第4話 魔女の伝承

「週末、行きたいところはあるかい?」


 金曜日の夜、食後の敦也の言葉に、聖良は「うーん」と少し考え込んだ。


 聖良が敦也と結婚して三カ月。

 寒い雪の季節から暖かい桜の季節になりつつあった。

 まだ桜の開花には少し早いが、出かけるにはとてもいい季節になっていると言える。


 魔女工房の運営は順調だった。

 儲けを出すつもりはなく、材料費が調達できれば、程度でやっていたのだが、気付けば近隣でも評判になって、わざわざ車で来て買いに来る人がいるほどである。

 そのため、とても忙しい日々が続いていた。

 ただそれでも、以前のようなことのないように、とちゃんと休むべき時は休むようにしている。


 聖良は全然知らなかったのだが、魔女が一所ひとところにとどまってこのように商いをしているのは、極めて珍しいらしい。

 どちらかというと『呪われた存在』として忌み嫌われていることの方が普通で、それゆえに魔女は自らの力を隠し、ひっそりと暮らしていることが多いという。

 そういう意味では、この地域が例外なのだろう。


 そして――ふと、その経緯が気になっていることを思い出した。


「その……郷土資料とかある場所って、あるでしょうか」

「郷土資料?」

「はい。少し前のこの地域の伝承とか記録とか、そういうものです」


 すると敦也は少し考え込む様にしてから、顔を上げた。


「街にある図書館かな。あとは……役所の公文書室もあるけど、さすがにこっちは部外者には基本見せられないしなぁ」

「図書館。そういえばそういう施設もありますよね、街なら。なら、是非」

「いいけど……どういう資料が見たみたいんだい?」

「その、この地域が魔女を受け入れるようになったきっかけ、みたいなものが知りたくて。二百年前に災厄を魔女が鎮めた、という話は聞きますが、より具体的というか正確にというか」

「そういう事なら……図書館の閉架へいか図書の方だろうね。明日仕事に行ったついでに、頼んでおくよ」

「へいか図書?」


 字が想像できなくて聖良は首を傾げた。


「うん。閉じる書架と書いて『閉架へいか』。表に並んでいる本棚にしまいきれない本は、倉庫に入ってるんだよ」

「そうなんですか」

「うん。まあ図書館にもよるけどね。街の図書館はこの辺りでも結構大きい方だし、この辺りの記録も結構残ってるはずだ。聖良さんの要望に適う記録もあると思う」

「それは助かります」


 あと、と聖良はさらに言葉を続ける。


「調べ物は土曜日だけで……日曜日は……その、敦也さんとお出かけ、したいです」


 言ってから顔が火照る。

 二十歳――今年にはもう二十一にもなるのに、と自分でも呆れるが、それでも気恥ずかしさを感じるのはどうしようもない。

 そしてそれは、敦也の方も同じだったらしい。


「あ……うん、その、分かった。えっと、じゃあ明日は……図書館には連絡しておくから、聖良さんはバスで来るかい?」

「はい。……あ、帰りは敦也さんのオートバイで二人乗りは無理でしょうか」

「いや。もう一人乗るためのシートついてるから、大丈夫。じゃあ朝のうちに図書館には連絡をしておくよ。あとから僕も行く。せっかくだから、お昼は街で食べよう」

「はい。わかりました。楽しみにしています」


 なお、この会話は別に二人だけでしていたわけではない。

 が――二人ともお互い以外はあまり認識していなかった。

 もはや空気のように微笑ましく――達夫と俊子が見ていただけだが。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 バスで三十分ほどで、聖良は役所前に到着した。

 箒で空を飛んでも来れなくはないのだが、空を飛ぶという行為は常に力を使い続けている状態であり、肉体的にはともかく、魔力的には意外に疲労する。

 少なくとも『魔女のノート』では、そう長い時間飛び続けるべきではない、と書かれていた。


 魔力には本人の中に備わっている内魔力オドと、万物自然にあまねく存在する外魔力マナの二種がある。

 内魔力オドは個人差はあるが有限であり、一定時間で回復するいわば魔法的体力のようなもの。魔女はこれを消費して力を発揮する。なので使い切ったら力が使えなくなる上、使い切った時の疲労感は凄まじいものがある。

