものかと、些か疑問に思った。

 目玉の吹き上げが終わった。

 綺麗な紙コップにその目玉を移した。

 今度は僕らが、祠に向く番だった。

——目玉を投げつけろ。

 爺婆の命令で、僕らは集めて綺麗にした龍の目玉を祠にぶつけた。

 土台に塗りつけたコンクリートはまだ乾いていない。

 ぺたぺたと、土台に目玉が張り付いていく。

 集めた目玉の、その全てを祠に投げつけた。

——仕上げだ。

 投げ終わった僕らの手に、爺の一人が何かを塗りつけた。

 白いさらさらとした、それでいて、しゃりしゃりとした、ねっとりと粘性のあるよく分からない物だった。

 半固形の、液体寄り。

 液体と粘液を形容する全ての形容詞を煮詰めて形にしたような物だった。

 これが何か、何をするのか。

 疑問を口にするよりも前に、爺婆が言った。

——喰え。

——舐めろ。

——飲み込め。

 とうてい聞けなかった。

 疑問と共に、そのよく分からない白い何かを嚥下した。


 これが、僕が経験した祭事の全てだ。

 四柱と呼んでいた神社で、たった一度だけ行われた“水神様の祭事”。


 あの祭事が、なんの意味を持っていたのか未だに分からない。

 ただ、その翌日から、僕はお姉さんに会えなくなった。

 

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