第4話 実力

 案内された訓練場はとても簡素な作りをしていた。むき出しになった地面に最低限の囲い、端の方には打ち込み用の案山子とマト。必要最低限の物を用意した、と言った感じであった。


「へぇ……」


 それでも戦闘奴隷として戦場に送り込まれる前に訓練したことのある所とは違って、管理が行き届いておりとても良い施設であることが分かった。


 陽の光が差し込み、吹いた風が心地よい。こんな日には昼寝なんて最高だろう、とハヤテは感じながら周囲を見渡した。マリネシアの話ではこれから何やら試験を受けなければならないらしい。それ自体は一向に構わなかったが、その肝心の相手が誰なのかは気になるとこであった。


 ───願わくば、さっき絡まれた普通の奴じゃないことを願うね。


「あれ……おかしいわね?もうここに居るって聞いてたけど……」


 一緒に中庭まで付いてきてくれた受付嬢───セリーヌは困惑気味に呟いた。


「試験官さんがいませんね?」


「ええ……」


 マリネシアも不思議そうに場内を見渡す。しかし、それを直ぐにハヤテの次の言葉で止めた。


「───お嬢様。あの休憩スペースみたいな所で寝ている男では無いですよね?」


「え……?」


「あっ!そうです!あの人です!」


 ハヤテが示した方を見てセリーヌは声を張る。そして休憩スペースの椅子で眠り転けている男を大声で呼んだ。


「ガルフ教官!なんでこの短時間で寝ちゃってるんですか!」


「うぇっ!?」


「「うぇっ!?」じゃないですよ!受験者を連れてきたので早くこっちに来てください!!」


「…………うぇーい」


 セリーヌの怒気を微塵も気にせず、男は椅子から立ち上がるとのろのろとハヤテ達の方へ近づいた。


「あー……セリーヌ、これがさっき言ってた?」


「そうです。マリーちゃんのお連れのハヤテさんです」


「おー、商人娘の……」


 ハヤテが最初に感じた男の印象は「野暮ったい」であった。歳の頃は三十半ば、ボサボサの赤髪に無精髭が目につく。身に付けた装備こそ手入れは怠って居ないようだが、それ以外の全てが適当と感じざるを得なかった。


 しかし、見た目の印象とは裏腹にその男には隙がなかった。纏っている雰囲気はどこか緩いが、それが偽りであるとハヤテは直感した。


 ───こいつは、驚くぐらい強いな……。


 思わず口角が上がった。戦場では終ぞ出会うことのなかった〈強者〉にこんなに簡単に出会うことができてしまったのだ、それは仕方の無いことだと言えた。


「俺の名前はガルフだ。みんな適当に「教官」とか「先生」って呼ぶ。まあ適当に呼んでくれ───って何を笑ってんだ?」


「……え?」


「しかもそんなにやる気満々で───ただの奴隷小僧じゃねぇな。お前、名前は?」


「……ハヤテです」


「よし、ハヤテ。まあ焦るな。そんなに殺気立たなくてもしっかり相手してやる」


「すみません」


 試験官の言葉でハヤテは荒だった気を落ち着ける。ハヤテは自身でも驚くぐらい、無意識に目の前の男───ガルフと対峙してから殺気立っていた。表面上では謝って取り繕ってもハヤテは我慢ならなかった。


