第一章 隣町市の高校生

1-1

 菅原小春すがわらこはるは、いっとう愛する神さまのため、命の終わる日を待っている。



 隣町となりまち市。

 そこは三方――外へ通じるのが、山の切れ目に通る片道一車線の県道一本であることを思えば、ほぼ四方――を山に囲まれた陸の孤島。

 しかしながらひとたび足を踏み入れたなら、僻地とは思えない光景に目を見張ることになる。


 片田舎の印象とはほど遠く、大型の商業施設や昔ながらの商店街、きれいなオフィス、おしゃれなカフェやレストラン、ブティック、遊園地、公園、実り豊かな田畑や大きな川まで、およそ人が望むもののほとんどを有する街だ。


 この街に生まれれば、この街で死ぬまで、何不自由なく生きられる。幸せが約束されているから、街を出ていこうとする者は、ほとんどいない。

 この、現代の楽園を体現したかのような街を支えているのは、豊富な労働人口でも、活発な経済でも、住人の穏やかな人柄でもなかった。


 街を見下ろす山には、神さまがいる。強大な力を持つ神の加護により、街は栄え、住人から災いは遠のき、幸運に恵まれる。

 神が棲む山の隣にある町――隣町市の住人は、神の掌上で生を営んでいるのだ。




 隣町高校、一年一組。四月、七日。

 入学式を迎えたばかりの教室を、小春は頬杖をついて眺めていた。

 新入生の緊張と高揚は、いつの時代も変わらない。


「ねえ」

「あの」

「えっと」

「初めまして――」


 ざわめきは一瞬も絶えることがなかった。不安を内に包んだ期待は、高校生になった生徒たちをことさら浮つかせる。


 同じ中学出身同士でなんとなく集まっている子。おずおずと新しい顔ぶれに声をかけてみる子。習い事の知り合いと、ようやく同じ学校になったことを喜ぶ子。早くも、小さなグループがそこかしこにできつつある。


 小春はそのどれにも属さず、ひとりで席に座っていた。彼女は、自分から積極的になる必要がないことを知っている。


「ね、ねえねえ、菅原さん、だよね。どこちゅうから来たの?」


 女子生徒が四人、小春の机の右半分を囲むように立つ。顔つきや雰囲気はそれぞれだが、共通して、体格よりひとまわりほど大きな真新しい制服が、高校生のおとなっぽさよりも、まだおとなとは言えない幼さを目立たせていた。


 小春は顔を上げ、にこりと笑う。


「遠いところ。みんな知らないと思う」


 少女たちは虚を突かれたように顔を見合わせた。小春はそれを見て、四人のうち、ふたりずつがそれぞれ元からの友人で、それが先ほど新しいグループを作ったところだろう、と推し量る。


「えっと、そうなんだ。外から引っ越してきたってこと? 親御さんの転勤?」


 少女たちに誰かがリーダー格というほどの差はないが、四人のうちでは一番社交的そうな子が、やや戸惑いつつも話を進めようとする。

 その朗らかさからは、育ちの良さが感じられた。肌つやや、笑った唇からのぞく歯並びのきれいさからも、手をかけられた娘であることがうかがえる。


 小春は浅くうなずく。


「そんな感じかな」


 小春の気安い反応に、相手はほっと緊張を解いた。


「そっか。この街にはもう慣れた? 困ったことがあったら、言ってね」


 曖昧な答えに突っ込まれないのも、ぎこちないこの時期ならではだ。

 よそよそしさを打ち消すように、小春は彼女に微笑みかけた。


「ありがとう」

「あの、あたし、田町絵里奈たまちえりな。それでこの子が」


 少女が名乗り、隣の子をつつく。


端間杏はたまあんです」


 杏は少し臆した様子が純朴そうで、絵里菜と並ぶと、都会っぽさと、地方ののどかさを持ち合わせたこの街の雰囲気を、そっくり映し出すかのようだった。


「アタシは沼尻祐実ぬまじりゆみ

大久保佐々良おおくぼささら


 祐実はうっすらメイクを施したおしゃれ好きらしい少女、佐々良は細身で背が高く、切り揃えた黒髪と肌の白さの対比が目を惹く美人。


 次々名乗る少女たちの顔を順番に見上げて、小春はひとりひとりにうなずいた。それからゆっくりと席を立ち、背すじを伸ばす。


「菅原小春です。どうぞ、よろしく」


 小春は、同世代の少女たちに比べて、明らかに小柄だった。四人の少女たちの中でも、祐実は百五十センチぎりぎりと中学生に見られそうな身長であるが、小春は、それよりさらに額ひとつぶんほど低い。幼さを残す柔らかな頬があどけなく、薄紅色の唇がほころぶとき、印象づけるのは色気より愛らしさだ。


