第14話 アレグザンドリアとの別れ 

                     エミリーブロンテ作

                         額田河合訳


かつてこの小さな谷が、七月の輝きの中で

天使の夢のように愛らしいのを見た

空はどこまでも青く澄みわたり

あたりはたそがれの黄金の光に満ちていた


紫の鈴のようなヘザの花が

嵐に傷ついたあまたの岩かげから顔をのぞかせていた

そのとき、まさしく、私は出会った、一つの音楽がわきあがり

その心ゆさぶる調べがこの淋しい道々に命を吹き込む瞬間に


それはあまりにやわらかく、だがあまりに強く心に響いた

あまりにかすかだったが、あまりにはっきりと聞こえた

私の息は止まり、両の目には涙があふれ

その涙が緑のヒースの原に露をむすんだ


あの夏の日、私はいつまでもここを離れようとしなかった

時がどんなに早く飛び去っても気にすることもなく

去りゆく太陽の光が輝かしく悲しげに

空から微笑むのさえ目に入らなかった


あの日、あの時ならおまえをここに寝かせても

おまえの眠りが安らかだろうと思えたかもしれない

いとしいものよ、神がおまえをお守り下さると信じて

ここにおまえを残して行くこともできたかもしれぬ


だが、今、谷をさまよう残り陽はない

神が近くにいらっしゃるどんなかすかなしるしもない

ただ冷たくおまえの雪のしとねが広がり

そして、おまえの子守歌は悲鳴のように泣き叫ぶばかり


ヘザの茂みは暗くはるかにひろがり

天にきしのべた茶色の枝を揺らしている

彼らの歌がきっとおまえをなぐさめてくれよう

彼らがきっと私の愛し子の番人となってくれよう


ああ、雪は激しく降りしきる

たちまちにおまえの番人たちの頭をおおっていく

治たく白い死装束が

おまえの凍った手足を、凍えた胸を包んでいく


嵐は前にもまして荒れ狂い始めた

吹き寄せられた山の雪が空高く舞い上がる

さようなら、不幸な宿命のひとりぼっちの子よ

私には耐えられない おまえの死を見守るなんて!

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