舞台裏、奈落の底のパペッティア

青時雨

舞台裏、奈落の底のパペッティア

「あたたた…え、ここどこよ?」


「こんにちは。さて、仕事をしなくっちゃね」



スポットライトの下。アンティーク調のテーブルに、ソーサーに乗ったティーカップを置く女。女は深く腰かけていた椅子から立ち上がると、フィナンシェを摘んでどこかへと足を向けた。

振り返った女は私のことを見て微笑む。



「何まだ這いつくばってるの?。早くついていらっしゃい」



何故、見知らぬ作りもののような場所で見知らぬ派手な女にそんなことを言われているのだろうか。

そもそもここまでどうやって来たのだったか。

思い返せば私はここに来る前、舞台の本番に向けてみんなとリハーサルをしていたはずだ。

全ての出演場面の最終確認と場当たりを終えた私は、お水を飲みに楽屋へ向かった。

向かった…?。

いや、向かっていない。最後の出番で下手に入ったから、楽屋に戻るには舞台裏を通って上手へ行かないといけない。

舞台裏の細い通路を通ろうとした時、ふと奈落という注意書きが貼られている壁を見つけた。

わざわざそこへ飛び込もうとするわけもない。その貼り紙が何故が凄く気になって手を伸ばしたら、こう言ったら変に思われるかもしれないけど、魔法みたいに床が抜けてその奈落に落ちたんだった…。



「あら、這いつくばるのがお好きなの?。貴女は主役を目指してどんなことがあっても立ち上がるのだと思っていたけれど」


「あなた、私のこと知ってるの?」


「ええ、いつからだったかしら…ふふ」



その女について行くために、立ち上がる。

あんな風に注意書きがあったのに、怪我をしていないことに驚く。

彼女には私が驚くことが読めていたらしく、可笑しそうに笑われた。



「私が呼んだから、怪我していないだけよ?。普通に落ちたら大怪我よ、気をつけなさい」


「え、ええ」



彼女について行くと、やはりスポットライトに照らされた場所に出た。

今度はテーブルと椅子ではなく、ごちゃごちゃとした棚だった。



「えーっと、貴女にはこれが必要だったかしら 」



渡されたのはロイヤルピンクの艶が美しいトウシューズ。バレエで女性が履く固いシューズだ。



「私はバレリーナじゃないわ」


「ふふ、そうだったわね」


「私のこと知ってるって言ってたけど、嘘ね?」


「いいえ、嘘じゃない。ただ貴女にはバレエの素質もあったからつい。…ああ、あった。貴女にはこれね」



彼女が私に渡したのは古びた台本だった。



「あ、これ…」


「知っているでしょ?…まあ、噂程度にだろうけれど」



私がまだ小さい頃に、劇に興味がない人でも知っているような伝説の公演があった。その公演で主役を演じた男はそれまで端役もいいところだったけど、その演目で一役有名となった。

その公演以降劇団の財産と呼ばれていた男は、繊細な人間だった。

人々の期待に押しつぶされそうになり、演劇を嫌いになる前に劇団を去り今はどこにいるかもわからないと、その男と同じ劇団に入った私が新人の時団長に聞かされたことがある。

その後も同じ演目で公演が行われることがあったけれど、彼が生んだ感動に勝るものはないという。

この演目以降も彼が演じた役はあったけれど、一番の衝撃があったこの演目は彼以外ありえないと、彼がいなくなってそれなりに経つ今も囁かれている。



「この台本に書かれてる名前って」


「そう、彼の名前。有名になったものねぇ、私がここへ呼んでからは」


「あなたが?」


「私、才能のある子が好きなの。その才能が開花してなかったら、開花させるための手伝いをしたくなっちゃうのよ」



妖しく艶めいた視線を送られ、背筋がゾッとする。

彼女のそれは絶対に逃がさない、といったような目で──。



「…さて、。例の物を」



スポットライトに照らされる女の元に、長く黒い手が闇から伸びてくる。彼女にその例の物とやらを渡すと、照明を恐れるように闇へと引っ込んで行った。



「貴女はこの劇団に入ってからずっと女役ね。けど、それでは花開かないわ断言する」


「未来でも見えてるってわけ?」



彼女は何も言わない。ただただ微笑みながら、手にしているハサミの刃を開いたり閉じたりしている。

彼女に操られるハサミは、まるで恐ろしささえ感じてしまうほどの美しさをもった蝶のようだった。



「髪を切らせて?、そしたら団長も貴女に目をとめるはず。そしてお試し程度だけれど、貴方に主役を演じさせるわ」


「そしたら私の才能に気づく、なんて都合のいいこと…私何年あの劇団にいると思ってるの?。新人がどんどん私よりもいい役をもらっていってるのにそんなこと起こるわけ」



「私を信じるか、信じないかよ。どうする?」



突如背後からギギギという音が聞こえ、振り返る。闇から伸びてきた黒い手が、椅子を用意してくれたらしい。

私は覚悟を決めて椅子に腰掛ける。



「髪を切る前に確認」


「何?」


「貴女は劇団のトップスターとして、一気に世間の注目の的になる。予想もしていなかったことや、泣きたくなるような出来事、嫉妬に悪口なんて当たり前。それに彼のように重圧に耐えられず、私の期待を裏切るかもしれない」


「何が言いたいの?」


「貴女は死ぬまでの上で、人々に感動を与え続ける覚悟はある?。今ならまだ逃げてもいいわよ」


「逃げたら…?」


「もったいない…才能があっても咲く機会を逃すでしょうね」



この劇団には主役になることを目標に入団した。主役になれなきゃ意味がない。



「切って、私の髪」


「ふふ、本当にいいのね?」


「貴女が誰だか知らないけど、貴女のお人形になれば一生主役になれる私の才能が開花するんでしょ?」


「ええ」



こんな機会チャンス絶対に逃せない。







今日も公演のタイトルがアナウンスされ、幕が上がる。この時この瞬間は、私は私でなくなる。


凄い。


こんな景色見たことがなかった。

客席に座る全ての人が私を、私の演じる役を見ている。

少しだけ軽くなった身体でまず初めに演じたのは、彼がかつて演じた演目だった。

それから私は彼をこえる役者として、その後どの公演でも客席は私を見るために足を運んだ人でいっぱい。

最高だわ。

髪を切りあの人と約束した日から、驚くほど私の人生は順調だ。











☆ ☆ ☆











「舞台上の操り人形」



スポットライトの元、アンティーク調のテーブルに並べられたお菓子を楽しみながら紅茶の入ったカップを傾ける女。

ここは舞台裏の奈落の底。



「今回は持つと思う?、あの子強気な感じだったし死ぬまで私を裏切らないかしら。ねえ、どう思う?」



暗闇から怯えるように黒い手がいくつも伸びてくる。



みたいにならないといいんだけど」



、その期待を裏切った者たち。

そんな彼らに、スポットライトはもう二度と当たらない。

、暗闇に潜む亡霊。糸の切れない操り人形たちは、操り師である女から逃れることは出来ない。

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舞台裏、奈落の底のパペッティア 青時雨 @greentea1

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