第5話 喫茶ガルーダと彼女

 近鉄奈良駅から続く東向き商店街を抜けた真っ正面にある古い建物の二階にこじんまりとしたカフェがある。通な人に評判というこのお店、喫茶ガルーダが僕のバイト先だ。


 クラスの懇親会が解散になった後、僕は二次会には行かず、一人駅に向かって歩いていた。すると後ろから「高井くん〜」と呼び止められた。

 

 振り返るとそこには、徳間さんともう一人の女の子が立っていた。

 

 徳間さんから「ちょっとだけ酔い冷ましにカフェ行こうよ」と提案され、スマホで探した最も近かった店がここ喫茶ガルーダだったという訳だ。

 

 徳間さんと一緒にいたのは、兼田かまたさんという横浜出身の小さな女の子だった。兼田さんが言うには、引っ込み思案が災いし、懇親会で少し浮いていたところを徳間さんに拾って貰ったらしい。


「だから、そんなんじゃないって。私ってこういう直感って当たるんだよね。だから、高井くんも兼田さんも私ときっと友達になるって思ったから声をかけただけだってば」


 兼田さんは、「由里子ちゃ〜ん」と名前を呼びながら徳間さんの腕にしがみついている。あっという間に徳間さんに懐いているのが面白い。それにしても、二人がじゃれ合ってる情景はなんとも微笑ましい。


 僕は、少しクスッとしながら顔を上げた。すると、年季の入った壁に「バイト募集」の紙が貼られている事に気づいたのだ。

 三人で随分長く話をしたが、とても居心地がいい店だった。この店の雰囲気がすっかり気に入ってしまった僕は、なんなら、今、応募してみようかとも思ったのだが、今日は酔ってるし、今この場でバイト募集したいですなんていっても確実に不採用になるだろうと思いぐっと堪えたのだ。


 翌日、手持ちの服の中で一番ピシッとしたシャツとパンツを着て店に出向き、五十歳台と思われる痩せ型のマスターにバイトをしたいと申し出た。


「じゃあ、今日からでもいいかな?」

「えっ!?」


 あっさりと採用されてしまい、正直呆気にとられた僕だったが、この日から、ここ喫茶ガルーダでウェイターのバイトをし始めたのだ。


 あの日から三ヶ月…。

 僕と相性が良かったのか、このバイトは楽しくやらせてもらっている。

 

 喫茶ガルーダには常連さんが沢山いて、僕もその常連さん達とちょっとした会話が出来る位までこの店に慣れてきていた。

 また、この店は、だいたい、平日は夕方から忙しくなり、土日は午前中からずっと忙しいというのも分かってきた。


 特に、今日のような土曜日は、八席しかないテーブルが昼前には満席になり、それからはずっと忙しいのだ。ただ、三時を過ぎるとパフェを食べながら長居をしている女性二名以外は誰もいなくなった。これもマスターが言う潮が引くように人がいなくなる現象ってやつなのかもしれない。


「高井君、遅くなったけどまかない出すから手前のテーブルで食べなさい」

「はい。ありがとうございます」


 出て来たのは、この店の看板メニューである「焼きそば」だった。今日、僕が注文を受けただけでも十回以上はあったと思う。やはり相当人気があるんだろうな。

 この店の焼きそばは、豚バラとキャベツ、たったこれだけしか入ってないとても潔いものだった。皿の端に紅ショウガが沿えてあるのが関西風なのだろう。


「やっぱり、うまっ!!!」


 僕は思わず声を出してしまった。厨房から「そりゃよかった」とマスターも相槌を付いてくれる。

 何だろう、何が違うんだろうか…。僕の実家では、余り物の食材を全部入れて麺もぐちゃーとなってるから美味しくないのだろうか?それとも麺が太麺だから美味しいのだろうか?

