第1章 バーチャルライバー

第1話 ロールプレイ

 遡ること1年――


 私は呼吸器内科医として、受け持ち患者に末期の肺がんであることを告知しなければならなかった。かつては告知せずに治療を行っていた時代もあったとのことだが、現代ではそれはないといってよい。いよいよ患者さんに相対した。彼は調子はずれの声で、


「先生、先日の検査の結果はどうだったんですか?」


 と単刀直入に尋ねた。そこには台本はない。あるのは自らの知識と……いや、それもなかった。私が答えに窮していると、遠く壇上から声が聞こえた。


「そこまでです。皆さん、お互いに相手の演技についてどういった印象を抱きましたか?観客役の3人も交えて話してみてください――」

 



「どう思う?この演劇の授業」


 大学の講義室の隅で萎れていた私に呆れ顔で話しかけてきたのは中学時代からの友人、砺波となみ紗良さらだった。彼女は私の前の席に座り、椅子を反対向きにして私に話しかけている。


「まあ無理もないか。2年生が始まってもまだ教養科目ばっかりで、医学の授業といっても変なのばっかり。この授業も『末期がんの患者に告知しなければならない』って設定だけど、結局のところ知識がないと具体的な話の組み立てもできないのに意味があるようには思えない。早く臨床の講義が始まってほしいよ。元女優としてどう思われますか、先生?」


 同級生でも私の子役時代を知る人はあまり多くない中で、知ったうえでこんな茶化したことが言えるのは彼女くらいだろう。気の置けない関係だった。


 この授業では医師役と患者役、観客役の3人で組んでロールプレイを行う。症例の中身や人物の設定はあるものの、自分が演じる人物の設定しか知らされず、台詞は決まっていない。これにより相手の言葉や挙動から感情を推測し、それに寄り添う「生きた倫理」を育むというお題目が掲げられていた。


「どうかな。私、即興演劇はやったことないし。立場や役割だけが決まっていて台本がないってのは新鮮だったかも。でも確かに実際のインフォームド・コンセントではあらかじめ準備して告知するのが自然だろうから、やっぱり勉強が優先なのは間違いないと思うよ」


 私は正直に感想を述べつつも彼女に賛成する意見を述べた。すると、紗良は意味深なことを言った。


「そういえば『あの人たち』もこれに近いのかもしれない。台本らしい台本はなさそうだし……」


 そこで会話は中断された。学生課の職員が5人の見かけない人たちを連れて教室に入ってきたのだ。


「必修科目の後だから全員居ますね。(2割くらいは欠席だけど、という同級生の誰かの声が聞こえた)明日から合流する学士編入の5人を紹介します」



 ――5人がそれぞれ自己紹介を述べるのを私は興味深く聞いていた。彼らは学士編入、つまり他の学部の大学や大学院を経た人のための特殊な入学試験に合格し、2年生から医学部に入ってきたということらしい。紹介が終わって再び解散となった後、今度は私から紗良に聞いてみた。彼女はあまり興味なさそうな顔だった。


「学士編入だって。知ってた?」

「全然。全員出身大学を言ってたよね。東大もいた。いったんほかの学部を出て、研究や仕事に就いていたけど医学部に入り直したってことだよね。いったん決めた進路、職業を変えるってどうなんだろう。私には医師以外の道は考えられないな。ほかの職業は想像できない」


 紗良は茶色に染めたセミロングの髪をいじっていた。彼女はその派手な外見によらず医師への道にはストイックな部類に入る。なかなか本格的な臨床の授業が始まらないことに不平を言いながらも欠席はせず真面目に受けている。苦学生でもあり、地域枠(地元の高校生に限定した入試枠で、将来地元の病院で働くことを条件とした奨学金制度がある)で入学したうえ実家に住み、学生生活にかかる費用はすべて自らアルバイトで工面していた。