 だが、くせのない濡羽色の髪を乱れなく背に流し、少しの気後れもせず微笑む姿は、この教室の誰よりも、ともすれば先輩や教師たちよりも、大人びて見えた。

 絵里奈たちは小春に気圧され、ひと呼吸置いてはっとしたように取り繕う。


「菅原さん、ええと、その、小春ちゃんって、呼んでもいい?」

「どうぞ」

「あたしのことは絵里奈って呼んで」

「わたしも杏でいいよ」

「アタシは祐実で」

「私も、佐々良って」


 口々に言う少女たちに、小春はゆったりとうなずく。その小春ののどかさは、少女たちにはもどかしいようで、待ちわびたように絵里奈が口をひらいた。


「ねえ、今日ってオリエンテーションだけでしょ? そのあとヒマ? この街のこと、案内してあげよっか?」


 その申し出には、街を自慢に思っているらしい気持ちとともに、小春自身への好奇心が滲んでいた。


「辺鄙なとこにあるって思って、実際に到着してびっくりしたでしょ」


 杏が誇らしげに言い、祐実が続ける。


「そのへんの都会には負けないよ……たぶん」


 言い切れなかった祐実は、この街を出たことがないのだ。それは杏や絵里奈、この教室にいるほとんどの生徒が同じだった。

 ほぼ四方が山のこの隣町市は、隣の市へ行くにも幹線道路一本のみという不便さである。

 だが、辺境の市にしては、この国の主要都市にひけを取らないほど栄えていた。


 人口は約十万人。中核都市には及ばないものの、地理上孤立していることから、行政にかかわる権限が市長以下市議会に幅広く委譲されている。市の運営について、この土地で必要な物事は、ほとんどすべてがこの土地で始末され、完結する体制が敷かれているのだ。


 行政だけではない。


 鉄道は市内を移動するためだけのものだが、蜘蛛の巣のように張り巡らされ、どこへ行くにも簡単である。特に街の中心であるターミナル駅の周辺には、おしゃれなカフェやレストランがいくつもあったし、デパートだって地方の支店とは思えないほど大きい。複合商業施設もいくつかあり、高層ビルが立ち並ぶ。


 いっぽうで、少し離れた地域には、シネコンを併設した大きなショッピングモールもあれば、古くからの商店街やホビーショップも残っているし、自然公園のたぐいもそこここにある。


 動物園や博物館、美術館などももちろんあって、さらに市内唯一の遊園地は、丸二日あってようやく遊び尽くせるかという規模を誇る。


 生活にも娯楽にも事欠かない街で、だから十代の少女たちには、街を出る理由がなかった。


「そうね……」


 小春が少し考えるそぶりをみせると、少女たちはうずうずと待ちきれないように言う。


「今なら、桜がギリギリ残ってるところがあるんだよ。すっごくきれいなの」

「駅前のパンケーキさ、春限定のがもうすぐ終わりじゃない?」

「桃源郷のおじちゃんが、入学祝いにフルーツジュースをタダでくれるって言ってた」

「それどっちも行かなきゃ! あっ、桃源郷ってね、商店街の八百屋さんなんだけど……」

「そこの隣のコロ助の唐揚げもおいしいの! コロ助なのに唐揚げなんだよね~」


 少女たちの口から出てくる街の情報は、尽きることがないように思われた。しばらく自由にさせ、ころあいを見て、小春が「それじゃあ、お願いしようかしら」と言えば、彼女たちは嬉しそうに笑った。


「地方にあるのに、すっごく栄えてるの、何でもあるんだよ、ここ」

「トウキョウよりいいとこだよ」

「杏、トウキョウ行ったことあったっけ?」

「ないけど」


 互いをつつきあい、じゃれている少女たちは、誰もが幸せそうだった。

 そのなかで、一歩引いたところから友人たちを見ていた佐々良に目を移す。視線を受けた佐々良が小春に向けて笑う。


「とても良い街よね」

「そうね」


 心からうなずき、小春は笑みを深くした。



 

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