第23話 インキュベーター

 紗良は私の肩を掴んで正面に向き合った。心配と不安が顔に表れている。


「それは……それはダメだよ。簡単に言ってるけど、それってトラウマを心の中で再現してるってことでしょ?そんな古傷をえぐるようなことをして、精神に、こころにいいはずがない」

「それは――」


 紗良は私の顔を見上げて泣きそうな声で訴えかけた。


「……つまりローリエはその役作りを知ってたってことでしょ?どうして私に言ってくれなかったの?」

「それは……反対されると思ったから」

「余計悪いじゃん!守秘義務とか、事務所の規則とかで、全部が全部打ち明けられないのは知ってるけど、それでもこの件は言ってほしかった。私、今まで美菜の事故のこと聞いたことなかったんだよ!」

「……ごめんなさい」


 私は愕然がくぜんとしてうつむいた。ライバーとして、役者としてのめり込むあまり、紗良に余計な心配をかけてしまった。私にこの道を教えてくれたのは、他の誰でもない。彼女にそれを後悔させるようなことはあってはならない。


 でも――


「ごめん紗良、ちょっと来て」


 私は紗良の手を引いて培養室に入った。先生は誰もいない、二人きりだ。そこは基礎配属の1カ月間何度も出入りした部屋だった。その名の通り、実験に使う細胞を取り扱う部屋だ。


 部屋の奥に設置してあるクリーンベンチ。三方を仕切りで囲われた作業台で、中に手だけを入れて作業する。奥から手前への送風と殺菌用の紫外線によって無菌的に細胞を扱うための装置だった。


 私たちは実験の時そこで細胞を培養液に入れ、顕微鏡で細胞の数をカウントした。そして培養する細胞をベンチから持っていく、その行先は――


「インキュベーター……」


 紗良がつぶやいた。それは一定の温度や二酸化炭素濃度を保つことで、細胞や細菌を培養する装置。外観は無骨な冷蔵庫といった印象だ。これも何度もお世話になった。

 

 私はインキュベーターを遠めに見つめながら紗良に語り掛ける。


「あの中は細胞にとって最適な環境がずっと維持されてる。私は、今の大学生活があの中みたいにずっと続けばいいと思ってる。臨床医学の勉強は面白いし、去年ほど厳しくもない、配信とも余裕をもって両立できてる。大学もIRISも、今の私にはとっても居心地がいいんだ」


 私は溜息を一つ吐いた。IRISに入ったばかりくらいまでは、これが私の本当にやりたかったことなのかは確信が持てなかった。


 だが仲間と声劇をする機会を得て、私はここで自分の満足するまでやり切りたいという思いが焦がれるように強くなったのを感じたのだ。


「いっそこのままずっと学生でいられたらいいのに」

「美菜……でも、『インキュベーター』の本来の意味は『孵卵ふらん器』だよ。私たちはずっとその中にはいられない。かえらなきゃならない」

「……わかってる。臨床実習や医師国家試験こくしの時期になったら、配信が続けられるか分からないことだって。だからこそ、今、あそこで出来ることは全部やっておきたいんだ。悔いは残したくない。無茶な役作りをしたのはごめん。だけど、それは分かってほしいんだ」


 私はインキュベーターから目を離し、掴んでいた腕でそっと彼女を抱き寄せた。完全に無意識の行動だった。


IRIS私の居場所を教えてくれて、ありがとう」


 自分の鼓動が、いやに早く聞こえた。紗良ははっと息を呑んでいるように見えたが、10秒ほど経ったところで、彼女から私を振りほどいてきた。


「ちょっと、いきなり……」

「あっ……どうかしてた。ほんとごめん」

「と、とにかく、今後は自分を痛めつけるような役作りはしないって約束して」

「うん……」


 申し訳なさが先行して、会話が紗良のペースにもっていかれつつあった。今の私は紗良の言うことなら何でも聞いてしまいそうな気がする。


「なら、お詫びとして今度2人でデートしよ? で、それを配信のネタにする」

「へ?」


 私は間の抜けた声を上げた。


 

「それで、なんで大学でタケノコ掘りになるの?」

「配信のネタになるかと思って……」


 そんなわけで春休みの最中、私と紗良は大学構内の竹林に足を運んでいた。


 呉羽くれはキャンパスは、実は山の上にある。そして竹林でタケノコ掘りが出来るのだ。


 キャンパスはいちおう県の中心部から車で約20分程度のところにある。トンネルを抜けたら右手に動物園が見えるので、それを目印に左折して山を登り、曲がりくねった道の先で高速道路の建設によって出来た谷を橋で渡る。さらにS字カーブを曲がるとキャンパスと附属病院がその姿を現す。地形が防衛に適しすぎていて、戦争になっても安心だとネタにされている。


