第1話 ある日、ボコられている僕の前に変人が現れた


 異様な雰囲気だった。

 静まり返った教室でただ一つ、黒板の前に立つ少年が持つ、戦前によくあったような赤と青のコントローラーのついた携帯ゲーム機の出す電子音だけが響いていた。


「……あ、あの自己紹介……」


「うるさいッ!今いいところなんだ――あーあ、やられちゃった。君のせいだからね」



 うろたえる教師に図々しくもそう言い放った少年は、クソでかため息をつくと肩を落として乱雑に、黒板に名前を書いた。



「癸亥明星(きがいめいせい)っていいます。能力はまだ使えません。ここにはバカンス気分できました。この学校のトップ目指す気でいるので、そこんとこよろしく」



 何の皮肉か「能力は使えない」と嘯き、何の嘲りか「学校のトップを目指す」などと宣い。そんな、誰もがきょとんとしてしまうような自己紹介を平然と言ってのけた少年は、見まごうことなく世界のトップ(世界最強の超能力者)だった。



 ■



『――によりますと、先月30日までの一か月における全世界の外来脅威、通称「天使」の出現数は50件を超え、先々月と比較し10%ほど増加しました。国連安保庁はこれについて、約70年前に外来脅威を地球に誘致したとされる世界最悪の能力者、ブラドの関与があるのではないかとの見方を強めており――』


「朝っぱらから物騒なニュースだな……」



 そう呟いて、海和かいわ修樹しゅうきはラジオの音声をぷつりと切ると何の気なしに上を向く。

 九月一日。見上げる空は、今日も今日とて青々と広がっていた。まるで70年前に一度、真っ赤に染まってみせたことなど忘れたかのように。



「……この空が赤くなったんだもんなぁ」



 それは史上最悪の大災害と呼ばれる出来事だった。


 70年前、どうやったのか――世界最悪の能力者が『天使』と呼ばれるエイリアンをこの世界に呼び寄せた。天使が初めて地球上に出現したその日、世界中の空は赤く染まったらしい。まるでこれから起きる惨劇を告げるかのように。

 実際それから超能力者や超人が誕生したり、世界大戦がはじまったりと色々大変なことがあったらしいが、人類はどれも乗り越えて見せた。すごいね(他人事)


 現在は天使も超能力者もうまく管理され、大人しくなっている。

 ここ、国連東京領学園連合自治区もその管理の一環で作られた場所だ。四つの主要な学園によって自治されるこの学園都市は、能力者の兵士を育成するために作られた。

 故に今、大通りにまばらに見える生徒たちは全員が能力者。それも戦闘や研究開発においての働きを「期待」されている能力者たちである。


 無論――その期待に応えられる実力を持っているかどうかはまた別問題であるが。



「……にしてもあちぃな。コンビニで冷たい飲み物でも買って――……ん?」



 と、ふと。

 夏の日差しの厳しさにそんなことを呟いた海和の視線が、とある小さなハプニングを捉えた。何やら斜め上を見て――本人しか見えないARの画面だろう――ぼーっと歩いていた少年と、コンビニから出て来たばかりの少女が衝突する様子だ。



「きゃっ!」


「うぉ!!」



 短い悲鳴が上がり、少女が手に持っていたコーヒーが衝撃でこぼれて少年の服にかかった。気弱そうな見た目の少女。海和とは制服が違うので、他の学園、あるいは付属の教育機関の生徒だろうか。



「ぁッつ!!」


「あ、あの……、すいません。服に――」


「あぁ?……チッ、シミになってんじゃねぇか。オイてめぇ、どうするよコレ」


「えっ?どうするって言われても……」



 ――おっと、まずいかも。

 海和は二人の海和を聞いてそう思う。



 自身の不注意を棚に上げて少女を責める、頭に剃りこみを入れたいかにもな風体の少年は、海和のよく知る生徒だった。

 白いシャツに、胸につけられた学生の身分を示す徽章代わりの刺繍、そして学園在学中に与えられる仮の階級を示す左袖のマーク――海和と同じ制服を身にまとう少年は、特殊士官学校の一年生、茨木いばらぎじん。学年で最大とも言われる派閥に所属し、だからなのかは分からないが、特に横暴な振る舞いをする生徒として有名だった。



「てめぇのせいで大切な制服にシミが着いちまったよ。どうしてくれるんだって聞いてんだよ!」


「そ、そんな。あなただってよそ見してたじゃないですか」


「俺の服に零したのはてめぇだろ?口答えしてんじゃねぇ――」


「――おい茨木、やめろよ」



 一歩踏み出そうとした茨木を、流石にそれは看過できず、海和は横から止めに入る。

 まさか茨木が滅多なことをするとは思えないが、茨木はそれなりに強い特殊能力者。本気を出せば素手で熊を殴り飛ばせるほどの力を持つ彼なら、些細な行為ですら危険になりかねない。