 一方外魔力マナは事実上無尽蔵に存在するが、利用するには一度自分に取り込んで内魔力オドとする必要がある。

 魔女は外魔力マナをゆっくりと吸収して内魔力オドに変換することができるが、それは長時間の休息が必要だ。

 短時間でそれを行う手もあるが、そのためにはそれなりの儀式を必要とする。

 故に魔女の工房にはそのための儀式部屋がある。無論、聖良の工房にもある。

 過日倒れた理由の一つが魔力切れでもあり、あの後に作ったのだ。


 そういう理由わけで、魔力というのは有限である以上、使わないで済むならそれに越したことはない。

 少しのお金を払うだけで移動できる手段があるのであれば、利用しない手はないのである。


「ここが……街」


 聖良は元々北方の田舎出身だ。

 小さい頃は家と学校とその周囲が世界の全てだった。

 そして思春期に入った頃に魔女の力があることが分かって以降は、家と学校以外に行くことはなく――修学旅行すら欠席させられた――中学卒業後はそもそも外に出ることすら稀だった。

 なので、聖良にとってはこのような『街』に来ること自体初めてのことである。


「人が多い、ですね……」


 ともすると人酔いしそうと思える。

 とにかく今は目的を、とあたりを見回すと、すぐに図書館の文字が見えた。

 大きなガラス戸を押して入ると――静謐な空間がそこにある。

 誰もが静かに本を読んでいて、司書の人と本の貸し出しや質問をしている人の声だけが、わずかに聞こえてくる。


 敦也が話を通してくれてるという事だったので、恐る恐るカウンターへ向かう。


「あの……」

「はい、何でしょうか」


 応じてくれたのは、メガネをかけた同世代と思われる女性。

 ショートカットの髪が、少し快活そうな印象を与えてくる。


「あの、城崎と申します。その、城崎敦也さんから連絡がなかったでしょうか」

「ああ。ではあなたが聖良さん。ええ、承っております。こちらへどうぞ。ああ、私は司書の加山と申します」


 加山と名乗った司書はカウンターから出て、扉の一つに入っていく。

 本来図書館に勤める人しか入らないであろうそこに入るのは少しだけ躊躇ためらいがあったが、聖良は意を決して入っていく。

 そこに階段があって、加山はその階下に降りて行ったらしい。

 慌てて聖良も追いかけると、廊下があってそのうちの一つの部屋の前で加山が待っていた。案内されるままに入ると、少し小さな部屋で、椅子と机があって、さらにその先に扉。


「この先が閉架書庫になります。城崎さんから申請が出てますので、えーと……十五時まで自由に入られて大丈夫です。ただ、貴重な文献もありますので、取り扱いには気を付けてください。手に取る時はこちらの手袋を使うよう、お願いします」


 そういって、布製の手袋を渡された。


「は、はい。わかりました。大切に扱います」

「あとは隣の部屋にも司書がおりますので、分からないことがあればそちらに聞いてください。私はこれで失礼します」

「はい、ありがとうございます」


 聖良がお辞儀をすると、加山と名乗った司書は階上に消えた。

 言われた扉を開くと――そこには上の書庫とは全く違う――狭い通路にびっしりと本棚――書架というらしい――が並んでいて、多くの本が置いてある。


「すごい――」


 わずかに目を閉じると、本に込められた想いが聖良に伝わってきた。

 あまり知られていないが、ありとあらゆる物には外魔力マナが宿る。

 それは本であっても例外ではない。

 それは非常に微弱なのだが、そういった物に宿った外魔力マナはその物の性質や、それに込められた人の想いを宿したようになることがある。

 聖良はそれを感じ取ることができるのだ。


「……この辺り……かな」


 多くの本の中から魔女に書かれていそうな本を探す。

 正しくは、二百年ほど前にあったという魔女が関わった事件について書かれた本。


「あ、これだ……」


 それはこの近隣の災害などの記録をまとめた資料。

 そしてそこに、二百年あまり前に、山から災厄が現れた、とあった。


「災厄……」


 その災厄は自然災害などではなく、ある種の意志を持つ『魔物』だと書かれていた。現代では荒唐無稽とされてしまいそうな記述だ。

 だが。

 今でも海外では悪魔憑きと呼ばれる現象があったり、騒霊現象ポルターガイストと呼ばれる現象も確認される。

 科学万能とされるこの時代でも、世界の神秘はすべて解明されているわけではない。まして二百年前であれば、神秘はより色濃く世界に現れていただろう。


 かなり古い資料のようで、扱いに神経を使う。

 古い字体で書かれている上に古語めいているので、読むのも難しいが――。

 概要は分かる。


 災厄というのが具体的にどのようなものだったかは判然としない。

 ただ、その時この地を訪れた魔女が、いくつもの仕掛けを土地に施して、災厄を鎮めたらしいことだけは分かった。


 魔女の力は無尽蔵ではない。

 基本的に内魔力オドが尽きれば力を使えない。

 ただ、それを解決する手段として、外魔力マナを利用することに長けた魔女の中には、一定の術式を用いることで、特定の術を外魔力マナを利用して永久にかけ続けることができる術がある。