 構内とはいえ山の上なので長袖長ズボン、軍手を用意してそれなりに準備した計画的なものだった。ちなみにくわなどの道具は大学の学生課に言うと簡単に貸してくれた。竹が繁殖しすぎないように定期的に毎年この時期に採っているらしい。それを少しでも手伝ってくれるならありがたい、ということなのだろうか。


「でも前に没になってなかったっけ?タケノコ掘りが出来る大学なんて言ったら即バレするからって」

「さすがに『タケノコ掘りに行った』だけならバレずになんとかなるよ。全国的に生えてるし。雑談のネタにしてその後に料理配信でもできればもっといいかな」

「でも美菜って全然家事できないじゃん。最近家に行ったらまず汚部屋の片づけから始まるし。そもそもまともな調理器具も無いんじゃない?」


 紗良に痛いところを突かれた。祖父は私について勉強ができることに目をつけると、家事をほとんど手伝わせることなく勉強に専念させる人だった。おかげで一人暮らしするようになってからはほとんど外食やコンビニ生活である。


 たまに頑張って自炊しようと思わないこともないのだが、配信するようになってからはそれも億劫になってしまった。


「えっと……ローリエにおすそわけついでにオフコラボで料理配信にするつもりで……」

「料理はローリエに頼るってことじゃん。ダメ人間だね」


 ――軽口をたたき合いながら目的の竹林に着くと、なにやら前方に巨大なリュックサックが左右に向きを変えているのが見えた。もちろん背負っている人がいるわけだが、リュックが人間の3倍くらいの幅があるせいで顔を伺い知れない。


「すいません、どうされたんですか?」

「――おっ、やっと人に会えたな」


 そう言ってリュックが振り返った。持ち主は鋭い目と茶色に染めたショートヘアが印象的な女性だった。30代後半くらいだろうか。


 大学には彼女くらいの年齢の同級生はいてもさすがに見間違えることは無い。学生ではないのは確かだ。私たちより本格的な重装備で、登山目的のように見える。


「聞きたいんだけど、『立山』ってのはどっちだ?」


 思わず紗良と顔を見合わせた。標高3000メートルを超えるあの山は県の象徴であり、県民であれば知らない人はいない。県の南東部にあり、この大学とは真逆の方角だ。つまりこの女性は県外から来た相当の方向音痴だということになる。

 

「ええと……県外からいらっしゃったんですよね?それなら――」


 私たちはバスで山の中腹まで登るルートをスマホのマップで説明した。


「いやあ、すまなかったねえ。じゃあ、ここはどこなんだい?」

加賀かが大学呉羽くれはキャンパス、医薬学部のキャンパスです」


 それを聞いた途端、女性はますます笑い出した。


「フフッ、ハッハッハ!医学部だって?山の上にあるのはいかにもって感じだね。私がよりによってそこに迷い込むとは、血は争えないってやつか。じゃあ君たちは学生さん?」

「ええ、実は……」


 女性の意味深な発言はさておき、私たちはタケノコ掘りに来ていることを説明した。女性は顎に手を当てて考えているようなそぶりでそれを聞いていた。


「――道を教えてもらったついでで悪いんだけど、そのタケノコ掘りにご一緒させてくれないか?」


 正直どういうつもりなのか分からない。単に山が好きなのだろうか。とはいえこの方向音痴では一人で行動するとまた見当違いの方向に行ってしまう可能性がある。このままついてきてもらい、タケノコ掘りが終わったら病院前のバス停まで送った方がよさそうだ。私たちは同行を認めることにした。


 ――5分ほど歩いて学生課で教えてもらったポイントに到着した。上を向くと朝日が木漏れ日となって降り注ぎ、春の暖かさを肌で感じられる。地面を一見するだけでも土からわずかに顔を出しているタケノコを確認できる。


 話によると、また土の中に隠れているものの方がえぐみが少なく食べやすいらしい。慣れてくると地面を踏んだ感触で下にタケノコが埋まっているのがわかるそうだ。とはいえ私も紗良も初心者である。いきなり上手くいくとも思えない。私は紗良に提案した。


「紗良、あの女の人なら教えてくれるかもしれない。しょっちゅう山に登ってそうだし」

「そうだね。聞いてみよう。すいま――」


 紗良はそのまま口を開けて動かなくなった。私も紗良の視線の先を追った。


 女性は巨大なリュックサックをいつの間にか地面に下ろし、中から機械類を取り出して設置していた。


 私はそれがテレビの収録などに使う録音機材だと気がついた。マイクは無指向性で、四方八方の音を拾うのに適している。レコーダーは丈夫さに定評があるタイプ。野外ロケでも通用する本格的な装備だ。彼女はマイクのスタンドを立てながら、顔を向けずに話しかけてきた。

 

「頼みがある。君たちのタケノコ掘りを録音させてほしい――」

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