第十五話 見ていないから
「お疲れ。ずいぶん遅かったな」
ライスクッカーを抱えて火おこし場に戻ってきた
「いやー、水道が混んでてさー」
えへへーと笑い、頬を掻く明希。
「ほー。それで女子と戯れてたってわけか」
「順番待ちついでにちょっと立ち話してただけだよ。戯れてって、ちょっとおっさんくさいよ」
「……火をつけるぞ」
若干気にしていることを指摘された阿嘉坂はマッチ箱をカシャカシャ振った。
「ほーい」
「さて、ネオン。まずはどこに火をつけるか。覚えてるか?」
「えーと……木?」
「あのなぁ……」
やっぱりお前、インストラクターの話まったく聞いてなかったんだな、と阿嘉坂は呆れた目でネオンを見ている。
「あ、新聞紙! 新聞紙に火をつけるんだった!」
「そうだ。その新聞紙の火を細い薪に移す」
ネオンは、こくこくと頷いた。
「
指名を受け軍手を外した
「おお!」
ゆらり。ゆらり。新聞紙に火が回る。やがてぶわっと一瞬大きくなった炎が、組まれた細い薪に移った。
「もう少し火が回ったら太い薪を追加していく」
阿嘉坂の言葉に頷く雪乃とネオン。
「薪くべる時には火バサミ使うんだよ」
薪に手を伸ばすネオンに明希が釘を刺した。
「なあ……汐緒と何話してたんだ?」
落ち着いてきた炎に照らされ、明希の瞳と髪が橙色に輝いている。
その光景をじっと見つめながらネオンは問いかけた。
明希はいいヤツだと思ってるし、あんな人目の多いところで変なことはしないだろうと黙って見ていたが、気になるものは気になる。
「気になる?」
「な、ならねーよ!」
にやにや笑う明希に無性に腹が立ち、思わず否定してしまった。
だが、この言い方では誰がどう見ても反対の意味にしか取れないだろう。
「ま、がんばれ」
ぽん、とネオンの肩を叩いた明希はまだニヤニヤ笑っている。
ネオンは唸ることしかできなかった。
じゃがいもの皮をむいたり芽を取りながら
汐緒がネオンと離れていたのが汐緒の六歳の誕生日から十六歳の誕生日前日まで。
汐緒とネオンが離れていた十年間と同じくらいの年月を、明希と木綿は共に過ごしている。
小学生が高校生になるまで。
その間の変化。
汐緒は小学生の男の子と高校生の男の子の姿を思い浮かべた。
高校生男子は小学生の頃とは背丈も声も変わっているはずだ。
あぁそうか。
汐緒は気がついた。
私はネオンの成長過程を見ていない。
ネオンも私の成長過程を見ていない。
同じくらいだった大きさの身体と、同じくらいの高さだった声。
十年ぶりに会ったら、いきなり背は頭ひとつ分違っているし、声だって……
汐緒はカット途中のじゃがいもを置いた。
左の手を軽く握ってみる。父直伝の左ストレート。汐緒の左拳を受け止めたネオンの右手は大きかった。
ため息をついて作業を再開する。
ネオンがいまだに子供の頃のように接してくるのは、それが原因なのかもしれない。
私がネオンの言動に対して戸惑ってしまうのも、それが原因なのかもしれない。
やはり、昔と今は違うだと、今のお互いを知る必要があると汐緒は思った。
連休中に菜の花公園でネオンに言ったことは、言いすぎたかと少し反省と後悔をしていたのだが、間違いではないのだ。
でも、正解かどうかは自信がない。
だが、思いは変わらない。
ネオンにはあの約束に囚われてほしくないと思う。
「汐緒も木綿もすげー。ふたりとも手際いいね。手慣れてる感じ」
あや
「普段から家でやってるからねー。
サラッと汐緒に話をふる木綿。
「あ、うん。私もいつもやってる」
話を広げるかどうか汐緒は迷い、閉じることにした。
いい子たちだとは思うが、仲良くするにはまだ抵抗がある。情報開示は少ない方がいい。
料理には昔から興味はあったが、プロに基礎から教わる方がいいだろうという父の勧めもあり、汐緒は中学入学と同時に料理教室の初心者コースに通い始めた。
学校では美術部にしか居場所がないようなものだった汐緒にとって、妹や娘のように可愛がり、色々な話を聞かせてくれた同じコースの女性たちの存在が、どんなに心強いものだったか。
料理以外にも色々と学ぶことができる場所だった。
今でも彼女たちとはSNSで繋がりがある。
「二人ともえらいなあ。たまにはあたしも手伝いするかー。くぼっちも手慣れてんなー」
そう言いながらあや芽は同じく玉ねぎを切っている
「そうかな。料理は好きだから、小学生の頃からよくやってるけど……あ、
「ぎゃ!」
明らかにむき過ぎた玉ねぎを見せると、荻窪はほわりと微笑んだ。
「今日のカレーは具材は火を早く通すために具材は薄めに切ってるから大丈夫だよ」
あや芽は平謝りし、これは下手に手を出さない方がいい気がする、と呟く。
「本当にごめん。なんかあたしにも出来そうなことある?」
「こっちのトッピングにする野菜、網の上に乗せて焼いてくれる? 」
荻窪から差し出されたトレーに並んでいるのは、オクラ、カットされたナスとかぼちゃだ。
「かぼちゃは竹串を刺してスッと通るまで焼いて。薄いからすぐ焼けると思うけど。焼けてるか心配だったら、呼んでくれれば様子見るから」
「やっだ、重大任務じゃーん! りょーかい!」