 そんな事を考えながらも箸のスピードはさらに上がる。あっという間にあと半分くらいになった時、小さい乾いたベルの音がした。


「カラーン」


 お客さんだ。

 僕は、入口のドアへと視線を動かす。

 薄い黄色のワンピースの可愛らしい女性。ついつい凝視してしまったのは、無意識に会いたいと思っていたからだろうか…。

 

 そう…、入って来たのは、僕と同じアパートに住む笹原 空ささはら そらさんだった。


 彼女とは、大学まで単車に乗せて行った日以降、何故かずっと会えてなかった。ただ、自分でも上手く説明が出来ないのだが、最近、僕は、アパートの周りや大学の構内でも彼女がいないかと目で探すようになっていた。


「マスター行きます」

「悪いね食事中に…」


 僕は慌てて立ち上がるとレモンの輪切りが入ったポットからコップに水を入れると、メニューを持ち、彼女が座ったテーブルに向かう。


「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 僕は、漸く自然に言えるようになった接客トークで彼女に声をかけた。彼女は小さく肯いたように見えた。

 メニューをめくる手がとても小さくて可愛い…。そして、大きめのワンピースに白のサンダルというシンプルな服装がとても彼女らしいと思えた。


「あのっ。ここは何が美味しいの?」


 彼女は、メニューを見つめたまま僕に質問する。


「えっと、なんでも美味しいのだけど、有名なのは焼きそばですかね」


 もしかして、彼女は僕の事に気づいていないのかもしれない。ただの店員に向けての質問のように思える。だから、僕は、あくまで店員という形で接しなければならないだろう。


「じゃあ、それで。あと、ホットコーヒーをください」

「ありがとうございます。珈琲は食後にお持ちしますか?あと、珈琲はマイルドとストロングがありますが、どうされますか?」

「食後で、そしてストロングでお願いします…」

「かしこまりました」


 僕は、カウンターに戻ると厨房に向けてオーダーされたものを発する。

 彼女の方をチラッと見ると彼女はまだメニューを見ているようだ。


「カラーンカラーン」

「いらっしゃいませ!何名様でしょうか?」

「六人なんですけど大丈夫ですかね?」

「はい。大丈夫ですよ。では、お席を準備しますからこちらでお待ちください」


 観光客だろうか!?大きな荷物を抱えた中年のグループが入ってきた。

 それからは、メニューの質問だのケーキセットのケーキが見たいだのとたった六名のお客さんに僕は振り回されていた。

 

 チラチラと彼女のことを見ていた僕だったが、ふと気づけば彼女は食べ終わっており、文庫本を片手に珈琲を飲んでいるところだった。

 

 彼女は思い出したようにカップに手をやると珈琲を口に運ぶ。

 僕は、時折彼女を見ながら、次々に来店する客に接客していた。


 そんな至福な時間はあっという間に過ぎてしまう…。


 彼女は立ち上がると横のイスに置いていたリュックを背負い、レジに向かって歩き出した。

 僕は、一言だけでも何か話しかけたいと思っていたのに、結局、「ありがとうございました」という当たり障りのない言葉しか言えず、レジで精算をしている彼女を見つめている。

 そうして、約一時間の滞在で、彼女は、店を出て行ってしまった。



「お疲れ様です」

「お疲れ様〜!」


 喫茶ガルーダは、僕と同じようなバイトがあと三名いて、朝の十時から午後九時までを交代で働くようなシフトを組んでいる。

 今日、一緒に働いていたのは、奈良教大の二年生、坂下 香さかした かおるさんだ。

 マスターに以前聞いたのだが、彼女はこの店の看板娘で、彼女目当ての学生達が結構来るらしい。確かに、今日も夕方からは坂下さん目当てらしい男性客が多かったような気がする。


「あっ、高井くん。お疲れ様」

「お疲れ様でした。今日は、すいません。テーブル間違ったり、オーダーミスしたりしてしまって」

「いいって。みんなこんなもんよ。集中出来ない時ってあるからさ。でも、次やらないように気をつけようね」

「はい。本当にすいませんでした。そして、ありがとうございます」

「じゃあ、私、友達と待ち合わせしているから、また明日…」


 坂下さんは、玄関のドアを開けたところで僕の方を見返す。


「あっ、そうだ。高井くん。夕方、焼きそばとストロング頼んだ黄色のワンピの可愛らしい女の子いたじゃない?」

「あっ、はい」

「彼女が、高井くんに、焼きそばすごく美味しかったって言っておいてって。もしかして彼女なの?ふふっ。じゃあまた明日ね!」


 坂下さんは元気よく階段を降りて行く。


 残された僕は、少しライトが落ちた店内のテーブルに座ると、割り箸で紅ショウガを上手に避けながら焼きそばを食べる彼女の姿を思い出していた。










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