 あの『魔女のノート』にも少しだけ記載があった術だ。

 おそらく、二百年前の魔女が使ったのも、それだろう。


 その災厄によって大きな被害が出ていたこの地域は、魔女によって災厄が退けられた。そのことを多くの人々が感謝し――今でもその感謝の意を持ち続けているのだろう。

 二百年前の魔女。

 彼女のおかげで、今の幸せがあると思うと、聖良もその魔女には本当に感謝したい。

 いくら魔女が長命とはいえ、さすがにもう生きてはいないだろうが――。

 名前が分からないかと調べてみたが、どこにも残されていなかった。

 あるいは、名乗らなかった可能性もある。


(でもそれなら、彼女が遺した術は、受け継ぎたいな)


 魔女が大地に敷く特殊な陣はとても繊細だという。

 急激に開発が進んでいる昨今、うっかりその陣を壊してしまうと――災厄が蘇る可能性だってある。

 記録には魔女の功績について詳しくは書かれていない。


「……あ、これは……」


 何冊目かの資料。

 非常に古く、扱いには気を遣う。

 資料には『宝歴七年』とある。西暦で調べてみると、一七五三年だった。二百年あまり前だ。

 これまでの資料は過去の伝聞を記載したものだったが、この資料は明らかにその当時かその直後に書かれたものだ。


「それでも災厄の正体は……分からないですね」


 魔女本人が記したものがあればあるいは、と思ったが、それは見当たらない。

 ただ、魔女がの村にそれぞれ何かを置いたことが記録されていた。

 その村の名前を今の地図で調べると、同じものを見つけられる。


「にしても……四か所? 結界陣を敷設するのなら、あと一か所はないとおかしいですが……」


 魔女の使う術は多くが五芒星を用いる。稀にそれ以上の陣もあるが、四つというのは聖良は知らない。

 他の記述がないかと資料をめくっていると、不意に一枚、はらりと紙が落ちた。


「あ、え、こ、壊れた?」


 一瞬貴重な資料が一部損壊したかと思ったが、どうやら違うらしい。単に資料に挟まっていただけのようだ。

 それは、明らかに資料とは違う筆跡で書かれた紙。

 そしてそこには、の陣を敷くことで封印を発動させたと明記されていた。

 それに、敷設した結界の概要まで書いてある。


「これ、多分ですが……魔女にしか読めないようになっていそうですね。それにやっぱり、五か所。一か所はつまり……当時地名がないってことかしら」


 先ほどの地図を広げ、記された四か所の位置を見る。

 やや歪んでいるが、どう考えてもバランスが悪い。


「多分、この辺りにもう一つ……あるんでしょうね」


 そこは現在でも森と山ばかりで、人の手が全く入ってない場所。

 地名として記録を残せなかったという事だろう。


 それとは別に、もう一枚の紙が挟まっていた。

 こちらの筆跡は、先のものと同じだ。つまりおそらくは、魔女本人の筆致。

 ただ、意味がよく分からない上に、かすれていて最後の方は読み取れない。


「とりあえず、書き写していきましょう」


 それほど長くないので手早く書き写す。

 ひとしきり確認したいことはできた。これに加えて、当時の周辺地域の資料なども調べれば、もう少し具体的なことが分かるだろう。

 そのうち、それぞれの陣の状態も確認すべきだと思える。

 彼女が二百年前に尽力してくれたからこそ、今の自分がここで受け入れられているのだから、彼女の成果を継承するのは自分の役割だろう。


 とりあえず一息つくと……お腹がくぅ、となった。

 壁にある時計を見ると、いつの間にか一時。すっかりお昼を回っていたようで――そこで時計の下に、人がいるのに気が付いた。


「聖良さんもお腹空いたようだし、ごはん食べに行かないか?」

「あ、敦也さん!? い、いつからそこに!?」


 全く気付かなかった。それだけ作業に集中していたのだろう。


「ついさっき……かな。仕事が少し長引いたから遅くなったかと思ったけど……ある意味ちょうどよかったというか」


 つまり先ほどのお腹の音を聞かれていたという事になる。

 聖良は羞恥から顔を真っ赤にしてうずくまってしまう。

 敦也が慌てて駆け寄ってきたが、聖良はぽかぽかと彼の胸を叩いた。


「ひどいです。乙女の恥です。忘れてください」


 それに対して、敦也は困ったように叩かれるまま笑っていた。



――――――――――――――――――――――――

 一応捕捉。

 普通図書館で閉架図書をあのように一般人に見せることはありません。

 あれは城崎家ゆえの特別扱いと、聖良が魔女であるが故の特別措置です。

 城崎家は特別扱いされる家柄ですし、この地に限れば魔女である聖良は何かと便宜を図られる立場なので。

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