 ───早くこの男と闘いたい。


 本能でそう叫ぶ。身体が疼いて仕方がなかった。そこにあるはずのない刀の鯉口をどうにか切ろうとその動作は空を切る。


 そんなどう見ても我慢できていないハヤテを見て、ガルフは呆れたようにため息を吐いた。


「……とんだイカレ野郎が来ちまったな。分かった、さっさと始めよう。そこにある適当な武器を選んで使え」


「はい……」


 指された方には無造作に樽に詰め込まれた武器の数々。その中でハヤテは迷うことなく、限りなく使い慣れた武器に近い曲刀サーベルを手に取る。


 ───流石に刀は無いよな。国軍に没収されていなければ……。


 少し不満は残りつつもハヤテは曲刀を即座に構える。


 肩幅に脚を開き、少し前傾姿勢を取って武器は何時でも抜けるように鯉口を切っておく。それは幼い頃から叩き込んできた道場の基本的な型だ。


「ほぅ……奴隷は奴隷でも戦闘奴隷。戦いに明け暮れてきた質か」


 ガルフも腰に携えた直剣ロングソードを抜いた。それを見てマリネシアとセリーヌは端に避ける。


「ルールは簡単。お前の今持ちうる全てをここで見せろ。勿論、殺す気で来てもらって構わん。魔法も使ってもらって構わないが……そういうタイプでもないな」


「……」


 試験の概要を聞き流し、神経を研ぎ澄ませる。今か今かと弓の弦が限界まで引き絞られたような感覚でその時を待つ。


「それじゃ────」


「───ちょっと待った!」


 ついに火蓋が切って落とされるかと思ったその瞬間に誰かが水を差す。反射的に声がした方へと視線を移せば、そこには奇抜な髪型をした男が得意げにいた。


「なん───」


「───ガルフ教官!この奴隷の試験相手をどうかこの鉄骨のローガンに努めさせて頂けませんか?」


 困惑するガルフの言葉を再び遮り、奇抜な髪型の男───基、ローガンと名乗ったそいつはそう申し出た。


「……いきなりだなローガン。どうしたんだ?」


「はい!後進育成の為に先輩探索者であるこの俺が胸を貸すのもまた務めかと思いまして!!」


「ふむ、そうか───」


 取ってつけたような理由にガルフはこれまた態とらしく腕を組んで考える素振りをする。


「───いいだろう。ローガン、俺の代わりに相手をしてやれ」


「っ!はい!」


 少しの沈黙を経て、ガルフが出した答えは了承であった。その判断に離れて様子を伺っていたマリネシア達は驚いていた。


「それでいいな、ハヤテ?」


「……」


 ガルフはハヤテに相手の変更を確認するが、その言葉は聞こえているのかいないのか、分からないほど微かに頷いた。


「ふっ……せいぜい死ぬなよ」


 それは何方に対して放たれた言葉か。ガルフは意味深に呟くと、立ち位置をローガンと交換する。


 ガルフに代わり、ハヤテの相手をすることになったローガンは心底楽しそうに笑った。


「くははっ。この鉄骨のローガン様を無視した罪は重い。貴様の無様な敗北を以て謝罪させてもらおうか」


 しかし、そんな挑発するようなローガンの言葉もハヤテには届いていなかった。


「……」


 既に彼はいつ訪れるかも知れないその瞬間へと集中していた。この状態に陥れば、相手が誰であろうと関係ない。どちらかが確実に死んだと分かるまでハヤテはこの集中を解くことは無い。


「チッ……どこまでこの俺様をコケにすれば気が済む、この奴隷風情がァッ!!」


 そんな集中に気がつくことの無いローガンは再び無視されたことを侮辱と受けとった。

 ガルフが合図をする前にローガンは直剣を構えて襲いかかる。


「ハヤテっ!!」


 傍から見ればそれはローガンの不意打ちに見て取れた。思わず、マリネシアが心配の声を上げる。


 大上段から斬り下しの攻撃を仕掛けたローガン。対してハヤテは構えを取ったままだ

 しかし、何も問題は無い。

 ハヤテはしっかりと対峙した相手の殺気を感じ取り、反射的に動き出す。


「───ッす、はッ」


 短く呼吸。襲いかかるローガンの剣撃はしっかりとハヤテの頭を捉えている。それをハヤテはしっかりと目で捉え、認めてから動作に入る。


 物足りない武器の重さに眉根を潜めながらも、確かにハヤテは曲刀を鞘から抜き放ち、襲い来るローガンの直剣へと滑るように迫った。


「───」


「なっ……!?」


 甲高い剣戟の音、驚愕に染った男の声。そして宙には折れた直剣の剣先が綺麗に回転する。少し間延びした時間が訪れる。誰もが呆然と宙を舞う剣先に目を奪われた────


「終いだ」


 ────ハヤテを覗いて、は。


 一足一刀の間合い。決着は瞬く間に訪れた。躊躇なくハヤテの一太刀はローガンの首に迫ろうとしていた。咄嗟にガルフは叫ぶ。


「そこまでッ!!」


「ッ!」


「ンがッ────」


 その声でハヤテの動きはピタリと止まる。


 薄皮一枚、あと一歩遅ければ確実にローガンはハヤテに首を斬られていた事だろう。その事実に少し遅れてローガンは気が付き、次いで恐怖から気を失った。


 そんな無様な姿を視界に収めて、ハヤテは首を傾げる。


 ───どうして試験の相手がこいつになってるんだ?


 超集中の為に相手が変わったことに気が付かなかったハヤテも遅れてそんなこと思う。


 一連の流れを見ていた三人ギャラリーはその緩急のあり過ぎる光景に思わず気の抜けたように息を吐くことしか出来ない。そして、この場を取り仕切るガルフは一つ咳払いをして言った。


「文句なし。現役の探索者を一瞬で失神させたんだ、訓練なんて必要ないな」


「───ですね……」


 依然として呆然とするセリーヌは頷くことしか出来ない。


「どうもありがとうございます……?」


 言葉を受け取ったハヤテはいまいち実感がわかずに頭を搔く。


「やった!合格!一発合格ですよハヤテ!!」


 ただ一人、何とか正気を取り戻したマリネシア《ご主人様》はハヤテの合格を自分の事のように喜び飛び跳ねていた。


 こうして探索者になるための適正試験は合格。晴れて、ハヤテは探索者になることを、地下迷宮に入ることを許された。

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