 彼女は自分の境遇を憐れに思われるのを嫌っていて、大学では着飾っていた。スマホも持っている。その反動として趣味はインドアで、お金のかからないものばかりだった。


 5人の編入性のうち、一番小柄な女性が挨拶してきた。


「あらためて、倉持容子。茗渓大学を卒業して臨床心理士をやったんだけど、今日から学生に戻ってきたの。年も戻ればいいんだけどな」


 私たちは思わず笑ってしまった。私は紗良と顔を見合わせ、おたがい「しまった」という顔をした。


「あっ……すいません。よろしくおねがいします」

「同学年なんだから敬語はなし!まあ、年上の同級生なんて慣れてないからしかたないか」

「そうでもないです……そうでもないよ。現役入学は半分もいないし、一般入試で入った人にも社会人経験者はいるから」


 そのあとは2、3分ほど話をして彼女と別れた。24歳で大学に入り直したのか……それだけでも苦労は察するに余りある。本当はなぜ臨床心理士を辞めて医師になろうとしているのか気になったが、初対面でそこまで突っ込んだ話をするのは失礼だろうと思って触れなかった。あちらとて私の顔の傷を見たとき一瞬驚いたような様子だったから、同じことを思っていたかもしれない。


 医学部というのは特殊な環境だ。通常大学生の進路は千差万別である。例えば法学部は全員が法曹を目指すわけではない。しかしここは6年間の課程を経て全員が医師免許を取得し、そのまま医師になることを想定されているため、一般の就職活動にあたるものは無い。ごくまれに、起業などの活動をする人がいる程度である。こうして大学を卒業後に大きな進路変更を望む人の姿は新鮮に映った。


 そして私もまた、11歳の時に事故で両親を失い、私自身も右頬に傷を受けたことで芸能界を離れ、母の実家のあるこの地方に移り住み、中高生を経てこの加賀大学にいる。しかし医師になりたいという強い思いがあったわけではなかった。日常だったものを失った、そのはけ口を勉強に向けていたらいつの間にかここにいたというのが正確だ。しかしそれでは体面が悪い。この右頬の傷を見れば、そのために医師を志したのだろうと思う人は少なくなかったし、たいていの場合はすべてを話す気にはなれないので都合よくそう思ってもらうことにしていた。医学部の面接試験もそうだった。


 私と紗良が最後まで教室に残っていたが、紗良が切り出した。


「今日はライブがあるからお先に帰らせてもらうね」

「ライブ?アイドルか何かの?こんな田舎で?そもそもそんなお金があるの?」

「いつもながらひどいなあ。ちがうよ。バーチャル・コーテックス2期生の3Dライブ。配信されるのを見るだけならタダだからね。」

「何それ?話がさっぱりなんだけど」

「まあ、まずはこれを見て」


 私は紗良のスマホを覗き込んだ。ゲームのプレイ動画だ。それはさすがにわかる。見慣れないのは画面の右下にアニメ調のキャラクターがいるところだ。どうやらそのキャラクターがゲームをプレイして実況しているらしい。


「このアニメみたいなキャラクター、これ一体一体に対応する演者がいて、喋ったりモーションキャプチャーを通じて動かしたりする。それで動画サイトでアイドル、タレント、ゲーム実況などの活動をしている人のことをバーチャルライバーと呼ぶわけ」

「これ、声優とどう違うの?」

「さっき『演者』って言っちゃったけど、表向きにはいないことになってる。何時間も続けて生で配信しているから多分台本もほとんどないし、だいたいのライバーが素でやってるんじゃないかな。でもそれも含めて視聴者との一体感が人気の秘訣じゃないかと思ってる。まあこれはその生配信が終わった後に要所をまとめられた、いわゆる切り抜き動画なんだけど」

「その『バーチャル・コーテックス』っていうのが事務所なの?」


 私がやや食い気味に尋ねたのを紗良は聞き逃さなかった。紗良の表情が緩んだ。


「いい反応だねえ。その通り。通称コーテックス。ここが一番古いグループで人気も高い、といってもまだ設立から1年くらいだと思うけど。他にももちろん事務所はいくつかあるよ。そして個人でやってる人もたくさんいる。一般の芸能界と違うのは活動方針を本人が決めてるところ。個人は当然のこと、企業所属でさえ個人単位の企画は自分でやって、事務所はそのサポートが主体となっているらしいよ」


