黎明の詩

花野井あす

黎明の詩

落葉したかえでの木に一羽のつばめあり。

彼は家族と別離はぐれた哀れな燕。

燕は雨降るときも風吹くときも独り彷徨さまよった。

何日も、何月も、何年も、流離さすらった。


結句とうとう燕は虚無へ留まった。

荒波の如き俗世に疲れ、渡る事も諦めた。

門出を祝う海原も、労苦をねぎら微風そよかぜもすべてが灰色むしょくに思えた。


空虚は色が無い。

誰かはそれを白と呼び、誰かはそれを透明と呼ぶが、燕はそれを黒と呼んだ。

すべてを受け容れるが、動じることもない黒。


燕は最早もはや旅を忘れた。


ある冬の終わり、だ朝陽の昇らぬ明朝まよなか

墨色すみいろの天蓋に鈍色にびいろの石ころが散りばめられているのを燕は傍観し、風が過ぎてくのを聞いていた。


すると何処からか鈴のようなさえずりが流れてくる。

声を辿れば新芽の萌えたかえでの木に一羽の黒鶫くろつぐみあり。


彼女は春の訪れをうたっていた。

静かに、高らかに。

その声は深く澄んでいる。

雨に打たれる日も風に追い立てられる日も彼女はうたい、うたった。


燕はじっとその歌を聴き、うたを聴いた。

次第に世界がじんわりと滲み始めた。

燕は一筋の涙を流していた。枯れて乾いていた心が啼いていた。


燕は広い夜空には宝石が瞬いているのを知った。

紅玉ルビー蒼玉サファイア翠玉エメラルド

大きなまん丸の金剛石ダイアモンドは西の地平へ。


燕は黎明れいめいきらめきが暖かいことを知った。

白くまばゆい光が東の地平より伸びて、燕の心を濡らす。

静寂しじまの眠りからすべてのものを呼び醒ます。



黒鶫くろつぐみ旋律うたは春が終わるまで続いた。

楓が青々と生い茂る頃。

燕は遠い何処かへ旅立った。

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