 茨木から少女をかばうかのように割って入った海和に――曲りなりも茨木と同じ「戦闘」を訓練する生徒が間に入ってくれたことに――少女は安心した者に代わる。

 対して茨木はと言うと、自身の歩みを止めるように差し出された海和の手を見て眉を顰め、



「――あぁ?てめぇどういうつもりだよ、海和」


「やめろって言ってんだよ。怯えてるだろ」


「そいつは俺の服にシミを作りやがったんだ。てめぇも見てたんだろ?」


「ああ。お前がよそ見していてこの人にぶつかったところなら、しっかりと」



 海和は後ろにかばう少女をちらりと見て、早くここから逃げるように目で伝える。すると少女は少しためらうような様子を見せた後、気づくか気づかないか分からないほどの小さなお辞儀をして小走りに逃げていった。



「あっ、オイ!!逃げてんじゃねぇ!!って――……チッ、てめぇのせいで逃げられちまったじゃねぇかよ」



 その場を去っていく少女に怒鳴り声をあげて止めようとする茨木だったが、その進路をふさぐように海和が立ち、邪魔だというかのように茨木が舌打ちをした。

 いらだつような顔が向けられ――強面な彼のそんな顔に海和は一瞬たじろぐ。



「あーあ、てめぇみてぇなゴミがヒーロー気取りかよ。雑魚が雑魚守って満足ですかぁ?ちゃんと責任は取ってくれるんだろうなぁ、海和」


「責任?そのシミは自業自得だろ。責任も何もないし――まだHRまでは時間があるから、いったん帰って洗濯機でも放りこんだ方がいいんじゃない?じゃ――」


「――オイ待てよ。まさかてめぇ、このまま行けると思ってんのか?この俺に逆らっておいて」



 ――ギリ、と。

 もはや音でもするんじゃないかと言うほどに強く、茨木は立ち去りかけた海和の肩を掴む。



「痛ッ――……何するんだよ、茨木」


「オラ、こっちだ」



 茨木は掴んだ肩を乱暴に放すと、威圧するように海和に近づいてくる。海和は追いやられるようにじりじりと後退すると、コンビニの敷地を区切るフェンスに背中がついた。

 隣の建物とコンビニの間の、暗くじめじめとした路地裏。大きな業務用ゴミ箱がコンビニの壁にくっつくように設置してあった。



「大通りにあるコンビニって言っても、こうした隙間は目につきづらい。こうやって俺が一人立っちまえば――ほら、もう通りからはてめぇの姿は見えねぇ」


「……何する気?別に僕、茨木に悪いことしたってわけじゃないと思うんだけど……」



 何が起こっても通りからは分かりづらい――そう告げられて、海和は目の前に立つ茨木にそう問いかけた。警戒と――若干の恐怖をはらんだ海和の声。

 その言葉に茨木はにやりと、決して好意的でない笑顔を海和に向ける。



「分相応って言葉を知ってるか?俺の好きな言葉なんだが、今のてめぇに欠けてるもんだ。なんたって――生意気にも俺に意見して逆らってきたんだから」


「……そのシミは茨木、お前の方が悪くてできたものだろ?だからあの子を責めるのはお門違い――」


「あぁ?てめぇなんも分かってねぇな。シミがどうこう、誰が悪いとか――んなことどうだっていいんだよ」



 少女の件――海和が茨木に楯突いた、そのきっかけの事件は関係ないと茨木はそう言って、



「俺が言ってんのは――海和、てめぇみたいな雑魚が俺に逆らったことだ。前々から思ってたが、てめぇ生意気なんだよ。落ちこぼれ(・・・・・)のくせに」


「――ッ」



 落ちこぼれ――茨木にそう言われ、海和はぐっと唇を噛む。


 この学校で、海和は確かにそう呼ばれてもおかしくはない存在だった。しかしだからと言って――何故、茨木の横暴を止めただけでここまで言われなければならないのか。品性も褒められたものではない――ただの落ちこぼれでないヤンキー如きに。



「なぁ、分かるか?この学校で一番大切なのは『強さ』だ。強くねぇ兵士なんて何の意味もねぇ。つまり――ゴミみてえな能力しか持たねぇてめぇより、強い能力を持って生まれた俺の方が何倍も価値ある存在なんだよ。違うか?」


「……前回の体力テストじゃ僕の方が上だったろ」


「――あ?そりゃ基礎能力の話だろ。力ばっかり強くて何になるよ。俺が言ってんのは――固有能力の方だよ」



 この学校に通うほとんどの特殊能力者は、主に二つの能力を持ち合わせている。それが基礎能力と固有能力である。


 基礎能力は、名前の通り身体能力や感覚などを強化する基礎的な能力のことで、特殊能力者は皆この能力を持ち合わせている。能力者はこれにより、非物理的な力を発揮することができる。


 しかし、能力者の強さを決めるのはもう一方の能力――固有能力だ。

 超能力、あるいは特別な超人化能力。一人に一つ与えられたその能力は、それを与えられてから死ぬまで変えることができない。そのため、能力者の強さは生まれた時に半ば決められていると言っても過言ではないだろう。


