5,いや、断るって


 やはり訓練の軽減を訴えるべきだ。

 知り合いがいるとかいないとか言ってられない、マリアンと食堂のおばちゃんの伝手で陸上軍団の皆から名前を掻き集めよう。


 ほぐすように目頭を揉む。


 ……うん、婚姻届だ。どの角度から見ても婚姻届。


「すいません、今度は目が優れないようです。時間休をいただいてもよろしいでしょうか」

「それはいけない。かまわないぞ、直属の上司には俺から伝えておこう」

「アイリス‼ 君は正常だ、僕が見てもそれは婚姻届だったよ‼」


 マジですか。


 口を開くより先に、私の手にあった書類は団長によって抜き取られてしまった。


「バーミンガム団長、つかぬことをお聞きしますが……その書類をどうするおつもりでしょうか?」

「……提出する」

「えっと、何処に?」

「役所に」


 ほう、役所に。


 一般的に婚姻届というのは、婚姻関係を結びたい恋人同士が名前や住所、その他諸々を記入して役所に提出し、晴れて夫婦となるものだ。

 うん、どう考えても可笑しい。


 嫌な汗が背中に滲む。


「その、何故でしょうか? 私とバーミンガム団長ははじめましても同然かと……」


 またあの翡翠のような瞳が向けられた。

 緊張するからヤメテ。


「君は以前、ご実家から結婚か就職かと迫られて王立騎士団に入団したんだったな」

「ど、どこからそれを……」

「俺にも色々情報網がある」


 おそらく、といっても想像はつく。

 どうせ私を紹介した伝手から聞いたのだろう。


 しかし不純な動機を団長に知られていたとなると、少々気まずい。


「アイリス・クラーク。君の成績が王立騎士団の下の下の下ということは勿論把握している」


 精神を殺しにきたんか? ってくらいズバッと言い切られた。知ってるわ、そんなもん‼


「そのこともどうやら君のご両親に耳に入っているようだ。随分と心配されているようじゃないか」

「そこまでご存じなんですね……」


 違う意味で怖くなってきた。え? 私なんか犯罪犯しましたか?

 副団長に助けを求めるように視線をずらすが、緩く頭を横に振られるだけ。諦めないでください‼


「ここ数ヶ月、結婚して実家に戻ってくるようにという手紙と一緒に見合いの絵画も送られてくるとか」

「……」

「黙秘は肯定と取ろう」

「(どう転んでも大怪我‼)」


 国宝級に整った顔が、ついそこまで迫った。イ、イケメン……じゃなくて!


「そ、それが団長の持っている紙とどう関係してくるのでしょうか?」

「大ありだ。最近俺も実家からこういう話題を持ち出されて頭を痛めている」

「団長ほどの方であればより取り見取りでしょう……」

「それがな、とても厄介だ。君も知っていると思うが、俺の生家はバーミンガム公爵家。

 それなりの立場になってくると、話が来る女性も立場があり家を高めようとする下心が大きい」


 でしょうね。


 心の中で大きく頷いた。

 そうでなくても、家とか関係無しに女は寄ってくるだろう。


 王立騎士団の団長は、実力が無ければその座に着くことが出来ない。つまり、私のようにコネがあったとしても不可能なのだ。

 アドウェル・パッド・バーミンガムは努力の人である。


 その年で団長の座に着くのは並ならぬ努力があっただろう。到底私なんかには想像も出来ない。

 陸上軍団で彼は公爵家に人間でなく、実力の伴った尊敬できる団長としてまかり通っているのだ。マリアンが良い例である。


 それが! 何故‼ 私に⁉


「そういった女性と結婚すれば、団長職の他にもっと煩わしい事が生まれてくるだろう。夜会やサロンなんて世界、俺には必要ない」

「はあ……」

「だからそういったことに興味がなさそうな女性を探していた。失礼を承知で君の実家を軽く調べさせて貰った。

 クラーク家は男爵家であるが、ここ近年夜会やそういった公の場には出ていないと」


 身辺調査まで終わっていたのか。怖いを通り越して脱帽物だ。


「確かに昔は小さな夜会に顔は出していましたが、両親も高齢になってきたので控えていると聞いております」

「だろう。ならば俺にとっても好都合だ」

「それが私、ということですか?」

「そうだ。ここで俺と結婚すれば君は実家から送られてくる見合い絵画やプレッシャーから解き放たれる。俺も同様、実家からの煩わしさから解放されるだろう」

「なるほど……。





 ではお断りします」


 副団長が後ろでお茶を吹き出した。



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