第9話 再封印

 聖良は十分ほどで、災厄が目視で確認できるほどの距離に到達した。


「あれが、災厄」


 時刻はまだ午後三時くらい。十分に明るいはずの時間帯にも関わらず、その一帯はまるで闇の薄膜でもあるかのように、暗い。

 大気中にいくらか偏在している魔力が、災厄の影響を受けて視覚にまで影響を与えているのだろう。


 災厄それ自体は、まるで地上にある黒い雲だ。

 しかしその周囲はその膨大な魔力によって変質しているのか、木々は枯れ、大地すら腐っているように見える。黒雲で見えない部分がどうなっているのかは想像したくない。

 これがこのまま拡大するのか移動するのかは分からないが、どちらにせよそれは甚大な被害を周辺地域にもたらすだろう。


 こんな強大な存在をどうにかできるのか、と一瞬不安になるが――。

 かつての魔女はそれを文字通り一人でやってのけたのだ。

 多くの人に協力をしてもらっている自分ができない理由はない。


 聖良はさらに高度を上げると、災厄の真上にまできた。


(これはきつい……)


 この周囲は災厄の影響だろうか、明らかに外魔力マナが濃い。それは本来であれば、魔女にとっては心地よいとすら思える状態のはずだ。

 しかし今、この場所に満ちている魔力は、まるで呪いのように体を蝕むような感じがする。魔女である聖良でこれなのだから、普通の人間がここに来ようものなら、おそらく一瞬で昏倒するか、あるいは気持ち悪くてのたうち回るだろう。


 もう一度、視覚だけを閉ざして結界の起点の状態を確かめる。

 問題はない。

 最初の起点となる場所から、わずかにに五つすべての魔術具の存在が確認できた。


(いきます――)


 結界起点、その一番遠くにあるそれまでの距離は、およそ一キロメートル。

 その場所の魔術具へ魔力を送る。

 実のところこれが最難関だ。

 魔術具という目立つ目印があるとはいえ、それだけの距離に魔力を流すとなると、わずかなずれでも無駄な力の放出になってしまう。


(……捉えた)


幸いにも、五分とかからず魔術具を捕捉した。


(いけーっ)


 二百年前の魔女は呪文か何かを使ったのかもしれないが、聖良はそういうのはない。ただ、感覚的にどうすべきかはわかるので、魔力を一気に起点となる魔術具に送る。

 そしてその流れが、ほぼ直角に曲がり、霊脈に沿って流れ始めた。

 隣にある結界起点めがけて、それが一気に流れる。さらにそれが隣へ。そしてそれが一周すれば、あとはもう勢いは止まらず、霊脈の流れは濁流のようにになって流れ始めた。


 これが、結界起点の距離がわずかに異なる理由だ。

 最初の地点からわずかに内側に流れる螺旋らせん状の霊脈の流れを強引に作り出し、その中心がこの災厄のいる場所になる。

 螺旋の中心には当然膨大な霊脈が流れ込むが、その中心点においてその力の行き場がなければ、その場に力が押し込められる。

 そしてその流れは、海の渦潮同様、地の底へ魔力を吸い込む力となる。


(よし、成功した)


 災厄がずるずると地面に押し込まれていく。

 災厄が抵抗しようが霊脈に依存する存在である以上、この流れに逆らうことはできない。

 だが、螺旋状の結界の終端である中心点は、他に魔力の行場所がない。

 よってそこに無尽蔵に溜まり、飽和状態となる。

 通常であれば地下にの様なものが出来て、少しずつ大地に染み出していくので溢れることはない。

 だが、異常なほどの魔力密度を持つ災厄が巻き込まれていると話が違う。

 魔力の圧力があっさりと限界を超えると、限界を超えた魔力は放出場所を求めて、災厄の力を巻き込んで空へと放出され始めた。

 何かしら魔力の宿りやすいがある地面と異なり、空に放出された魔力は簡単に四散してしまう。これで、災厄の持つ力を放出させることになる。

 とはいえこれだけでは、当然災厄の力は上空に放出されると同時に補充され続けることになるが――。


 聖良は魔術具に仕込んだ魔術を発動させた。

 この術により、魔術具を経由した際に霊脈の魔力が災厄とまるで異なる性質を持つ魔力に変質する。

 そしてこれが、二百年前の術式との違い。

 二百年前の魔女が遺してくれた記録から災厄の性質を正確に把握した聖良は、霊脈に流れる魔力が災厄と全く異なる性質に変化させる術を発動している。かつての術は馴染みにくい程度だったので、消滅まで時間がかかり、さらに二百年の間の環境の変化でむしろ力を補充し続けることすらできた。


