掌編

 わざわざ出向く必要があるのだろうかと常に疑問を抱きながら慣れない土地を歩く。

 それだけのことなのに周りの喧騒が気になってしまう。それだけ自分が生きている場所が静かなのだと実感し、この中で生きている人達が少し羨ましく思う。思うだけでここで暮らしたいと言う気持ちは思ったほど湧いてこない。

 街へ行くと、知った仲間たちの羨望の目に得意気な感情もあったが、実際来てみれば大した感想は抱かなかった。

 そりゃ、見たこともないほど大きな建物に驚き、知識でしか知らなかった人間の多さに自分のちっぽけさを思い知らされた。目の前を歩く父親だって大した回数を経験したわけじゃないのに。堂々として見える。

 村では長だって言うのに偉そうにせず、むしろ大人しくて、周りにナメられているなんてこともよく思う。それを見ていると情けなく思ったり、こうはならないと心に決めたりするものなのだが、人混みをものともせずに前を歩く父の背中は村にいるときより大きく見えた。

「ロイド。着いたぞ。ここまでの道のりは覚えたか? 二十年後にはお前がこの役目を担わなければならない。そのことを心に留めておくんだぞ」

 騒がしい街の中でその声はよく通った。加えて力強い声だ。もしかして緊張しているのだろうか。よくよく考えれば、父だってこの役目を担うのは初めてなのだ。その

心の中は想像もできない。いったいどういう気持ちでこの役目をこなそうとしているのだろう。

 とても耐えられそうにない。つい先日見た光景を思い出してロイドは身体を震わした。それが、父にとっては返事に思えたようで満足そうな顔をすると建物の中へ入っていく。

 建物は村の家が四つほど積み重なったくらいに大きな石造りのものだ。てっぺんがとんがっているのに理由があるのかどうかも分からない。けれど、その建物から感じる空気は荘厳なものを感じる。その意味も正体も分からないのにだ。きっと重要なものなのだろう。

 父に続いて中に入ると、泣き声が聞こえてくる。赤ん坊や子どもの声ではない。ロイドよりも年上。父よりも年下。そんな女性の声。その声は悲痛な音を響かせ、建物内の空気をその外へとは別次元へと押しやっているようにも思える。

 ああ。この感覚は知っている。先日と同じだ。

 ロイドはこれから起こることに気が滅入りそうになる。

「おお。待っていたよ村長。ちょうど祭典の準備も終わったのでな。引き渡してもらおうとしているのだが……」

 ロイドたちを待ち構えていたのは騎士団長と祭司だ。ふたりとも大きな組織を束ねる身。同じ長だと言うのに、父とは格が違う。それは会った瞬間に分かる。そしてその騎士団長と祭司は困ったように視線を向けている。その先にいるのが泣き声の主だ。

 その手の中には小さな赤ん坊がいた。赤ん坊は泣いていないのに、母であろうその人は泣き続けている。それが意味することはひとつしかなかった。

 これから引き裂かれそうになっている我が子との別れを惜しんでいるのだ。

 大樹の巫女。大樹を守るために必要な存在。その選抜は赤子の頃にその身体に内包する潜在的な力を測られて決まる。そして選ばれることは光栄なことでもあり、同時に悲劇でもある。

 赤ん坊の頃に母から離され、ロイドの住む村で余計なものに触れさせず健全に成長させる。それが、大樹の巫女が役目を果たすのに必要とされていることだからだ。

 そうして二十歳まで育った、巫女に待っている運命はそれもまた悲劇。けれどそれを悲劇と呼ぶことは禁じられている。そう思わないようにロイドも育てられた。

 けれど、その巫女が役目を果たす場面を見てしまった今、そんなことを言える気にもなれない。

 街全体が祝福をし、名前を付けられていない赤ん坊を担ぎ上げる。その異様さが充満する街をいいものだと思えなかった。

 泣き続ける母から赤ん坊を無理やり引き剥がそうとする騎士たちの姿が目に入る。やめろと思うが、そんなことを言えるはずもない。ただ見ているだけ。それが村の長になるものの役目だからだ。

「せ、せめてこれを……どうかお願いします」

 声にならない声を絞り出し母はひとつの宝石を取り出した。紫色の宝石。決して高価なものではないとすぐに分かる物だ。けれど、それに込められた想いは大きいものだ。

「うるさい。これ以上、抵抗するなら貴様の命も危ういのだぞ」

 騎士に一括され、手を振り払われ、宝石は石畳に転がる。そうして、ロイドの足にぶつかって止まった。

 それを慌てて拾って、密かにポケットに入れた。これくらいはきっと許されるはずだ。これからこの子がたどる運命を考えれば。当然の権利だ。

 ロイドは泣き続ける母。何が起きているのか分からないまま引き離される赤ん坊。それをただ見ているだけの父を焦点も合わないままぼんやりと、あるで世界を俯瞰して見ようと努力するように見つめていた。

 ポケットに突っ込んだその手の中で紫色の宝石がかすかに輝いたことに気づきもせず。二十年後に待ち受けているであろう予定調和の悲劇を想像して。

 どうにかなってしまいそうな自分を必死に抑え込み続けた。

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世界樹の巫女を助けたのは物語の騎士団長でした 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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