近くて遠くて近い人
そうざ
so Close yet so Far
下駄箱に向かう途中、ぽんっと肩を叩かれた。
「大学、合格したよ」
廊下の壁に寄り掛かったスズちゃんが、Vサインを出して微笑んでいる。
「あぁ……そうなんだ」
僕は素っ気なく言って直ぐに階段を下りた。
「お前、見掛けによらず」
「隅に置けないって奴か」
通り掛かった同級生グループが半笑いで行き過ぎる。
どうやらスズちゃんの事を特別な何かと勘違いしたらしい。生まれてこの方、そんな存在には縁がない僕は、何だか擽ったい気持ちで否定する羽目になった。
「あれは従姉だよ」
スズちゃんは僕の二つ年上で、小さい頃は一番の遊び相手だった。内弁慶の僕には従姉弟くらいの関係が心地好かった。お互い一人っ子というのも親近感に繋がったのかも知れない。
家族旅行にも一緒に行った。旅先では姉弟に間違われる事が多かった。
「雨が降ってる」
「川の音だよ」
同じ座敷で布団を並べて寝た旅の夜を、スズちゃんは憶えているだろうか。
成長するに連れて僕等は段々と疎遠になった。
男は男同士で
中学時代にはもう、近過ぎず、遠過ぎず、何かがなければ滅多に顔を合わせない親戚の一人になってしまった。
同じ高校に進学したのは、唯の偶然に過ぎない。
でも、学年が違えば校内で見掛ける事なんて先ずない。だから、スズちゃんがもう直ぐ卒業という時期に鉢合わせた事は、妙に記憶に残っている。高校生の僕等が交わした最初で最後の会話だった。あの時、僕は初めて、スズちゃんって美人なんだな、と思ったのだ。
これと言って何もない僕の毎日は、青春なんて美辞麗句とは無関係に淡々と過ぎて行った。
二年生に成り、三年生に成り、そしてはっきりとした目標もないまま進学する事になった。分相応の、身の丈に合う無難な大学を目標に、後は粛々と勉強に
やがて年末になり、いよいよ受験が現実味を帯び始めた頃だった。
「あら、もう帰って来ちゃった」
塾から帰ると、母の声が逸早く反応した。会話が聴こえる。奥の和室に居るらしい。
「今、入って来ちゃ駄目よ」
「そんなに気を遣わなくても良いわよ」
母と伯母の声だった。
障子戸に嵌められた擦りガラスから、一瞬、華やかな色合いが透けたように感じた。
僕は少しだけ戸を引いた。
部屋の奥に姿見が置かれていて、そこに華やかな晴れ着を羽織る若い女性が映っていた。
女性は襟を前で合わせると、姿見越しに僕に笑い掛けた。
「久し振り」
それがスズちゃんだと気付くまで、思いの
母と伯母が着付けを続けながら僕に言う。
「これ、お祖母ちゃんの形見なのよ」
「伯母ちゃん達も成人の時に袖を通したの」
「来年でもう二十歳だなんて、早いものねぇ」
「お互い年を取る訳よ」
漸く整った晴れ着姿のスズちゃんは、僕の方を振り返って問い掛けた。
「どぅお?」
僕は咄嗟に声が出なかった。気軽に、綺麗だとか、似合ってるとか言ってあげれば良かったのに、上手く言葉に出来なかった。
「綺麗でしょう?」
母が助け船のように言葉を挟んだ。
「……まぁ、そうだね」
「素っ気ないわねぇ、これだから男の子は」
笑う大人達を余所に、僕は視線を外したまま戸に手を掛けた。
戸がゆっくりと閉まる寸前、スズちゃんが声を上げた。
「受験、頑張ってねっ」
年が明け、僕はそれなりの苦労の末に晴れて大学に合格した。試験の当日もスズちゃんの応援が頭を過っていた。
僕は残り少ない高校生活の中で、晴れ着のスズちゃんを、制服のスズちゃんを、布団から顔の半分を覗かせるスズちゃんを思い出していた。
スズちゃんが体調を崩して入院したと聞いたのは、僕が卒業を間近に控えた頃だった。
よくある盲腸の手術だと聞いて安心したものの、スズちゃんの肌に刃物が滑る場面を想像して鳥肌が立った。
「明日、お見舞いに行こうと思うんだけど」
母の口調は何気ないものだった。一緒に行く気があれば、という軽い問い掛けだった。答えは一つなのに、答えるまでに少しだけ時間が掛かってしまった。この気持ちを誰が理解出来るのだろう。
スズちゃんはいつも僕の先を歩いていた。二つの年齢差がそれを当然のように思わせていた。
けれど、僕はいつだって自分の内気な性格を言い訳に使っていた気がする。その事に気付くまで、どうしてこんなに時間が掛かったのだろう、と思う。
小さな花束と、伝えそびれた台詞とを胸に、僕は向かう。
病室のドアが開く。
ベッドで半身を起こしたスズちゃんが、こちらに笑顔を向ける。
懐かしいスズちゃんが何かを言おうとするその前に、僕は言う。
長い年月に溜め込んでしまった言葉が今、溢れようとしている。
近くて遠くて近い人 そうざ @so-za
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