 だが今回のこれは、全く性質が異なるので災厄には魔力が全く供給されなくなる。

 一方で災厄は螺旋状の霊脈路パスからの圧力で螺旋結界の中心に押し込められ、限界を超えた魔力が空中に放出され続ける。

 その量は災厄全体からすれば少しずつではあれど、いずれはその存在を維持できなくなるはずである。


 そうしている間に、完全に災厄が地面に沈み、急速に視界が回復した。

 それは、術の完全な成功を意味する。


「ふぅ」


 思わず聖良は箒の上で大きく息をいた。

 あとは結界へとわずかに流れこもうとする災厄と同質の魔力を抑制するだけだ。

 それをしなくてもこの地の霊脈の流れがダムの完成で大きく変わっているので、遠からず災厄は消滅するだろうが、徹底はしておくべきだろう。


「でも、今日は……いいでしょう。明日改めて敷設する場所なども検討しないとですし」


 五つの結界起点同様、少なくとも災厄が消滅するまでの期間、それらも維持してもらわなければならない。

 となれば当然、敷設する場所の地権者には了解を取る必要もある。

 それは五つの起点も同じだが。


 とりあえず今日のところは帰ろうとしたところで、聖良は強烈な悪寒を感じて振り返った。

 見ると、結界の中心から、膨大な魔力が空にいる。

 その放出量は想定をはるかに上回る。というより、これは放出しているとしか思えない。


「え!? そんなことをすれば、あっという間に存在を維持できなくなるはず――」


 一切の核となるべき拠り所がない空において魔力だけの存在はその形を維持することはできない。

 実際今も、放出される力のほとんどは四散し、失われている。

 だが――。


!?」


 どんな存在でも、凝集すれば存在濃度を上げることができる。

 存在が希薄とされる気体であっても、集まれば一つの物質になる。

 それは、魔力とて例外ではない。


「そんな知恵があるなんて――」


 いや、多分知恵ではない。

 ある種の生存本能だろう。

 あるいはかつて封じられた時の経験からの学習か。


 やがて集まった災厄はその姿を変じた。

 大きさは人をはるかに上回る。およそ五メートルほどの人型。

 ただ、人とは到底言えない。

 醜悪な角が生え、巨大な翼めいたものが背にあり、凶悪な爪を備えた四肢を持つ存在を人間とは普通言わない。


「悪魔――」


 魔女において伝承で語られる存在。

 形状によっては妖精などとも呼ばれることがある、宝石などを核として、魔力を凝集させた使い魔。

 しかし実際に悪魔の召喚――正しくは製造――を実施した例はほぼ皆無とされる。

 人間クラスの大きさの悪魔を作るなど、魔女が一生をかけても不可能とされており、作れるとしても掌サイズ。

 それならば、動物を使い魔にした方がはるかに効率がいいのである。


 だが、これはそんなものをはるかに上回る。


(結界は、まだ有効……ですね)


 パニックになりそうな心を押さえつけて、聖良は必死に現状を分析した。

 悪魔は地上から吹き上がる魔力の供給を受けて形を存続させている。

 つまりここから動けば魔力供給がされず、あっという間に消滅するだろう。

 そうでなくても、地上からの魔力はそのほとんどが四散している。

 そもそもこのペースで魔力を放出していては、あの強大な災厄とて遠からず力尽きる。

 これは一時的な悪あがきだ。


 問題は、災厄が力尽きる前にこの悪魔に何ができるかだが――。


『ガァァァァァァァァァ!!』


 悪魔が吠えた。

 それ自体に魔力を帯びたその咆哮が、大地に響き渡る。


「きゃ!?」


 危うく意識を持っていかれるかと思った。

 それほどに、凄まじい重圧が聖良を襲ったのだ。


「これほどの魔力って、それじゃあ!!」


 振り返った先に、集落の一つが見える。

 おそらく今の咆哮は、あの集落まで届いただろう。

 そして魔力に耐性のない人が、あの咆哮を受けたとすれば――。

 よくて気絶、最悪の場合はショック死すらあり得る。


 さらに悪魔は、その巨大な腕を天にかざした。


(何を……? え?!)


 晴れ渡っていたはずの空が、急速に黒雲に覆われていく。

 その雲の隙間に、閃光が見えた。


「雷雲を呼んだ!?」


 天候に影響を与える魔術は、確かに存在する。

 ただ、これほど劇的な変化を起こすには膨大な魔力が必要で、こんな短時間では到底不可能。

 やるとしたら、幾日も使って魔術と儀式を用いて行うしかない。

 それを、これほどあっさりと起こすというのは、到底信じられない。


 直後。


 視界が真っ白に染まったかと思ったら、ドーン、という凄まじい音が大気を震わせた。その凄まじい轟音は衝撃波となって聖良の身体すら揺さぶる。

 それが、落雷が至近距離で落ちたと気付くのに少しかかった。


そしてすぐ近くの森が燃えていた。


さらに続けて落雷。

まるででたらめに周囲を破壊しつくそうとしているようだ。


「違うこれ、結界を破壊しようとしている!?」


 今は魔術具を置いただけの起点でしかない。

 もしあの雷が落ちれば、容易く起点は破壊され、災厄は解き放たれるだろう。

 それに何より、狙いがそれだとすればこの先も落雷は周辺地域を破壊しつくしてしまう。


「倒すしか――ない」


 災厄本体に比べれば、悪魔は確かに弱体化している。

 とはいえ、一介の魔女である聖良とは比較にもならない。

 ただ、それでも――。


「私はこの地で生きていくと、決めたんです」


 集落の人々の顔が浮かぶ。

 達夫、俊子。そして夫である敦也。

 彼らとの生活を、やっと自分が自分として生きていける場所を、護る。


 そのために――。


 直後、落雷が地を穿ち、雷鳴が大気を震わせる。

 それでも聖良は、その悪魔を正面から見据え――。


「あなたは、私が倒します!!」


 轟く雷鳴にも負けぬ勢いで、聖良は半ば吠えていた。

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