トイレを使えないという事

 上履きに履き替え、先生達に連れられ「発表室」という所の入口前に連れて行かれた。

 幼稚園で体育館や講堂があるところは、よほど大きなところだけだろう、多分。


 代わりにあるのが、やや広くオルガンかピアノが置いてある、音楽会なんかが出来る発表室だ。


 その発表室の扉に、アーチ型のペーパーフラワーの飾り。

 「ことりようちえん にゅうえんおめでとう」の看板。


(わ、私……本当に幼稚園に……)


 オムツの暴露面積を減らすことも、その中の気持ち悪さも忘れて弱々しく呟いた。

 けれど、最後まで言葉にできずに途中で口をつぐんでしまう。


 娘を入れる日が来ることは夢見て着て、今日がその当日のはずだ。


 だが自分も一緒に、人生二度目の入園をするなどと、誰が予想できただろうか。

 しかも自分は娘も当てていないオムツを、自分だってかつて入園した時も当てていなかったオムツを、しかも漏らした状態で。


 そう、この場に至って、まだ気持ち悪いまま……つまり、替えていなかった。


 言ったのだ。

 つい先程、事情を知っているのであろう中年の先生に。


『オモラシのレポートですよね。トイレはだめです。

 替えるにしても誰かに頼んでください』


 と、取り合ってもらえなかった。






 今は、会場の扉前。

 整列し、共に入園する子に、年長の園児を割り振っている。

 身長順であり、自分は一番最後だ。


 ここまでに出来たことは、利尿剤で急速に失われる水分を、半ば強制的に補充させられたくらいである。



 改めてあたりを見回す。

 先生を除けば、当然のように自分が一番大きい。


(本当に……大人は、私だけ……)


「――ちゃん、裕子ちゃん」


 見ると、娘と……当然私とも同じ服を着た――いや、名札の色が異なる園児が話しかけていた。


「あ、はい、何ですか?」


「私達が年長さんとして、裕子ちゃんの手を引くの。

 付いてきてね」


(……ん? 私達?

 二人……いや、三人?)


 他の園児たちは年長と1:1のようだが、私だけ1:3になっている。


「えーっとね、今年は裕子ちゃんだけがオムツなの。

 私達は普段から妹のおむつ替えで慣れているから、裕子ちゃんのオムツ係なんだ」


 多分、私の顔は今急激に赤くなっていることだろう。

 オムツ係を、先生ではなく園児が……しかも娘は入園の挨拶をする場で。


 私があまりにだめな子として扱われている気がして、しかしオムツはそのとおりだった。


「で、裕子ちゃん。おトイレ行かなくて大丈夫?

 今なら連れて行ってあげられるけど」


「――!!…………」


 まだ、漏らしてない前提でこの子らは言っているように聞こえた。

 大人として扱われているのだろうか。


 だが、トイレは先程釘を差されたばかり。

 周囲を見渡すが、やはり先生であっても、この場にいるのは私と同年代……


「……だい、大丈夫……また今度お願いね」


「うんわかった。その時は入園式の途中でも連れて行ってあげられるから、言ってね」


 ……替えてと、どのような神経をしていたら、この場で言えただろうか。

 言わねばならないのだ。

 この気持ち悪い状態を我慢せねばならなかった。


 



 これが間違いだったのだ。

 気持ち悪さの我慢、程度では済まなかった。


 私はまだ、あの利尿剤を甘く見ていた。



「……!!」


 一回目ほどの問答無用な尿意ではなかった。

 だからこそ、耐えられた。


 でもそれだけだ。


 股間を思わず手で抑えた。

 もうオムツの柄を見られる事なんて、気にしている場合ではない。






 言うべきか。

 いや、言ってもトイレは行けない。オムツを使わねばならない。


 ……ということは今漏らして、替えてもらう。

 誰に? この子らに? この5歳前後の子に、私のオムツを替えてもらうの?


 ……いや。

 それはいや!


 しかし、既に一度漏らしたオムツである。

 後何回耐えられる?

 今のオモラシは、普通の量ではない。

 異様に厚いとはいえ、無制限ではない


 一回ぐらいトイレを使ってもバレないか?

 このオムツも隠れて処理できないか?


 葛藤は深く、しかし時間は進む。



「はい、では入園式です。

 年長のお姉ちゃんと手を繋いで、しっかり入場してくださいね」


 悩んだだけで、何も変わらず時間が着た。

 そして、入園式の飾り付けがされた扉が、観音開きにゆっくりと開いた。

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