 才能――それが実態を帯びて、分かりやすく顕在したのがこの固有能力だ。弱い能力を与えられた者は、強い能力者に決して抗えない。



「ただでさえ価値のねぇてめぇが、分をわきまえねえで誰かを助けるだぁ?ハッ、お笑いもんだな。――いいぜ、ここらで俺が教育してやるよ」


「――ッ」



 茨木は、海和にその手の甲が見えるように右手を掲げると、能力を発動させた。次の瞬間――茨木の指が人のそれとは思えないほどに伸び、その先端が丸みを帯びたシルエットから鋭利な棘のそれに変わる。


 「からだの一部を棘に変える能力」、茨木の能力は自身の体を変化させる変質能力で、変化させた棘は人の体など簡単に貫けるだけの硬度と鋭さを誇る。人を傷つけることに長けた凶悪な能力。そしてそれは、海和が望んでも決して手に入れることのできなかった、この学校で最も評価される能力の性質の内の一つだった。



「――オラッ!!」


「――ッ!!」



 当たれば能力者とて気軽に殺傷し得る茨木の右手――顔に迫るそれに、海和が思わず目を閉じてしまったのは、決して責められることではないだろう。しかし目を閉じる――その行為はこの状況で致命的。

 たった一瞬ではあったが、敵への一切の反撃能力を喪失した海和に対し――無慈悲にも、茨木の拳が頬に直撃した。



「――ッ、ぁ――……!!!」



 目の前が一瞬真っ白になったかと思うほどの衝撃。まるで下あご全部が吹き飛ばされたような痛みと、脳をミキサーにかけられたかのような気持ち悪さが海和を襲い、背中をフェンスにつけたまま滑るように倒れこみ、しりもちをついた。


 拳による殴打。パンチ。

 それは決して鋭利な棘に刺されたような痛みではなかった。目をつぶった直後、茨木は能力を解除したのだろう――そんな思考が、海和の脳裏をよぎった。



「ハッ、目を閉じるなんて情けねぇ。てめぇも能力者なら能力の一つや二つ使って見せるぐらいのことをしろよ」


「……能力での、攻撃は、ッ――……禁止、されてる、だろ――」



 嘲るように、地面を見つめる海和に対し、上から茨木の声がかけられる。精一杯――そんな気持ちで反論した海和の声に、茨木は「はぁ?」と肩をすくめる。



「そんなん律儀に守ってんのはてめぇぐらいだろ。ああ――てめぇは攻撃に能力を使わないんじゃなくて、使えないのか。なんだっけ?――「右手の人差し指を強化する能力」だったっけか?」


「……」


「フン、ゴミみてえな能力だ。だからこそ俺は我慢できねえんだよ。分をわきまえず――てめぇが俺と対等面してきたことがよ!!」


「――……ぃッ!」



 ゴッ!と茨木は壁にもたれ掛かる海和の腹を蹴ると、自らもしゃがみ込んで海和の胸倉をつかむ。

 グイッと近づけられた茨木の顔。海和に暴力をふるうことが何よりも楽しい――そんな優越感の感じられる茨木の笑顔が目の前に近づき、海和は小さく息をのんだ。

 それは緊張故か、恐怖心からか――いや、決してそんな単純な感情のせいではないだろう。とある記憶――海和の心を折った半年前の記憶の再現が、海和をそうさせたのだ。


 怯え。その表情から何かを感じ取ったのか、茨木が「あ?」と記憶を辿るようなしぐさをとり――



「そういや、前にもこんなことあったなぁ。――半年前の評定戦。今みてえに、てめぇは無様に転がってたっけ。あんな生意気な口を利くぐれえだから忘れちまったみてぇだがよぉ――」



 もちろん――忘れていたわけではない。

 思いあがった少年の心を折った、入学直後の評定戦。生まれ持った能力の格差がどれほど残酷なのかを思い知った、そのきっかけ。


 半年たって癒えかけていたそのショックだったが、深層心理にこびりついた敗北感が消え去るわけもなかった。

 足を貫かれて床に倒れこむ自分を見下す、困惑しつつも愉悦の感じられる茨木の顔。自身の反撃が、反撃にすらなっていない攻撃が軽くあしらわれ、いたぶるような茨木の攻撃が体を貫くあの感触。痛みこそなかったが、足が、腕がその機能を失っていく感覚は、戦闘を経験したことのなかった海和にとって大きな衝撃を与えた。


 思い出すと体に震えが走ってしまうほどのトラウマ。

 茨木の攻撃に、思わず目を瞑ってしまったのもそのせいかもしれない。仮に相手が茨木以外であったら――



「――だったら思い出させてやるよ!てめぇと俺の間にある、覆しようのない格差を!!」


「やめ――」



 茨木がそう言って拳を上に振り上げる。


 半年前の光景がフラッシュバックし、海和は手を前に突き出してそう懇願の言葉を発してしまいそうになる。しかしそんな海和の様子は、逆に茨木にとっては暴力を加速させる材料の一つ。


 誰も気づかない路地裏で、一人の少年のトラウマをえぐる些細なリンチが始まる――



 ――その直前だった。




「――あ、悪いんだけど、ちょっとそこどいてくれない?」




 あまりにも場違いな、そんなのんきな言葉が二人にかけられた。




 ――――

 ちょっと長くなったので分割します。だから次も一話です。




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