あや芽は火おこし場へ軽い足取りで向かった。
「もう火起こしだいぶできてるよね?」
ふと見れば、火おこし担当の阿嘉坂のそばで明希が隣の班の女子生徒に話しかけている。
きりっと木綿の眉が吊り上がった。
「ちょっとアキ! サボってないでこっち来て!」
「サボってないよー! お米が浸漬してるかちゃんと見てるの!」
「そんなのっ、放っておけばいいでしょ! いいから
ハニーベージュのポニーテールを振り回して大声をあげる木綿。まるで手伝いをしない子供を叱るお母さんのようだ。他の班の生徒からも視線を集めてしまっているが、本人は気がついていない。
「うへーい。ゆっぺこわぁい」
火の周りでウロウロしていたネオンの腕を掴み、ヘラヘラしながらこちらに来た明希に木綿はピーラーとにんじんを渡す。
「はい、手袋して。にんじんの皮むきして! 洗ってあるけど、まだ黒ずんでいるところだけむいてくれればいいから。包丁で切るのは私と六条松さんでやるから、終わったらちょうだい」
「ほーい」
「まったくもう。アキもこれくらい家でやってるでしょ」
「えっ? あさやん、家で料理してんの?」
荻窪が目を見開いて言った。
「なにその反応〜。ひどくね? 母親が看護師だから夜勤とかあるし、父親も時々帰り遅いから、たまに兄貴と一緒にメシ作ってるよ」
「ふーん。得意料理は?」
「焼きそばかな。親からも好評だし」
荻窪からの問いに胸を張って答える明希。
「ほかには?」
「しょうゆ焼きそばとか、塩焼きそば……とか…………」
「うんうん、あさやんが焼きそばが得意なのは、よーくわかったよ」
もういいから、と手をひらひらとさせる荻窪。
「……ねぇ、ゆっぺまでそんな目で見ないでくれる?」
「べつにー。いいんじゃない? 焼きそば専門シェフでも」
木綿はそう言って明希から視線を逸らす。
「くそぉ……レパートリー増やしてやる。あ、にんじんの皮、俺うちでは全然むいてないよ。フードロス、フードロス」
「アキがめんどくさいだけでしょ、それ。確かにフードロス対策は大事だけどさ。洗っても黒ずんでる所は取った方がいいよ」
木綿は手元に視線を定めたまま、答えた。
「そっかぁ……あれ? じゃがいもは?」
「もう、終わるよ」
「えっとごめん、そうじゃなくて。じゃがいもって皮むかないとだめだっけ」
「緑っぽいところは、むかないとダメだよ。あと芽も。じゃがいもの中毒って怖いっていうし。食べちゃダメだからね!」
「ほーい」
「本当にわかってる? 小学生のとき習ったよね、これ」
やっぱり霞さんと阿佐谷くんって落語に登場するぐうたら亭主と働き者女房みたい。
汐緒は心の中でくすりと笑った。
「んー。これくらいでいいかや〜?」
話していても手はしっかり動かしているようで、明希は皮をむいたにんじんを持って首を傾げ木綿に視線を送っている。
「うん、それくらいでいいよ」
明希の手元を覗き込んだ木綿が頷く。
ふたりの距離は異様に近いのだが、本人たちは気がついていない。
長野の方言「かや」って、なんか可愛いんだよなぁと汐緒はほこほこした気分で明希を見た。アイドルにもなれそうな程の整った容姿。無意識にポロッと出てしまう方言。適度なギャップだ。さぞやモテるんだろうなぁ……
ふと、ネオンをちらりと見ると、ピーラーとにんじんを交互に見ては首を傾げている。
ああそうか。
汐緒は仕方ないなぁとネオンの隣に移動した。
「ネオン、使い方わかる?」
小声で話しかける。
「わかんねぇ」
だろうね。汐緒は小さく息を吐いた。
ネオンは魔界では学校に通っていなかったとタツが言っていた。
姉たちから教育を受けていたようだが、姉たちは全員悪魔だろう。カリキュラムの詳細はわからない。
魔王の息子ということで、向こうではいわゆる王族のような扱いを受けていたに違いない。家事やこういった手伝いなどしたこともないはずだ。
六条松家に居候すると決まった翌日から、ネオンは七海やタツから掃除の仕方と食後の後片付けを教えられていた。
昨日は洗濯機の使い方を教わっていたし、そのうち料理も教わることになるだろう。
ネオンは意外と綺麗好きなのか凝り性なのか両方なのか、掃除の仕方はすぐに覚え、自主的に細かいところまで綺麗に掃除している。
いや、意外でもないか。
幼い頃、絵を描くことに夢中になりクレヨンを散らかす汐緒の隣で、ネオンはケースの中へきちんとクレヨンを並べていた。
脱いだ服を丸めてポイっと洗濯籠に投げ入れる汐緒に対して、脱いだものはきちんと畳んでいたネオン。
普段はやんちゃ坊主といった振る舞いをしているくせに、妙なところで細かいというか、きちんとしていたのだ。
あの頃のネオンはそういう子だった。
今は……どうなのだろう。
「こうやって、にんじんを持って……」
仕方ないなぁと言いつつも手取り足取り教える汐緒と、おっかなびっくり不慣れな手つきでにんじんの皮を剥いているネオン。
ふたりが周囲からどんな目で見られているか、本人たちは気がついていないのであった。
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