塩基配列の夜

清水らくは

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 SK085と名付けられたマウスは、平均的な個体の三倍の速さで動くことができた。製作者はスケルトン、AGTUCアグタックに三人しかいないグランドドクターの一人である。

 画面の中では、1日が約10秒で過ぎていく。マウスはせわしなく食べ、迷路を進み、排泄し、子供を産む。スケルトンはSK085に優しい視線を注ぐ。問題は、どこまで生き延びられるかだ。三倍速く動くということは、体に異変が現れているということだ。それにより早く死んでしまうかもしれない。もちろんそれ自体が一つの結果として参照はできるのだが、ポイントは低い。AGTUCというゲームにおいては、「リスクが少なく新しい何かが現れる」ことが重視される。

 SK085は、800日まで生きた。平均寿命近くまで生きており、少なくとも、3倍速く死ぬということはなさそうである。

 3200ポイントが加点された。2位と20000ポイント以上の差がついている。ゲームランキング、トップを独走中であった。

 スケルトンは満足し、パソコンを閉じた。このゲームにおいて圧倒的な実力を誇る彼がまだ高校生であることは、誰にも知られていない。そもそもAGTUCというゲーム自体が、ほとんど知られていないのであったが。



 AGTUCは、マウスの特性を決めるとされる塩基配列にAGTCを入力していくというゲームである。無茶苦茶に入力してもマウスは生まれるが、ポイントを狙うには遺伝学に関する知識が必要だった。より研究の役に立ち、健康で斬新なマウスを作るほどポイントが高くなる。一定ポイントを越えると「ドクター」の称号が得られ、上位3人は「グランドドクター」と呼ばれる。

 あくまでゲームであり、そこまで正確性があるとも思われていなかった。DNAの中には、遺伝情報を持っていないとされる個所もある。ゲームではその部分も記入対象になることがあるが、結果としてマウスの個性に違いが出るのである。そのため、ゲーム特有の設定がされているが、現実にその配列にしてもマウスはそのようにならない、と考えられていた。

 利用者が少なくとも、考察班というのは存在する。どこに何を記入すればどのようになるか、日々探索され、結果がホームページに公開されていた。しかしどれだけ考察が進んでも、スケルトンが高得点を得られる謎は解明されなかった。彼独自の攻略方法があると思われるか、彼が開発者ではないかと疑われていた。

 だが実際のところ、スケルトンはゲーム好きな高校生だったのである。



「ふう、自分でうまくはいかないものだ」

 ニヒトザインは、笑いながら息を吐いた。NS505と名付けられたマウスは、様々な病気に耐性を持っているはずだった。しかし、成長することなく死んでしまう。どこが原因かはわからないが、それが不思議でないことはよく知っていた。彼は、研究者なのである。

 ニヒトザインは遺伝学を研究しつつ、AGTUCを運営している。ゲーム内で成績のいいデータには注目し、やり方を模倣してみたりもする。しかし彼自身は、特別優秀な成績を収めることはできなかった。

「現実でも僕が突出していないことを考えれば、彼らもまた研究者だったりしてね」

 ニヒトザインはもともとゲーム開発に関してはある面で天才的だったが、研究者としては平凡な業績しか残していなかった。自分の開発したゲームですら、ランカーにはなれないことが、彼にとっては屈辱だった。

 ゲーム開発での実績は、もういらない。研究者として、目立ちたい。

 そう思った彼は、AGTUCにおいて得点の高かったデータを実際の実験で再現しようと試みたりもした。実はまだ遺伝子操作に関しては、すべての遺伝子をデザインできるわけではない。そのため彼は利用者にばれないように、入力できる配列を、できるだけ現実でもデザインできる場所になるようにした。よほど詳しい人でなければ、気が付かないであろう、とニヒトザインは考えていた。

 実際のところ、操作を疑うコメントはネット上では発見できない。ただ、懸念はあった。一人の利用者に関してだが、あまりにも得点が高いのだ。プレイヤー名、スケルトン。彼の成績は、あまりにも突出している。

 まさか、スケルトンは「あいつ」なのか? ニヒトザインは首を振った。いや、あいつだとしてもここまでの成績は残せないはずだ。

 なんにしても、スケルトンのデータは役に立つ。そのまま発表すれば、彼が同業者だった場合、気づかれる恐れがあることは気がかりではある。だが彼には、論文を公表せずに研究成果を生かす方法にめどが立っていた。だから、願うのである。「頑張れ、スケルトン」と。


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