 ある程度自分の意思で方向性を決め、タレント活動ができるということなのか。


「それにしてもずいぶん詳しいんだね」

「さっきも言ったけど、見る分にはタダだからね。今年に入ってからハマったんだけど、バイトと試験が重なって言う機会が無かっただけ。じゃあお疲れ様」

 


 自宅に戻った私はもう少し調べてみることにした。第一印象は正直に言うと、興味はあるが惹かれるというほどではなかった。数人の代表的なライバーの切り抜き動画などを見てみたが、彼らはほとんど演技をしておらず、素で喋っている。私がかつてやってきたこととはがあるように感じる。

 一方で彼女が言っていたライブの動画もすぐに見つかった。こちらは顔だけではなく全身の動きを反映した3Dモデルだという。歌だけでなくダンスも実際に踊っているとなれば、まさにアイドルさながらだ。これならもしかすると、演劇も成立するのではないか?

 今のところそのような活動をしている例はほとんどないようだが、紗良の言うように自己プロデュースが成立するのならば、自分で活動内容を決めればよい。事務所内で仲間を募り演劇ができるかもしれない。

 また、顔と素性を隠して活動できるというのは大きかった。昨今では俳優はもちろん、声優も顔を露出してアイドル、タレント活動をするのが当たり前になっている。しかしライバーの配信と言うのは機材さえあれば自宅で行えて、3Dモデルでの活動もスタジオにとどまるという。こんな顔の私でも、地方の大学に通いながらでも活動できるのではないか?私の中に燻っていたものに、再び火が付こうとしていた。



 正直なところ、初めてのオーディションのことはほとんど覚えていなかった。物心つくかつかないかの年齢であったので、当然受けることを決めたのも両親である。

「習い事を受けさせるような軽い気持ちだった」

  というのが後の母の弁である。

 むしろ日数としては少ないはずの幼稚園の光景の方が思い出せるかもしれない。周りの子供の遊びにはついていけず、先生に絵本を読んでもらっていた。その光景は今でも鮮明な記憶として残っている。先生は当然のことながら私だけについているわけにはいかないので、読んでもらった本を今度は自分で読んでいた。絵本を読んでいる時、私は登場人物の顔をみて声を想像し、人物ごとに違う声を使った。多分、私の初めての演技だっただろう。

 私は6歳にして連続ドラマで重要な役どころに抜擢された。

「両親の死により施設に預けられかけた子供が、父の親友に誘拐され、擬似的な親子関係を築く」というかなり攻めた題材だった。作中で父の親友の子供を自ら進んで演じる、いわば二重の演技を要求された。はっきり言って、どうやってやり遂げたのか今でも分からない。

 芸能生活は決して楽しいことばかりではなかったが、物心ついたときからやってきたことで、他の道に進むことを考えたこともなかった。

 11歳……あの日が来なかったどんな人生を歩んでいただろうか。あるいは――


 私はそこで目を覚ました。事故より以前の夢を見たのは、初めてのことだった。



 翌日の昼、大学生協でアルバイトの求人を確認していた紗良に、私は話しかけた。


「昨日のバーチャルライバーのことなんだけど、私、オーディションを受けてみようかなって」


 紗良は呆気にとられたような顔をしている。


「確かに人気のライバーってすごく稼いでて、コーテックスなんてそれこそ下手な医者より儲かってるって聞くけど」

「いや、そんなんじゃないよ。ほら、私ってサークルにも部活にも入ってないし、これなら自宅でも出来そうだから。いろいろ探してたら、配信未経験でもOKで、しかも兼業でやってるライバーが多そうなところを見つけて、そこだけ試しに受けてみようかって」


 私は紗良にあるサイトを見せる。『Project IRISアイリス』。それがグループの名前だった。

 

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